※
花安英《かあんえい》のことばに偽りはなかった。
樊城の隠し村へつづく壷中の間道はすぐに見つかった。
案内人の花安英が優秀なのもあり、これまでさしたる混乱もなく、旅路はつづいている。
二日後には樊の隠し村に到着するであろう。
崔州平《さいしゅうへい》の胸に、さまざまな想いが去来する。
見上げると、夜空には、煌々とかがやく白い月が、地上の寝静まるありとあらゆるものを監視するかのように、冷たく君臨していた。
月があまりに大きく明るいために、ほかの星たちは闇にかすんでいるようにすら見える。
火の番を自ら買って出ていた崔州平は、みなの寝静まった陣のなか、ひとりでいた。
二日後は、ふたたび修羅の中に身を置くことになるであろう。
だが、いまは台風の中心に飛び込んだように、静かで穏やかな時間が流れている。
壷中は倒されなければならぬ。
壷中、つまりは、それを動かす劉表を倒す。
どうしたらよいか。
考えても考えても、名案は浮かばなかった。
だが、崔州平も、並の人物ではない。
壺中とかかわりがあろう人間が見つかると、かれらと接触をつづけ、味方にできそうな者は味方にしていった。
数年にわたる長い活動になったが、それがいつしか、壺中を潰そうとしていた曹操の耳に入ったのだろう。
曹操から、ともに壺中を潰そうとさそいを受けたとき、崔州平は仰天した。
まさか、曹操が、細作を通してではあったが、じかに乗り出してくるとは思っていなかったのである。
熟慮したうえ、曹操のさそいを受けた。
そして、崔州平は、曹操の細作たちが捕らえてくる壷中の者たちをひとりひとり説得し、仲間に引き入れた。
どんな拷問や脅しにも屈しない壷中の者にたいして、事情をよく知るうえ、自身も壺中に妹弟を奪われた兄である崔州平のことばは、魔法のようによく利いた。
仲間はどんどん増えていき、やがてひとつのまとまった組織を編成できるまでになった。
これならば、壷中と戦える。
そう判断し、崔州平は荊州でことをかまえる準備をはじめた。
崔州平のもとにあつめられる情報は、そのまま部下たちによって正確に曹操のもとへ伝えられた。
曹操はいずれ、崔州平がもたらした情報にしたがって、南下してくることだろう。
だが、曹操を迎え入れるだけでは、崔州平の復讐は終わっていない。
壷中を潰すのだ。
もうすこしだ。
もうすこし。
長年、妹弟たちが味わった苦痛、悲しみ、屈辱を晴らすときが近づいている。
これが終わったなら、妻と子供たちを追いかけて都へ向かおう。
妹弟たちもつれていく。
高位はいらぬ。
家族で平凡に、平和に暮らしていければ、それでよい。
平凡であることが、いちばんの望みだ。
単調でもいいのだ。
ともかく平和で穏やかな生活を取り戻したかった。
「州平、眠れぬのか」
孔明の張りのある声は、なぜだか人を安心させる。
まぶしいまでの美貌を持ち、臥龍と呼ばれるほどの才覚もあり、周囲に守られた幸福な生活を送っている。
天はこの人に二つも三つも美点を与えた。
そのことに嫉妬してもおかしくないのに、崔州平は、孔明を一度も本気で憎めたことがない。
孔明はすこし寒そうにしながら、足早に炎の前にやってきた。
火にあらたに小枝をのべながら、崔州平はたずねる。
「花安英は落ち着いたか」
「ああ、熱も引いてきた。おどろくべき体力だ。よほど鍛えていたのだな。
体をゆったりめの衣で隠していたので、とてもそうは見えなかった。
華奢な子供に見えていたのだが」
ここで不意に孔明は、なにかを思い出したらしい。
唇に笑み浮かべた。
「だが、わたしの主騎は、あの子は見かけ通りではない、なにかがおかしいと気づいていたのだよ。
たいしたものではないか。
わたしは武人というものは、みな愚鈍で、人を殺すことにためらいがなく、功績ばかりを求める獣と変わらない連中ばかりだろうと思い込んでいた。
しかし、あの男に会ってから、自分の思い込みや小ささを思い知ったよ。
人とは奥深いものだな。わたしなんぞ、まだまだ世間知らずだ」
孔明がおのれをそんなふうに卑下して、他者を褒め上げるとは。
興味をそそられた崔州平は、おのれの向かいに座った孔明の顔を見る。
孔明は、笑みをひっこめ、これまで崔州平が見たこともないほど思いつめた表情で、炎を見つめていた。
「州平、潘季鵬《はんきほう》という男は、君から見て、どんな男だろう」
「あれは狂人だ」
「捕虜を平気で拷問にかける男か」
「覚悟はしておけ。無事ではあるまい。生かされているのであれば、それだけで幸運だ」
つづく
花安英《かあんえい》のことばに偽りはなかった。
樊城の隠し村へつづく壷中の間道はすぐに見つかった。
案内人の花安英が優秀なのもあり、これまでさしたる混乱もなく、旅路はつづいている。
二日後には樊の隠し村に到着するであろう。
崔州平《さいしゅうへい》の胸に、さまざまな想いが去来する。
見上げると、夜空には、煌々とかがやく白い月が、地上の寝静まるありとあらゆるものを監視するかのように、冷たく君臨していた。
月があまりに大きく明るいために、ほかの星たちは闇にかすんでいるようにすら見える。
火の番を自ら買って出ていた崔州平は、みなの寝静まった陣のなか、ひとりでいた。
二日後は、ふたたび修羅の中に身を置くことになるであろう。
だが、いまは台風の中心に飛び込んだように、静かで穏やかな時間が流れている。
壷中は倒されなければならぬ。
壷中、つまりは、それを動かす劉表を倒す。
どうしたらよいか。
考えても考えても、名案は浮かばなかった。
だが、崔州平も、並の人物ではない。
壺中とかかわりがあろう人間が見つかると、かれらと接触をつづけ、味方にできそうな者は味方にしていった。
数年にわたる長い活動になったが、それがいつしか、壺中を潰そうとしていた曹操の耳に入ったのだろう。
曹操から、ともに壺中を潰そうとさそいを受けたとき、崔州平は仰天した。
まさか、曹操が、細作を通してではあったが、じかに乗り出してくるとは思っていなかったのである。
熟慮したうえ、曹操のさそいを受けた。
そして、崔州平は、曹操の細作たちが捕らえてくる壷中の者たちをひとりひとり説得し、仲間に引き入れた。
どんな拷問や脅しにも屈しない壷中の者にたいして、事情をよく知るうえ、自身も壺中に妹弟を奪われた兄である崔州平のことばは、魔法のようによく利いた。
仲間はどんどん増えていき、やがてひとつのまとまった組織を編成できるまでになった。
これならば、壷中と戦える。
そう判断し、崔州平は荊州でことをかまえる準備をはじめた。
崔州平のもとにあつめられる情報は、そのまま部下たちによって正確に曹操のもとへ伝えられた。
曹操はいずれ、崔州平がもたらした情報にしたがって、南下してくることだろう。
だが、曹操を迎え入れるだけでは、崔州平の復讐は終わっていない。
壷中を潰すのだ。
もうすこしだ。
もうすこし。
長年、妹弟たちが味わった苦痛、悲しみ、屈辱を晴らすときが近づいている。
これが終わったなら、妻と子供たちを追いかけて都へ向かおう。
妹弟たちもつれていく。
高位はいらぬ。
家族で平凡に、平和に暮らしていければ、それでよい。
平凡であることが、いちばんの望みだ。
単調でもいいのだ。
ともかく平和で穏やかな生活を取り戻したかった。
「州平、眠れぬのか」
孔明の張りのある声は、なぜだか人を安心させる。
まぶしいまでの美貌を持ち、臥龍と呼ばれるほどの才覚もあり、周囲に守られた幸福な生活を送っている。
天はこの人に二つも三つも美点を与えた。
そのことに嫉妬してもおかしくないのに、崔州平は、孔明を一度も本気で憎めたことがない。
孔明はすこし寒そうにしながら、足早に炎の前にやってきた。
火にあらたに小枝をのべながら、崔州平はたずねる。
「花安英は落ち着いたか」
「ああ、熱も引いてきた。おどろくべき体力だ。よほど鍛えていたのだな。
体をゆったりめの衣で隠していたので、とてもそうは見えなかった。
華奢な子供に見えていたのだが」
ここで不意に孔明は、なにかを思い出したらしい。
唇に笑み浮かべた。
「だが、わたしの主騎は、あの子は見かけ通りではない、なにかがおかしいと気づいていたのだよ。
たいしたものではないか。
わたしは武人というものは、みな愚鈍で、人を殺すことにためらいがなく、功績ばかりを求める獣と変わらない連中ばかりだろうと思い込んでいた。
しかし、あの男に会ってから、自分の思い込みや小ささを思い知ったよ。
人とは奥深いものだな。わたしなんぞ、まだまだ世間知らずだ」
孔明がおのれをそんなふうに卑下して、他者を褒め上げるとは。
興味をそそられた崔州平は、おのれの向かいに座った孔明の顔を見る。
孔明は、笑みをひっこめ、これまで崔州平が見たこともないほど思いつめた表情で、炎を見つめていた。
「州平、潘季鵬《はんきほう》という男は、君から見て、どんな男だろう」
「あれは狂人だ」
「捕虜を平気で拷問にかける男か」
「覚悟はしておけ。無事ではあるまい。生かされているのであれば、それだけで幸運だ」
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、大感謝です!(^^)!
本日より孔明、再登場!
物語の都合上、孔明と趙雲が出てこないシーンがあるとはいえ、ちょっとそれが長かったので、当ブログのアクセス数もペタンコ状態。
その代わりなのか、「なろう」のほうが、PV数が伸びております、ありがたいです。
さて、創作の進捗をちょっぴり。
早朝に起きて創作をするのを再開し、げんざい続編では「新野から樊城へ」のエピソードを書いています(臥龍的陣でもげんざい、みなが樊城に向かっておりますね…ややこしい)。
思った以上に亀の歩み。
というか、サクッと中編にまとめるつもりが、長めの話になりそうです。
これからもがんばって書きますので、引き続き応援していただけるとうれしいです(#^.^#)
ではでは、今日もよい一日をお過ごしくださいませー('ω')ノ