みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 病院へ洗濯物を取りに行く

2022-08-14 07:46:00 | 日記


昨日の午後、梅やんの洗濯物を取りに行き、代わりに口腔ケア用のスポンジを差し入れて来ました。


上那賀病院の窓口で4日〜7日までの医療費700円を支払い、診療明細書をもらいました。入院当初は、5リットル毎分の酸素吸入治療でしたが、酸素流量は次第に減っています。心不全による体液貯留を減らす薬や抗菌剤の点滴が行われています。喀痰吸引や摘便も行われています。



外来受診ではできない入院での重症者管理の治療を受けて梅やんは回復しつつあるようです。


追ったてダム。


途中、フミ伯母宅とチイ伯母宅に寄り、病状を報告して、私は三好市へ帰りました。夜道ではイノシシ親子の群れとニホンジカに出会いました。
今日は8月14日、お盆です。明日は終戦の日。
それでは今日はこの辺で。












みなみの梅やん介護日誌 梅やん、入院1週間、快方に向かう

2022-08-11 07:01:00 | 日記



昨日は暑い日でした。高城山、天神丸が遠くに見えます。


8月10日。チイ叔母にお願いして上那賀病院まで梅やんの洗濯物を取りに行ってもらいました。看護師さんに様子を尋ねたら、梅やんは毎分酸素1リットルを吸いながら、目を開けて、おはようと答えるようになったそうです。
多分、肺炎は治りつつあると思われます。来月は予定どおりの介護計画を準備しておきます。


子どもたちは夏休み、もうすぐお盆です。みなさんお元気で、この夏をお過ごしください。それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 梅やん、まだ意識障害あり

2022-08-08 22:23:00 | 日記


今日は涼しそうな大轟の瀧を見ながら、上那賀病院へ行って来ました。


梅やんの洗濯物を取りに行きました。看護師に梅やんの様子を聞くと、まだ意識がもどっていませんが今日から栄養を再開したそうです。毎分3リットルの酸素吸入をしながら指先の酸素飽和度は96%あるとのことでした。


帰りにチイ叔母宅に寄り、次回の洗濯物を取りに行くのをお願いしました。


西三子山。


私の車は実家がある左へは行かずに、右へ、神山の峠を通り三好市へ向かいます。


白い花が咲く頃。白い花が咲いてた、ふるさとの遠いあの路、さよならと言ったら、さよならとこだまが呼んでいた、悲しかったあの時のあの白い花だよ。


気になることは、目が開かず、意識が戻らないことでした。梅やんと共に旅したこの歳月がそろそろ終わりかけているのでしょう。
それでは今日はこの辺で。










みなみの梅やん介護日誌 梅やん、連絡来ず、無事。

2022-08-06 05:25:00 | 日記
梅やんは上那賀病院に4日午後2時に入院しました。急変すれば私に連絡してくれることになっておりますが、6日になっても何の連絡も有りません。


昨日、ユキ妹を6時45分の沢谷発の一番バス停まで送り、私は10時に実家を後にしました。


この1週間の間にオニユリは花が落ち、ヒオウギが花をつけ始めました。


私の車は久しぶりに神山の峠を越えて三好市に向かいます。


梅やんがよく利用させてもらった大中尾の公衆トイレで休憩。


倉羅峠から遠く高城山の国土交通省の雨量計が見えます。
午後2時に三好市井川町に着いて、そのまま理容店に入り散髪をしてもらいました。
この1週間は梅やんにとって大変な日々でした。


7月30日土曜日の新聞は、新たに県立海部病院で新型コロナのクラスターが発生したことを報じていました。7月29日に梅やんが入院できなかったのはこうした事情があったのだろう。8月1日に紹介状を持って上那賀病院を受診したけれど入院の部屋が開きそうに無くて自宅療養し、2日には薬だけもらいに行き、3日には木沢診療所を受診し、4日にやっと部屋を開けてもらって上那賀病院に入院できたのです。ここもベッドは有っても看護師が足りないのです。入院時検査でCRP炎症反応は0、9だったそうで、7月29日検査値は11でしたから外来の抗生剤が効いていたそうです。誤嚥性肺炎と尿路感染が同時に進行していたのです。
ということで、今後1ヶ月間の入院期間中は週の途中で洗濯物を取りに行くだけになります。

それではしばらくこの日記を休みます。










みなみの梅やん介護日誌 梅やん、肺炎で入院 

2022-08-05 05:15:00 | 日記


昨日、午前3時、口腔からの吸引で褐色の膿性痰がチュウブの吸引口に垂れ下がって出てきました。一吸いで30センチの量でした。


梅やんの手指の血管の酸素飽和度は吸引中に酸素マスクを外すと、みるみるうちに61%まで下がりました。


気管内の膿性痰を吸い出した後は、3リットル毎分の酸素吸入下で97%までSPO2は回復しました。


意識不明の梅やんはチイ叔母が来てくれても目を開けません。


ユキ妹に着替えをしてもらいました。


梅やんはボンベから3リットルの酸素吸入を受けながらマイカーの指定席に乗り込みます。


梅やんの車はかつてデイサービスに通った沢谷の出合の辺りを上那賀病院目指して走って行きます。


私が子どもの頃、ユキと私の手を引いて梅やんが坂州の診療所へ歩いて行った三田付近の道。


途中、マツモト理容店の前で主人に、意識不明になった、上那賀病院に入院すると私が告げて車は走ります。
フミ叔母が手を握り声を掛けてくれました。梅やんは反応しません。




午後2時前に上那賀病院に到着し、徳島市から来たセツ姉が見てくれてから、入院しました。


CT撮影で右肺の肺炎、両側胸水が有り、慢性心不全と尿路感染症。呼吸困難、意識レベル低下。二酸化炭素ナルコーシス昏睡という説明を受けました。
左肺は無気肺というのは聞いていましたが、右肺が肺炎というのには驚きました。しかし、すでに抗生剤が入っておるし、酸素も入っておるし、多量の痰の吸引の処置も家でしていたので、炎症を抑え込んでいるとの医師からの説明でした。
1ヶ月の入院期間の見込みです。回復すればまた同じようにショートステイで在宅療養して行きましょう。
梅やん日記を見てみると、7月17日と18日に2回の抗生剤を家で投与していたのが幸いしたようです。


現在残り2錠あります。これとは別に7月29日から海部病院の抗生剤処方薬が続いていましたから、炎症反応が少ないのです。
それでは今日はこの辺で。