大沢コミュニティセンターに行ってきた。
住民協議会、コミュニティという新しい文化をつくった。
三鷹市大沢は田舎でありセンスのある都会でもある。
道端のタンポポ 揺れている 俺の心のようだ
ボランティアのみんなが育てた花をiPhoneで撮ってみた。
だいぶ自分なりの写真が撮れるようになってきた。
我家のLEOクンは甘えん坊
顔がどこにあるのかわからない
大沢コミュニティセンターに行ってきた。
住民協議会、コミュニティという新しい文化をつくった。
三鷹市大沢は田舎でありセンスのある都会でもある。
道端のタンポポ 揺れている 俺の心のようだ
ボランティアのみんなが育てた花をiPhoneで撮ってみた。
だいぶ自分なりの写真が撮れるようになってきた。
我家のLEOクンは甘えん坊
顔がどこにあるのかわからない
ブログを毎日更新するようにしている。
が、無理をしてはいけない。といって自分に甘えを!
絵日記でいいや!といってもどうしても考えすぎてしまう。
そこには、アクセス数という悪魔の存在だ!
力んだときは伸びないのだ!何ともないときにすごい数字を記録する。
今は、iPad・iPhoneでの写真撮影に力を入れている。
デジカメから一歩先に行かないと。
うまくいかなくても、ここが勝負時だ。
見てください。
気合を込めての一瞬
みんなが観ているぞ。
綺麗な藤
こんな色があるの つつじ
禅林寺山門
迷いは結果を駄目にする
ラッシュの影響で電車が毎日遅れている。今日も総武線に乗り換えたが、逆効果。高齢者が多く、譲りあう人が多い。私でさえもたたなくてはいけない。我慢して中央線快速で新宿まで行った方が安全みたいだ。
寒暖差か凄い
朝、自転車を漕いでいた時はいい天気だったが。
爽快な気分が急変。
夕方には冷たい雨が。
M君からの情報
今年は寒暖の差が大きく、着るものを考えてしまいます。
4/18(金)の日刊工業新聞の5面に、いすゞ自動車の工業学校が1951年の開設以来初めて建て替えをする、との記事が出ていました。
図書館には業界新聞は無いかも知れませんが詳細をご覧になれたら、と思います。
交通事故
春日通りの交差点(春日駅)で人身事故。
左折のワゴン車に巻き込まれたらし。
救急車が来る前なので血を流して道路に横たわっていた。
横断歩道も決して安全ではない。
LEO君 シャンプー・カット
ライオン丸から変身できるか、LEOクン。
昨日も、マツキヨのまえで抱っこしていたら、通りすがった人から、「ぬいぐるみみたいですね」と言われた。
嬉しいようで、良く考えると、「ぬいぐるみを抱っこしているお爺さん」は、「変なお爺さん」と思われているのだろうな。
山田動物病院に行く前に散歩。
天文台通りは色変化。
竹の色がアクセントか。
道路の道端に咲いている花が可愛い。
不満なのは国立天文台の正面が汚いこと。
三鷹市に愛着がないみたいだ。
普通ならば入口は綺麗に職員が手入れをすると思うのだが。
独立法人・・・。生き残るのは格式だけでなないよ!
自分も床屋さんへ 至極の時間
オカモトヘアーサロンさん。
マスターと話をしている時と、髭を剃ってもらっている時。
とくに席を横にしてもらうとなぜか全身の力が抜けてしまう。
脱力というのだろうか。快感。
絶対俺にはできない職業。
久しぶりに味の民芸に
なぜか、肉すきうどんが食べたくなった。 890円。
ちょっと前に行ったときは味が変わっていた。
今日はちょっと味が戻ってきたような気がする。
栄養をつけないと。
新緑の観音院
四季を楽しませてくれる観音院。
自分の気持ちを落ちつけたいときフラッと寄る。
武蔵野市立境北小学校 5・6年生担任 中原信夫先生 告別式に参列
場所:光隆寺・立川別院
日時:平成26年4月19日 午後1時から
中埜君、菊池君、古瀬君、川崎さんと私。昨日のお通夜には15名が参列したという。
それぞれが猛烈な思い出を持っている。
中原先生は文集作りが好きだった。それも手作りだ。
寒かった。実は、5月24日に境北小学校中原クラスの同窓会が予定されていた。
おそらく楽しみにしていたのだろうな。そんな顔をしていた。しのぶ会になるだろう。
俺が教員になり、いちばん目指していたのは中原先生だった。
身体ごとぶつかりながらきちんと記録を残すということ。
俺も、一歩でも近づけるよう自分のHPの作成に全力を尽くそう。合掌。
学級詩集 蜂の巣
昭和31年6月15日発行 NO1 後記
この詩集をもっと早く発行したいと思っていましたが、なかなか仕事が進まず、やっと皆さんに読んでいただける様になりました。
詩は私達の生活でなければなりません。生活の中にこそ詩があるのです。私達はもう一度、自分自身の生活をふりかえってながめてみましょう。
そこには、楽しさも、うれしさも、又おかしさも、そして苦しさも、悲しみも、心配なことを・・・・・・。それを、そのままかいて見る。そのことから先ずははじめましょうね。
この詩集を入力している時、テレビ番組で「千の風になって」が流れてきた。
たくさんの思いが溢れ、涙がこぼれてきた。
突撃 アッとホーム「秋川雅史“千の風になって”奇跡のコンサート」
久しぶりにテレビを見ながら涙を流した。
今日は、中原先生だけに集中した。
いろんな写真があったが、これが当時の熱い思いを表した絵のような気がする。大玉ころがし。
最後はLEOクン。明日は変わっているよ。
先日こんなメールがあった。
境北小学校の5・6年担任だった中原信夫先生が4月12日(土曜日)に亡くなられました。
俺の率直な感想。
デカくて馬力のある先生だった。
若いから、時には暴走する。
あの時代が要請した先生だった気がする。
熱心だった。
版画集・詩集などを手づくりした。
私は、当時照れ屋だったため、フォークダンスで女のコと手を組むのが嫌だった。「こら!」と先生に怒られた。こわいんだ、迫力があって。
跳び箱、自由回転など体育にも力を入れていた。みんな、出来ないながら必死に取り組んでいた。
中原先生が卒業生に本を贈ってくれた時の添え書き
2005年(平成17年)3月25日 卒業生のみなさんヘ
中原信夫
境北小学校に勤めていた私は、学校がなくなって、ずっと根無し草のような、心もとない気持ちですごしてきました。きっと皆さんも同じ思いではないかと推察しております。
そこで皆さんとともに、「こんな学習をしてきたのだ」という記録を残しておきたいという思いに駆られて本を出すことにしました。
また、昨年は長崎の少年の幼児投げ捨て事件や佐世保の同級生殺人事件など、犯罪の低年齢化現象がありました。さらに親の子殺しや誘拐など、子供が被害者になる事件も多発しております。
これらの報道を聞くたびに、私はいてもたってもいられない焦燥を覚えました。私はこれらを防ぐには、子供を取り巻く環境の整備に意を尽くすことは勿論のこと、子ども自身がもっとたくましく変わることが必要ではないかと考えております。体を鍛え、知性を磨き、感性を高めて危機に対する予知能力を旺盛にすることが大切であると思っております。そこで、かつて私が皆さんとともに実践してきた教育活動を紹介して、「表現活動」や「人間関係の在り方」や「能力開発」等を枝差して、現職の先生方の役に立つならば、と考えた次第です。
本当はもっとたくさんの資料があり、多くの皆さんの活躍を書きたかったのですが、紙数の関係でできませんでした。
この本に名前が出ている人も、出ていない人も、ごめんなさい。
もう一つは、同窓会を開いたお礼の文書。
2005年(平成17年)7月4日
熱射病にでもなりそうな暑い日が急にやってきました。先日は九年振りのクラス会を開いて戴いて有難うございました。皆さんの顔を見ていたら六年生の頃の顔が彷彿と浮かび上がってきて、懐かしくかつ嬉しくなりました。考えてみると皆さんも還暦を迎えられたのですね。
終戦直後の食糧不足の時代を赤ん坊で過ごし物心つく頃に朝鮮戦争があり、小学生の頃は、砂川基地闘争などがあり、落ち着かない世祖がしばらく続きました。そんな中で流行した歌が、「ケセラーセラー」だったように記憶しております。
思い出すものは、どれもこれも懐かしいものばかりです。これから先も、がんばってください。また 第二の人生を歩まれる人も、気持ちを新たに生き抜いてください。私もまだ負けない気概で頑張ります。
乱文ですが、お礼とさせていただきます。
(平成17年 2005年 6月18日 新宿車屋での同窓会の集合写真)