はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

うつろな楽園 その9

2013年09月02日 08時55分38秒 | 習作・うつろな楽園
諸葛孔明が新野にやってきてから一ヶ月ほどした、五月のある午後であった。

趙雲のまかされている精鋭部隊は、近接戦にそなえての訓練をしていた。
兵に疲れも見えてきたので、趙雲は正午の昼休みを長くとって、休ませることにした。
ほとんどの兵がぐったりと木陰や兵舎で座ったり、横になったり、あるいはほかの兵と雑談して気を紛らわせたりしているなか、趙雲だけは厩舎にいって、自分の愛馬の世話をしていた。
まぐさを無心にむしゃむしゃ食べている馬の横顔というのはかわいい。
その横顔に癒されつつ、体を洗ってやっていると、副将である陳到、字を叔至が、はてな、はてな、と首をひねりながらやってきた。

この陳到という男、趙雲とほぼ同年代の武将なのだが、気の毒なくらいに華がなく、しかも行動にあまりにそつがないため、他者にあたえる印象がうすく、まわりからついつい忘れられやすい男であった。
面相にしても、みごとに十人並みで可もなく不可もなく、特長らしい特長がない。
一度や二度くらい会っただけでは、陳到の顔を覚えられないだろう。
だが、かれは趙雲と行動をともにしているだけあり、武芸の腕に長け、そればかりではない、情報収集においては、右に並ぶものがないほどの手腕を見せた。

その陳到が、きつねにつままれたような顔をして近づいてきたので、趙雲も怪訝におもい、たずねた。
「どうした、叔至、昼食に変なものでも食べたか」
「いえ、昼食はおいしくいただきました。そうではなく、はて、なにがなにやら」
言いつつ、陳到は手にしていた書簡を趙雲に差し出した。
「妙な書状が届きましてございます。趙将軍宛だったのですが、渡しに着たのがたいそうな美少女だったとかで、張飛どのがそれを見ていて、横から書状をとりあげて、中身を読んでしまったのでございます」
「なんだと、あいつめ、人のものまで読むか」

劉備は趙雲のことを四番目の義兄弟とおもっていて、張飛もそれはおなじようであった。
ところがそのため、張飛は趙雲をすこし軽く見ているところがある。
私生活を城ではめったに見せない趙雲に興味津々の張飛は、なんとかそのヒミツを探ろうと、あれやこれやとろくでもない行動をとるのだった。
以前など、行きつけの酒場で女に会っているのではと勘ぐられ、二十日あまり、酒場で同席しなくてはならなかったことがある。
酒場で会う女など、はじめからいなかったのだが。

さいきんでは、徐庶と孔明の命令で将軍職にある者たちは兵の調練に忙しい。
そのため、となりがなにをしていようとかまっていられないはずだったのだが、張飛にかぎっては、余裕があったようだ。
いや、余裕などないのかもしれないが、たまに身内にいたずらをして鬱憤を晴らさないことには、いまの城に漂う緊張感に耐えられないのだろう。

「どんな内容の書状なのだ」

つづく…

うつろな楽園 その8

2013年09月01日 08時55分26秒 | 習作・うつろな楽園
「こういうものだとおもっていても、やはり、あまりいい気持ちはしません。仲良くなりすぎる必要はありませんが、挨拶くらいは気持ちよくしたいではありませんか」
その気持ちはわかる。
趙雲が、そうだな、と相槌をうつと、孔明は身を乗り出してきた。
「子龍どのなら、なにかよい方策をご存知なのではとおもったのですが」
「なぜおれに聞く」
「主公が、困ったことがあったら、糜竺どのか子龍どのに聞けと。糜竺どのにたずねようとおもいましたが、あの方は徐兄の仕事を言い付かっていて、とてもいそがしい。そこで子龍どのにおたずねしているのです。どうしたらあのお二人とふつうに挨拶ができるようになるでしょう。やはり実力を認めてもらう以外に手段はないでしょうか」
「わかっているではないか。それ以外に方策はないだろう。おれもそうだった」
「ほら、それそれ。子龍どのがどうやってみなに仲間と認められたのか、そのはなしが聞きたいのです」
「べつに語って聞かせるほどの話はないぞ。最初は、あのふたりはおれを公孫瓚のところにいた若いの、というふうにしかおもっていなかった。しかし戦や小競り合いでおれが功を立てたのを見て、認めてくれたらしい」
「なるほど」
「これはお節介なことばかもしれぬが」
とことばをつむぎつつ、趙雲は、なんでこの軍師に、おれは余計な口をきいているのだろうと不思議に思った。
趙雲は主騎を任されるほど寡黙で、無駄口はほとんどたたかないということで城内でも知られていた。
自分でも、あまり能弁ではないほうなので、黙っていたほうが気楽だとおもっていた。
ところが、この軍師のまえでは、妙に口が軽くなる。
「がっちり古い絆で固まった仲間というのは、本来はそう性悪というわけでもないのに、よそ者があたらしく入ってくると、変に意地悪になるものだ。ちいさな意地悪や無視はしばらくつづくかもしれぬ、だが、それを乗り越えて、陣営に留まりつづければ、やがて連中のほうが折れて、ぎゃくによく我らが元に来たと歓迎してくれるようになるだろう」
「へえ、いいですね、歓迎してもらえるというのは」
「妙に力んで目立つ必要もない、ほんとうに力がありさえすれば、じきにみなにそれがわかってくるだろう。ま、いまが我慢のしどころだな。自分が試されている時期なのだとおもったら、さほどちいさなことにとらわれずにすむはずだ。それに軍師はまだいいではないか、徐軍師という仲間がいるのだし」
「それもそうですね。細かいことにくよくよせず、大局を見たほうが良さそうだ」
「そうだ。みな、自分たちの上にだれかがつくという状況に慣れていないので反発しているだけだ。改める者は憎まれる者でもある。あんたたちが急ぎすぎたり、主公の親愛をいいことに強硬な態度に出たりしないかぎりは、きっとうまくいくだろう。それと、いまは信じられぬかもしれぬが、ここにいるやつは、みんないいやつだ」
「あなたがそういうのならば、そうなのでしょう。ありがとうございます、だいぶ気が晴れました」

真正面から礼をいわれて、趙雲はおもわず照れた。
直言を吐いたおのれにもびっくりだが、それを曲げずに受け止め、よろこんでいるこの素直さにもびっくりだ。
軍師、兵法家というと、頭はいいけれど、どこか計算づくなところのある、いやみなやつが多いものだが、孔明はそういった人間とは質がちがうようである。

工房から徐庶が孔明を呼んだので、かれは、かさねて、ありがとう、と言って趙雲のとなりから去った。
そのさわやかな態度に、趙雲のこころも、いくらか清く洗われたような気がした。

つづく…

うつろな楽園 その7

2013年08月31日 09時39分20秒 | 習作・うつろな楽園
なにがおかしいのだろう。いぶかしみつつ、趙雲はたずねる。
「弩の研究は進んでいるのか」
「おかげさまで、なかなかよいものが出来ました。完成しましたなら、子龍どのにもお見せしましょう」
それは楽しみだ、と社交辞令をいうと、孔明はまたうれしそうにわらった。
さわさわと薄緑色の葉を揺らしながら、心地よい風が吹きぬけていく。
その風が、衣の裾を払っていくのを見つつ、なかなか立ち去ろうとしない孔明に、まだなにか話があるのだろうかと趙雲はおもった。
そも、趙雲と孔明は、これまで職務についてのことばなら交わしたことはあるが、私語をかわしたことがほとんどない。
それはお互いが私語を避けていたというわけではなく、単に、その機会がなかっただけだ。
それほどに、いまの新野城は曹操にそなえていそがしかった。

しばらく黙ったまま、太鼓はまだ鳴らないか、とかんがえていた。
太鼓が鳴れば、なんとなく、この気詰まりな空気もなぎ払われるような感じがしたのである。
しかし、太鼓がどんと鳴るまえに、孔明が言った。
「子龍どのは関羽どのたちのあとから主公の家臣になられたのでしたね」
そうだ、と答えると、孔明は、ことばを探り探り、つづけた。
「つまり、新入りだったことがある、ということですね」
つづけて、そうだ、と答えると、孔明は顔を趙雲のほうに向けて、真剣な面持ちでたずねてきた。
「新入りの心境は、あなたならよくわかるはず。こういうものですか」
「こういうもの、というと」
どんなものだ、とたずねているなか、太鼓がどんと鳴った。
いっせいに、兵卒たち、それから将軍たちが解散して、めいめい、食堂にいったり、兵舎や自室にもどったりしていく。
すると、工房に面した庭を関羽と張飛が連れ立って、横切ろうとしているのが目に入った。
関羽と張飛は、それまで互いに銅鑼のような大声(といっても、かれらにとってはそれがふつうの声である)をたてながら、にぎやかに話をしていたのだが、中庭に趙雲、そしてとなりに孔明がいる、というのがわかると、いきなり叢に突っ込んできた人間に無言の抗議をする鈴虫のように、ぴたりと口を閉ざし、不機嫌そうな顔をして、つんとした表情で通り過ぎようとする。
関羽のほうは、まだ大人で、趙雲と孔明のほうに、不機嫌そうにしながらも、ぺこりと頭を下げていくが、張飛のほうは態度があからさまで、鼻をふくらませつつ、孔明のほうをじろりとにらむと、ふん、と顔をそむけて、そのまま二人連れ立って行ってしまった。

「こういうことですが」
孔明のことばに、趙雲は身内の粗相が自分に原因があるかのような気まずさをおぼえつつ、関羽と張飛が完全に行ってしまってから、答えた。
「まあ、あんなにあからさまな態度をとられたことはないが」
「するとわたしは相当にきらわれているということですな」
と言いつつも、孔明はさほど傷ついているふうでもない。
というよりも、もう二十八にもなる大のおとなが、ちょっと無視されたくらいで大騒ぎしていたら、この先、やっていられない。
孔明は張飛たちが去って行った方角を見ながら言った。

つづく…

うつろな楽園 その6

2013年08月30日 09時41分53秒 | 習作・うつろな楽園
このいっぷう変わった名前の青年は、ことし二十八になったばかり。
徐州は瑯琊の出身で、知性を宿したつよい光を持つ双眸が特長の、じつに眉目秀麗な若者であった。
このふたりは仲良く組んで、袁紹の残党を掃討し、中原を完全に手に入れた曹操が、確実に南進してくるのに備えていろいろ目新しいことを実行している。
とくに孔明のほうは、さっそく城内の工房に出入りして、あたらしい武器を開発したり、既存の武器の改良をしたりと、工作をあれこれやっていた。
孔明にいわせれば、兵数で劣るのなら、武器の精度を高めれば、いくらか勝機も見えてくる、ということである。
かれは弩の研究に集中しているようであった。
さいきんでは、小型の弩をつくって、城の庭でみずから練習している姿なども見かけられるようになった。

劉備はそんな孔明を、頼もしい者を見るようなあたたかい目で見守っている。
そのお供で趙雲も工房に顔を出す。
劉備のほか、徐庶も顔を出し、改良された弩について、あれやこれやと意見をたたかわせているなか、趙雲は、剣を抱いて、工房の外階段にすわって、劉備を待っていた。
工房は城の庭の一角にあった。
新緑が、風にざわざわと揺れる。
趙雲は目を閉じ、その心地よさを体感していた。
五月の夕暮れどき、そとでじっとしていると、だんだん風がつめたくなってくるのがわかる。
そろそろ調練の終了をつげる太鼓が鳴らされる頃合だなとおもっていると、となりにだれか座った気配がある。
目をひらいて見れば、新入り軍師の孔明であった。

趙雲は、もともと人に好悪の感情をつよく持たないたちだったが、孔明と徐庶には好感を持っていた。
それは、ふたりが趙雲にいい役目を与えたとか、愛想がいいとか、そういった小さな理由ではなく、ふたりが劉備の大のお気に入りだというところが理由だった。
趙雲は劉備という男を心の底から尊敬している。
その劉備が熱をあげているふたりである。
悪いやつであるはずがないのだ。
まして、孔明のほうなどは、あんまり話がはずんでしまうので、寝るときも同じ寝台で寝て話をつづけるほどの劉備の熱愛ぶり。
劉備の主騎である趙雲から見たら、劉備は子供にかえってしまったかのようだった。
ともかく、孔明のことば、思想、哲学、すべてに熱狂しているのである。
そして、かれのいうことをじつに素直に聞く。
で、ここが肝心なのだが、孔明と徐庶のかんがえはほぼ一致している。
孔明は徐庶の代弁者でもあるのだ。
劉備もそれを心得ていて、孔明ばかり贔屓するのではなく、徐庶のほうも尊重して、いつもその前では、先生、先生、と謙虚に頭を下げる。
凡人なら劉備のへりくだった態度に面食らうか、あるいは逆に奢ってしまうところであるが、徐庶も孔明もそういう素振りはまったく見せなかった。

「よい風ですねえ」
話のとっかかりをつかもうとするように、孔明がつぶやいた。
趙雲は、短く、そうだな、と応じた。
この愛想のよい新入りは、身の丈八尺の細いからだに、新緑の季節にぴったりの白緑色の衣をまとっていた。
この軍師、相当に金があるのか、あるいは極端な洒落者なのか、更衣のたびに、あざやかな衣裳を身にまとって現れる。
そのことが、どちらかというと流行にうとい新野城のひとびとにはおどろきの目で見られていた。
趙雲は無意識のうちに、おのれの飾り気のなにもない乳白色の衣を見下ろしていた。
みすぼらしいとか、こんなきらきらしたやつのとなりに座っていていいのかな、などと引け目は感じない。
だが、すこしばかり、自分が野暮な田舎者になったような気がして落ち着かなくなるのは仕方なかった。
とはいえ、趙雲はそれを態度や言動にはいっさい出さない。

趙雲が孔明を見ると、かれは、なぜかうれしそうに、にっ、とわらった。

つづく…

うつろな楽園 その5

2013年08月29日 09時18分54秒 | 習作・うつろな楽園
なんだか変なやつだなあとおもいつつ、樊城への二晩をともに過ごした。
道々、いろんな話を(ほぼ一方的に)張伸がしたが、かれはいままで、病弱であったから、幼少のころから家をほとんど出たこともなく、学問も家庭教師におそわってきたばかりで、昨今はやりの学問サロンには出入りしていないという。
乳母が戦の激しかった冀州から流れてきた女で、この女から、戦の悲惨さ、民の舐めた苦汁などをこんこんと聞かされて張伸は育った。
病弱を理由に、外に出ることもほとんどなく、こんかい、民のため、いてもたってもいられなかったので、ひさびさに長旅をしたということだった。

ああ、それで、こいつの考えはだいぶ偏っているのだなと趙雲はすこしばかり気の毒におもった。
切磋琢磨できる友人がいなかったので、自然と考えが極端な方向に行ってしまったのだろう。
非戦とは、うつくしい理想だ。
もし実現できるというのなら、趙雲は本気で手を貸してやってもいいとさえおもう。
とはいえ、張伸の、名家や墨家ともちがった、守りもしないで逃げる、というかんがえには、やはり同調しかねる。
曹操から逃げて、逃げて、それからいったいどこへ行くというのか。
逃げた先にもやはり人がいるだろう。
先住の人間と対決しなくてはならなくなった場合は、どうすればいいのか、そういったことを、張伸はかんがえていないようである。
つきつめると、論旨にいろいろ甘いところが見えるので、趙雲はそこをたずねるのであるが、張伸は、逃げる先は未開の新天地。先住の人間と戦うことはない、と夢のようなことをいって、とりあわない。
未開の新天地というからには、逆にいままで人も住めないような土地で、だから放置されていた土地ではないか、と趙雲がさらに問うと、子龍どのは心配性ですな、未開の新天地はあるのです、と妙に自信たっぷりに切り返されてしまった。
とはいえ、その新天地とやらが具体的にどこを指すのかは、張伸はこたえなかった。
もし南の交州あたりを指しているのなら、あそこは排他的な蛮族もいれば風土病もあるわで、新天地などという希望に満ちたことばにそぐわないところなのだが。
張伸は、趙雲と語り合えてうれしいらしく、新天地には、大好きな桃をたくさん植える、という細々としたことまで語った。

張伸を襄陽の実家に送り届けると、そのまま、寄り道せずにまっすぐ新野へ帰り、劉備に、だめなやつでした、と報告した。
劉備はそうかい、といって、それきり、若い説客のことを口にしなかった。
趙雲も、かれを忘れた。






それから四年後の建安十三年の春に時間は飛ぶ。
劉備は念願だった有能な軍師を手に入れて、かれらに城の改革と采配をまかせるようになった。
かれらというのは、荊州の学問サロンの生え抜きであるふたり、徐庶、字を元直と、諸葛亮、字を孔明である。
徐庶のほうは、趙雲とおなじくらいの年ごろで、寡黙だがたいへん的確に周囲に指示を出す男だった。
静かな中にも凄味の宿る風貌をしており、そこに共通点を見出すためなのか、荒くれ者のおおい新野城の面々も、徐庶のいうことはふしぎと素直に聞く。
そして、この男が紹介し、劉備がその庵を三度も訪ねて、やっと招聘に成功したというのが、諸葛孔明のほうである。

つづく…

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