はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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赤壁に龍は踊る 三章 その11 深夜の冒険

2024年06月07日 09時57分35秒 | 赤壁に龍は踊る 三章



梁朋《りょうほう》は夕暮れまで戻ってこなかった。
そろそろ帰って来いと呼びにいくかなと徐庶が考えていると、その梁朋が、建屋のほうから、息を切らせて駆け戻ってくる。
「どうした」
徐庶が問うと、梁朋は、きょろきょろとあたりを見回してから、小声で言った。
「おかしなことがあります」
「どんな?」
「建屋の後ろに、小さな扉があるんです。
あそこから、医者の部下みたいな連中が、人を運びだしているんです」
「なんだと、だれを運び出しているのだ」
「わ、わからないけれど」
ごくり、と梁朋はつばを飲み込み、それからさらに小声で答えた。
「あれは死体だと思います。布をかぶせられていたから、絶対とはいえないけれど。
元直さま、危ないよ、これは」


徐庶はそれを聞いて、暗然とした気持ちに襲われた。
予感はしていた。
戻ってこない兵士は、どこへ連れていかれるか?
新しい部署で養生しているということは考えられない。
だったら、元気になった者の姿をだれかが見ているはずである。
あの建屋には病人が集められ、そして死ぬに任せる状態になっているのではないか……


「医者の姿は見たか?」
梁朋は緊張した面持ちで、こくりとうなずいた。
「泥鰌《どじょう》ひげの、偉そうなやつです。鍾獏《しょうばく》さまって呼ばれていた」
「鍾獏か、聞いたことがない名前だが」
とんでもないやつだ、と徐庶はこころのなかで付け加えた。


「そいつが部下にどんな指示をしていたか、わかるか?」
「うん。建屋の外のどっかに死体を運ばせていました。それとね」
「ほかにもなにかあるのか」
「あります。荊州のおれたちの宿舎以外からも、病人があそこに運び込まれているみたいなんだ。
元直さま、めったなことを言っちゃいけないのかもしれないけれど、もしかしたら、は、はやり」
流行り病、と言いかけた梁朋の口を、徐庶は手ぶりで止めた。
「言いたいことはわかる。だが、それ以上は言うな。ともかくよくやってくれた。
あとはおれに任せて、おまえは宿舎に戻れ」
そう言うと、梁朋は目をまん丸にして抗議してきた。
「任せるって、どういうことです! 言ったでしょう、危ないですよ! 
何かあったらどうするんです?」
「だが、このままにはしておけん。いいか、今日見たことは、だれにも言うなよ。
おれのことも、これ以上、気にしなくていい」
「気にするなって言われたって……」
「いいか、これは監軍のおれからの命令だ。
命令違反はおそろしい罰を受けるぞ。それはわかるな?」
「わかるけれど」
「だったら、宿舎に戻れ。いいな?」


徐庶にきつく言われて、梁朋はしょんぼりと宿舎に向かっていった。
そのとぼとぼとした足取りの後ろ姿を見送って、徐庶はこころでつぶやいた。
『それでいい。おまえを面倒に巻き込みたくないんだ』


そして徐庶自身も、おのれの宿舎にもどり、長いこと使わずにいた長剣を取り出して、その腰に佩《お》びた。
ひさびさに意識して身につけた剣は、思っていたよりずしりと重く感じられた。
おそらく、それは徐庶が荊州の兵士たちに感じていた責任と同じ重さだったろう。


徐庶は、母を失って以来、長らく気鬱の病にとりつかれていた。
それが治って来たのは、荊州の兵たちのおかげだと思っている。
かれらに頼られたことで、自分にもできることがあるのだと思え、立ち直れたのだ。
かれらのためにも、この不穏な空気を払わねばなるまい。


あたりが夜陰に包まれて、兵士たちが宿舎に戻り切ったころを見計らい、徐庶は部屋を出た。
こういうときこそ、恐れられ、憚られていたことが役に立つ。
だれにも見とがめられずに、自由に動けることを徐庶はありがたく思った。


鍾獏という医者がどんな男かは知らない。
だが、おそろしく職業意識の低い、くわえて慈悲の心などみじんも持たない嫌な奴だろう。
建屋の中を見てからの話になるが、予想が当たっているなら、ぶん殴るくらいではすまないことをしているはずだ。


空には満月に近い月が出ている。
篝火があちこちに焚かれてはいたものの、宿舎から離れていくにつれ、その明かりも遠くなっていった。
だが、月のおかげで足元に不自由はない。
やがて、例の黒塗りの建屋が目の前にあらわれると、徐庶は近くの木材の山に隠れ、様子をうかがった。


昨日とおなじ顔ぶれの、頑強そうな兵士たちが入口を守っている。
『あいつらをなんとかしなければな』
建屋のとなりにある小窓は閉じられており、中を覗くにしても、こじ開けるのはむずかしそうだ。
まごまごしていたら、連中にすぐに気づかれてしまうだろう。
そういえば、梁朋は建屋のうしろに小さな扉があると言っていたと思い出し、徐庶はそちらを回ってみることにした。


すると、さいわいなことに小さな扉は実際にあって、そこには見張りはいなかった。
足音を殺して扉に近づき、開かないか確かめてみる。
だが、思うようにいかず、押しても引いてもびくともしない。
中にだれがいるかもわからないので、声をかけることもできないから、徐庶はふたたび扉から離れ、近くの井戸のそばに隠れ、様子を見ることにした。


つづく

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