みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの海やん介護日誌 昨夜に木沢へ

2022-09-25 05:06:00 | 日記




昨日、私は午後7時半に木沢の実家に着きました。途中、神山の峠道で他所の車同士がカーブで対向する際に岸の側溝にタイヤを落とし込んで難儀していました。近くの「岳人の森」の山田さん夫婦が通りかかり、チルホールというワイヤー牽引吊り上げ機を取りに行ってくれて、無事に溝から脱出することが出来ました。私は良いジャッキを積んでいましたが、出る幕もなく1時間ほど見ているだけでした。「岳人の森」は沢山の人を救助しています。壁には警察署長の表彰状があります。


さて、今日から梅やんの在宅療養が始まります。胃ろう管理と痰の吸引と、在宅酸素療法などに頑張りましょう。
朝の10時ごろまでに日和佐へ迎えに行きます。
それでは今日はこの辺で。



みなみの梅やん介護日誌 台風過ぎて

2022-09-21 06:55:00 | 日記


昨日は台風14号が通り過ぎたので夕方から木沢へ実家の様子を見たり、梅やんの書類を取りに行きました。神山側の峠までは田村組さんが、木沢側の峠までは新居組さんや地下足袋王子さんが土砂を取り除いてくれた後でした。いつもありがたいことです。
家はスギ芝が一杯で手に負えないのでそのままにしておきました。ヤギは雨に洗えて身体がきれいになって居ります。


梅やんの新型コロナワクチン4回目を打ってもらうために接種券予診票を取りに行って来ました。今日、施設へ郵送で送ります。


ひんやりとした秋になりました。
それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 梅やん、ショートステイ

2022-09-16 05:00:00 | 日記


昨日は、梅やんが40日の入院を終えて出て来ました。私より先に叔母たちが病院へ着き、待ってくれておりました。
叔母たちの問いかけに、梅やんはしっかりうなづきます。顔や足が痩せて全身の浮腫がなくなっておりました。呼吸は楽そうにしておりました。


梅やんは医師や看護師さんたちのお陰で命が救われました。本人の生きようとする力が強いと思います。


上那賀病院を出ると間もなく、私の携帯電話に次の行き先の日和佐の施設から電話がかかって来ました。梅やんは元気で予定通りですと、私が答えました。


これから10日間をショートでお世話になります。
木沢の社協に紙おむつと紙パンツを一箱ずつ注文した。在宅酸素ボンベの補充も注文済み。今日は吸入用のネトロン管を近所の薬局に注文しよう。
それでは今日はこの辺で。






みなみの梅やん介護日誌 川成峠で涼む

2022-09-14 20:55:00 | 日記


今日は暑い日でした。私は午後2時まで池田で仕事をしてから脇町で給油して、木屋平に入り、川成峠を越えて木沢へ来ました。


峠には4時50分に着き、20分休憩して下りてきました。


昔、川成集落は平家の子孫が住み着いたらしい。かつては80人もの児童がいたと言う。

明日は梅やんを上那賀病院から日和佐のショートステイに移動します。さあ、元気になっているでしょうか。
それでは今日はこの辺で。





みなみの梅やん介護日誌 最後の洗濯物取りに行く

2022-09-12 19:37:00 | 日記

私は2日連続で四季美谷温泉に入りました。


四季美谷温泉は町外の会社が運営してくださっています。こんな山奥の職場に来てくださる従業員に感謝です。
昨夜は夕食のシカ肉丼を買ってきました。美味しいです。


イタズリの漬物も買ってきて食べました。


1週間留守にしていたら、大ネズミが仏壇のご飯を食べて転がしていました。昨夜は午前2時まで居間でうたた寝していたのに、また、大ネズミはそのあと来たらしい。

午前中に1時間、家の屋根際の草刈りをしました。苦しい息遣い、脈拍が100、70歳には重労働だが、父母はよく頑張ったものです。
午後、上那賀病院へ梅やんの洗濯物を取りに行きました。静かな山ですね。中学3年の時、那賀郡のマラソン大会に宮浜中学校へ行ったことを思い出しました。あの頃は町のような賑わいでした。


木沢にも秋がやってきました。ススキの穂が出ています。


帰りは倉羅峠で一休み。


わたしは70歳です。
それでは今日はこの辺で。