ブログを毎日更新しようと言う気持ちが失せた。燃える情熱が弱まってきた。年のせいだけではない。生きている対象があまりにも無残であるから。
ちっぽけなひとりの人間が叫んでもこだますら帰ってこない。
ラグビーだけではない、スポーツも勉強にも
文藝春秋11月号は、「日本再興の鍵は教育にあり」池上彰、佐藤優という見出しで買ってしまった。ペラペラとめくったところに「ラグビーW杯 五郎丸歩のサムライ魂」という見出しに惹きつけられた。スポーツライターの大友信彦氏の記事だ。まだアメリカ戦の余韻が残っているので熱い気持ちで読んだ。
「日本人は従順すぎる傾向があります。自分で判断し、決断するのが苦手です。これはラグビーという競技にはマイナス要素です。ただ、決めたことを責任を持って遂行する能力、我慢強さがある。我々はこれを武器にして戦わなければなりません」とエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチは言う。
日本が南アフリカを破った翌日、短文投稿サイト・ツイッターにこんなメッセージが寄せられた。
「ラグビーが注目されている今だからこそ日本代表にいる外国人の選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ」
投稿者は、南アフリカを破った試合でトライとゴールキックあわせて24得点をあげ、歴史的勝利の立役者となった五郎丸歩だった。
五郎丸の不動心が最後の最後で崩れた。2019年日本開催にしっかり繋げて欲しい。開会式は味スタにあるのかな?感動する地域にしないと!
<フェイスブックの記事>W杯ラグビー2015大会 一次予選
日本対アメリカ
感動した。勝ったこともそうだが、インタビューを受ける選手の答えにブレがなかった。チームが一丸になっている証拠。
①ベスト8に残れず残念。
②歴史に残るインパクトは与えられた。
(世界からリスペクトされる日本ラグビーはできた。)
アタッキングラグビーを継続し2019に向けハードワークする。
五郎丸の存在は大きい。安定感あるプレー。得点力。
早く寝て3時半に起き生を見た。アメリカが前で仕掛けたことで苦戦はしたが、3トライをあげ28対18で勝った。
10月10日は体育の日 東京オリンピックに
私は、満69歳。東京オリンピックの時は19歳。半世紀を生きてこられたのだ。幸運というしかない。亡くなった両親に感謝するしかない。
50年前の自分は夢や希望もなく、東京オリンピックだけを楽しみにしていた。
昨年のブログに当時のことが書かれている。参考までに。
昭和39年3月工業高校を卒業し、4月から仁丹テルモ幡ヶ谷工場生産四課に配属されていた。プラスティックの射出成型で体温計の本体を作る職工さん。体力自慢の俺でさえ折れそうになった。12時間勤務は応えた、それ以上に単能工が耐えられなかった。夜勤の立っぱなしの12時間労働は・・・。半年も過ぎ職場に嫌気がさしているところに東京オリンピックの開催。
思い出に残るのは、
ブルーインパルス
オリンピア(記念タバコ)
アベベ(裸足のランナー)
初めて煙草を吸って眩暈を起こしたこと。
今年も快晴だった。50年で何が変わったのだろうか。負けん気は変わらない。ただみんなと同様、年齢的に体力は落ちてくる。最近思っていること。若い時は若い時の楽しみ方があり、高齢者は高齢者なりの楽しみ方があるはずだ。でも、政府が考えているのは、「ゲートボール」で何が文句あるという姿勢だ。ゲートボール場もなくなりやっている人も少ない。じゃ、何をやればいいのか。「寂しい」「話がしたい」という普通の声だ。その声をどう実現するかが私たちに与えられた任務と思う。
心地よい汗で満喫
ナイターテニスで楽しいひと時を送れた。汗の快感は忘れられない。ただ打ちすぎて右手が思うようにならない。力が入りすぎているから。要領よくテニスができないと。最近、フットワークがよくなったような気がする。気のせいか。
そんかとくか
人間のものさし
うそかまことか
佛さまのものさし
相田みつを
いつ来るんだ ノーベル文学賞 村上春樹さん
村上春樹さんがノーベル文学賞を今年も受賞を逃しましたね。年齢的にも今年こそはと思っていましたが。残念です。でも、賑やかですね外野が。平成24年2月から1年間千駄ヶ谷のある学校に勤務した。鳩森八幡神社が息抜きの場所であった。冷ややかな人間関係に苦しみ何度も神頼みをした。神様に助けを求めるようじゃダメだね。
ヤクルト優勝の年、神宮球場の外野で啓示を受け作家になった村上春樹さん。来年も期待するファンがいる幸せ。朝日新聞 夕刊 素粒子
ハルキスト そんなところにも縁が
鳩森八幡神社 平成24年(2012年)2月5日 初めて参拝
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151008-00000068-asahi-soci