法正の悲劇は、厚すぎるタケノウチ・マスクの内側に籠もる熱のせいで、頭がぼんやりし、視界が利かなくなっていたことから始まるだろう。
いったい、どんな素材で出来ているのやら、マスクは妙に粘着力があり、ぺたりと肌にくっついているのだが、その密着感が、さらに気持ち悪い。
というか、頭皮も蒸れているような。
抜け毛が増えたりしないか心配です。
『どうしてここまでせねばならぬのだ』
最初に思いついて当然の疑問であったが、法正をして、それが頭に浮かばなかったのは、すべて『行ってこいと妻に言われたから』ということに理由がある。
法正は、妻には絶対服従なのである。
なぜかといえば、劉備を蜀に招き入れ、揚武将軍に上りつめるまでは、法正は、たいへんな苦労を妻にかけさせてしまったという負い目があるからだ。
それにしても、これはやりすぎであったかもしれぬ。
汗とマスクの密着感、さらには視界がろくにきかないことに顔をしかめれば、周囲から、
「渋い」、「渋い」
と聞こえる声。
なにがそんなに渋いというのだ。
柿か? 茶か?
などと、寒いオヤジギャグを頭に浮かべてやり過ごすが、視線を集めていることが不安である。
『もしや、マスクをかぶっていることが知れているのではなかろうな? ええい、また汗が垂れてきて、気持ち悪い。なんとかならぬか!』
ここでいつもならば、従者が布でもって、さっと法正の汗を拭ってくれるわけであるが、今回は単独潜入である。部下ひとりいない状況で、ライバルである諸葛孔明の本陣ともいうべき左将軍府の前にいる。
『それにしても、すごい行列だな。これが、すべて奴への陳情者なのか?』
老いも若きもずらりとそろった行列を見回して、左将軍府への陳情者は、これほどに多いのかと、すこしばかり嫉妬心を燃やしてみる。
見れば、錦馬超なんかもいるではないか。
なぜだか、費家の莫迦息子と、董家の青瓢箪、ウルトラ級にやっかいな、軍師将軍の主簿・胡偉度もいる。
あやつら、仲が良かったのだな。
に、しても気になるのは錦馬超。
馬将軍は、もしや軍師将軍との接近をはかっているのではないか。
馬超というのは、派手な容姿と言動で、いろいろと話題になりやすいうえ、誤解を受けることも多いが、あれでなかなか聡い男だ。
だれとでも距離を置くことで、政治的な思惑から、みずから率いている青羌兵の立場を守ろうとしている。
これまでは、特にだれかの派閥に属そうとすることがなかった。
ま、わたしが奴であれば、そうするわい、と法正は思う。
馬超の身にまとう、自由な放浪者という雰囲気を、生まれてこのかた、完全には巴蜀より離れることのなかった法正は、すこしうらやましく思っている。
広い大地を自由に旅してみたいと思うのは、だれしも思うことであろうが、名家に生まれた法正には、家門を守らねばならぬという束縛があるため、思うだけで終わっていた。
法正が、孔明に対して嫉妬にも似た反発をおぼえるのは、孔明自身、徐州の諸葛氏の跡取りであるというのに、まったく家というものに束縛されずに、自由にのびのびと好きなように振る舞っている(ように見える)のも原因なのである。
行列に並んでいれば、ひとびとの口から、
「副賞はプリンスエドワード島に招待されるらしい」
「P島としか書いていないじゃないか」
「プリンスエドワード島だと、前に並んでいる若い男が、騒いでいたぞ」
という声が聞こえてくる。
むむ、陳情者の中から抽選でP島ご招待とは、なかなか思い切ったキャンペーンを張るではないか。
さっそくうちでもやってみよう。
左将軍府がプリンスエドワード島というのなら、うちは『香港マカオ2泊3日、遊び倒せ、カジノの旅!』を企画してみるか。
ただし、行きの片道切符のみプレゼント、帰りの分は自分で稼げ。生還できるかは運次第。
うむ、よい企画だ。獅子は子を千尋の谷より突き落とし、その成長を促すものなのだ。
国を預かる揚武将軍たるもの、民の父として振る舞わねばなるまい。
なに? 獅子というものは、百獣の王とかいわれてはいるが、なかなか心が狭いケモノで、自分の子どもがライバルになると怖いから、殺すために谷に突き落としているものだ、とな?
いや、だからこそだ。
小ざかしくも、わたしの手を煩わせようなどという、小生意気な民を黙らせるための処置なるぞ。言われた分は、きっちり仕事はするがな。
しかし、だ。
この行列、うちで働いている者も、ちらほら混ざっていないか?
左将軍府に探りを入れている、というのならば、誉められもしようが、陳情に来ているというのであれば、許せぬ。
そうして、法正は、腕時計を改良して作ったスパイカメラで、見知った顔をパシャリと撮影する。
あとで照合し、氏名が特定できたなら、尋問のうえ、減給である。
変装をしているというのならばともかく、礼装を身に纏っている者までおる。
たかが陳情のために、一張羅を着てくるとは、どういうつもりだ。まったく、世の中狂っとる。
それに、さきほどから、『タケノウチ』と口にしながら、費家の馬鹿息子がちらちらと振り返り、敵愾心の籠もった眼差しを向けてくるのは、なぜなのだ。
タケノウチとはなんだ、あたらしい節分の呪文か?
に、しても、この行列の先に、ほんとうに軍師将軍はいるのだろうな。
※
偉度は、行列の正体を知って、馬超がもう帰ってしまうのではと思っていたが、意外なことに、馬超は、試験開始直前になっても、ものめずらしそうにあちこちを見回して、帰ろうとしない。
とはいえ、本気で孔明の義兄弟になろうとは思っていないのは、一目瞭然で、どうやら、このお祭り騒ぎを純粋に楽しんでいるようである。
といっても、自ら音頭をとろうとしているのではなく、どこか、雲の上から人界を見下ろす、仙人か何かの境地であるようだ。
悠然とした笑みを口はしに浮かべながら、会場を堂々と移動する姿は、なにやら達観した人物独特の、摩訶不思議な雰囲気がある。
なんだか良くわからぬお方だ、と偉度は思いつつ、見れば、試験会場の整理を、みずから率先しておこなっている劉巴と目が合った。
三日月を横にふたつならべたような、いつも笑っているように見えて、実際は、ちっとも笑っていない目を向けて、劉巴は言う。
「おや、偉度ではないか。なんだかんだとおまえも結局、義兄弟に応募することにしたのかね」
「ご冗談を。今日は、董家と費家の莫迦坊ちゃんどものお目付けでございます。軍師はもう出仕なさっておられますか」
「さあて、さきほど、旅行代理店に寄ってから、こちらに来ると連絡があったようだが」
旅行代理店と聞いて、文偉と休昭は、きっとプリンスエドワード島の件だ、と期待をこめて、ひそひそやっている。
呑気なものだと嘆息しつつ、偉度は、列から外れて、臨時の試験会場とやらをながめた。
かなりの人数がひしめき合っている。
ずらりとならべられた長テーブルには、それぞれ間隔を開けて、三人ずつ座れるようになっており、筆記用具もきちんと用意されていた。
「試験とは、なんなのです? もしや、昨年度の採用試験問題の使いまわしでございますか?」
偉度が劉巴に尋ねると、背後で聞き耳を立てていた文偉と休昭は、それでは、我らは不利ではないかと、ぶーぶー不平を鳴らした。
しかし、劉巴は言う。
「いや、わたしと許長史とで、ちゃんと試験問題を作ったよ。ひさしぶりの徹夜作業となったがね、なかなか楽しかった。いやはや、なにかと楽しみを提供してくれる、左将軍府事に感謝だな」
と、劉巴は、ほがらかに声をたてて笑った。
竹の花が咲くよりも珍しい現象に、劉巴を知る、ほかの左将軍府の面々は、仰天して視線をあつめてくる。
劉巴は、嫌味ではなく、ほんとうに、この騒動を楽しんでいる様子であった。
鬱屈した内面を持っている人物なので、こうして晴れやかにしているのは、いいことかもしれないと、偉度は思う。
晴れやかにしている理由が問題だが。
「それにしても、許長史が徹夜とは…」
「あの方とて、なにも考えずに動いているのではない。許長史は、軍師のことを親身に心配しているのだよ。
軍師には、奥方はいても名前だけ。お子といっても養子で、まあ、ちと、問題を抱えておる。かといって、妾やあたらしい妻を持ちそうにもない。
弟君にお子はいるが、弟君自身が、家族を官吏にさせるつもりはないと言っている。となると、このままでは、軍師の跡継ぎが絶えてしまうわけだ。
あの方はあの方なりに、真に頼りになる義兄弟が軍師にいれば、いざというとき血筋が絶えるにしても、志を受継ぐ者が残るかもしれない。そう考えたのさ」
「軍師のお志ならば、いまの時点で、我らが受け継いでおりますぞ」
偉度の不満そうなことばに、劉巴は、また声をたてて笑った。
「わたしもそう思うが、しかし、許長史は、家族というものの形にこだわりを持っているお方だから、われらと同じようには考えないのだ。不満ならば、やはり試験を受けるべきではないかな」
「ですから、そのつもりは、まーーーーーーーーったくございませぬ」
そんなやりとりをしつつ、偉度は試験会場の入り口に立ち、試験監督官のもと、整理券の番号順に席に着く、文偉や休昭、馬超らの姿を確認した。
筆記試験があると聞いて、左将軍府の前にずらりとならんだ人間は、半分くらいに減ったが、それでもたいそうな人数であった。
宮城で見かけた顔も、ちらほらと、ある。
揚武将軍の部下も何名か混ざっているようだ。
ふむ、連中の顔は覚えておいて、あとでうちのスパイになってみないかと誘ってみよう。
会場の席につく人々のなかには、例の、見れば見るほどに『タケノウチ』な、あの男の姿もある。
偉度は、入場者の試験番号と、机の番号をあわせる作業をこなしている劉巴にたずねた。
「試験は、筆記のみでございますか」
「いいや、試験で及第点に届かなかった者はすべて落とし、残った者のみ、軍師と面接というかたちになる。試験であるが、意外にむつかしいから、残れる者はすくないのではないかな」
「自信作、というわけでございますか。どれ…」
と言いつつ、試験問題を手に取る偉度。
ちょうどそのとき、試験会場においても、試験開始のベルが鳴った。
つづく……
(サイト「はさみの世界」初出・2006/03)
いったい、どんな素材で出来ているのやら、マスクは妙に粘着力があり、ぺたりと肌にくっついているのだが、その密着感が、さらに気持ち悪い。
というか、頭皮も蒸れているような。
抜け毛が増えたりしないか心配です。
『どうしてここまでせねばならぬのだ』
最初に思いついて当然の疑問であったが、法正をして、それが頭に浮かばなかったのは、すべて『行ってこいと妻に言われたから』ということに理由がある。
法正は、妻には絶対服従なのである。
なぜかといえば、劉備を蜀に招き入れ、揚武将軍に上りつめるまでは、法正は、たいへんな苦労を妻にかけさせてしまったという負い目があるからだ。
それにしても、これはやりすぎであったかもしれぬ。
汗とマスクの密着感、さらには視界がろくにきかないことに顔をしかめれば、周囲から、
「渋い」、「渋い」
と聞こえる声。
なにがそんなに渋いというのだ。
柿か? 茶か?
などと、寒いオヤジギャグを頭に浮かべてやり過ごすが、視線を集めていることが不安である。
『もしや、マスクをかぶっていることが知れているのではなかろうな? ええい、また汗が垂れてきて、気持ち悪い。なんとかならぬか!』
ここでいつもならば、従者が布でもって、さっと法正の汗を拭ってくれるわけであるが、今回は単独潜入である。部下ひとりいない状況で、ライバルである諸葛孔明の本陣ともいうべき左将軍府の前にいる。
『それにしても、すごい行列だな。これが、すべて奴への陳情者なのか?』
老いも若きもずらりとそろった行列を見回して、左将軍府への陳情者は、これほどに多いのかと、すこしばかり嫉妬心を燃やしてみる。
見れば、錦馬超なんかもいるではないか。
なぜだか、費家の莫迦息子と、董家の青瓢箪、ウルトラ級にやっかいな、軍師将軍の主簿・胡偉度もいる。
あやつら、仲が良かったのだな。
に、しても気になるのは錦馬超。
馬将軍は、もしや軍師将軍との接近をはかっているのではないか。
馬超というのは、派手な容姿と言動で、いろいろと話題になりやすいうえ、誤解を受けることも多いが、あれでなかなか聡い男だ。
だれとでも距離を置くことで、政治的な思惑から、みずから率いている青羌兵の立場を守ろうとしている。
これまでは、特にだれかの派閥に属そうとすることがなかった。
ま、わたしが奴であれば、そうするわい、と法正は思う。
馬超の身にまとう、自由な放浪者という雰囲気を、生まれてこのかた、完全には巴蜀より離れることのなかった法正は、すこしうらやましく思っている。
広い大地を自由に旅してみたいと思うのは、だれしも思うことであろうが、名家に生まれた法正には、家門を守らねばならぬという束縛があるため、思うだけで終わっていた。
法正が、孔明に対して嫉妬にも似た反発をおぼえるのは、孔明自身、徐州の諸葛氏の跡取りであるというのに、まったく家というものに束縛されずに、自由にのびのびと好きなように振る舞っている(ように見える)のも原因なのである。
行列に並んでいれば、ひとびとの口から、
「副賞はプリンスエドワード島に招待されるらしい」
「P島としか書いていないじゃないか」
「プリンスエドワード島だと、前に並んでいる若い男が、騒いでいたぞ」
という声が聞こえてくる。
むむ、陳情者の中から抽選でP島ご招待とは、なかなか思い切ったキャンペーンを張るではないか。
さっそくうちでもやってみよう。
左将軍府がプリンスエドワード島というのなら、うちは『香港マカオ2泊3日、遊び倒せ、カジノの旅!』を企画してみるか。
ただし、行きの片道切符のみプレゼント、帰りの分は自分で稼げ。生還できるかは運次第。
うむ、よい企画だ。獅子は子を千尋の谷より突き落とし、その成長を促すものなのだ。
国を預かる揚武将軍たるもの、民の父として振る舞わねばなるまい。
なに? 獅子というものは、百獣の王とかいわれてはいるが、なかなか心が狭いケモノで、自分の子どもがライバルになると怖いから、殺すために谷に突き落としているものだ、とな?
いや、だからこそだ。
小ざかしくも、わたしの手を煩わせようなどという、小生意気な民を黙らせるための処置なるぞ。言われた分は、きっちり仕事はするがな。
しかし、だ。
この行列、うちで働いている者も、ちらほら混ざっていないか?
左将軍府に探りを入れている、というのならば、誉められもしようが、陳情に来ているというのであれば、許せぬ。
そうして、法正は、腕時計を改良して作ったスパイカメラで、見知った顔をパシャリと撮影する。
あとで照合し、氏名が特定できたなら、尋問のうえ、減給である。
変装をしているというのならばともかく、礼装を身に纏っている者までおる。
たかが陳情のために、一張羅を着てくるとは、どういうつもりだ。まったく、世の中狂っとる。
それに、さきほどから、『タケノウチ』と口にしながら、費家の馬鹿息子がちらちらと振り返り、敵愾心の籠もった眼差しを向けてくるのは、なぜなのだ。
タケノウチとはなんだ、あたらしい節分の呪文か?
に、しても、この行列の先に、ほんとうに軍師将軍はいるのだろうな。
※
偉度は、行列の正体を知って、馬超がもう帰ってしまうのではと思っていたが、意外なことに、馬超は、試験開始直前になっても、ものめずらしそうにあちこちを見回して、帰ろうとしない。
とはいえ、本気で孔明の義兄弟になろうとは思っていないのは、一目瞭然で、どうやら、このお祭り騒ぎを純粋に楽しんでいるようである。
といっても、自ら音頭をとろうとしているのではなく、どこか、雲の上から人界を見下ろす、仙人か何かの境地であるようだ。
悠然とした笑みを口はしに浮かべながら、会場を堂々と移動する姿は、なにやら達観した人物独特の、摩訶不思議な雰囲気がある。
なんだか良くわからぬお方だ、と偉度は思いつつ、見れば、試験会場の整理を、みずから率先しておこなっている劉巴と目が合った。
三日月を横にふたつならべたような、いつも笑っているように見えて、実際は、ちっとも笑っていない目を向けて、劉巴は言う。
「おや、偉度ではないか。なんだかんだとおまえも結局、義兄弟に応募することにしたのかね」
「ご冗談を。今日は、董家と費家の莫迦坊ちゃんどものお目付けでございます。軍師はもう出仕なさっておられますか」
「さあて、さきほど、旅行代理店に寄ってから、こちらに来ると連絡があったようだが」
旅行代理店と聞いて、文偉と休昭は、きっとプリンスエドワード島の件だ、と期待をこめて、ひそひそやっている。
呑気なものだと嘆息しつつ、偉度は、列から外れて、臨時の試験会場とやらをながめた。
かなりの人数がひしめき合っている。
ずらりとならべられた長テーブルには、それぞれ間隔を開けて、三人ずつ座れるようになっており、筆記用具もきちんと用意されていた。
「試験とは、なんなのです? もしや、昨年度の採用試験問題の使いまわしでございますか?」
偉度が劉巴に尋ねると、背後で聞き耳を立てていた文偉と休昭は、それでは、我らは不利ではないかと、ぶーぶー不平を鳴らした。
しかし、劉巴は言う。
「いや、わたしと許長史とで、ちゃんと試験問題を作ったよ。ひさしぶりの徹夜作業となったがね、なかなか楽しかった。いやはや、なにかと楽しみを提供してくれる、左将軍府事に感謝だな」
と、劉巴は、ほがらかに声をたてて笑った。
竹の花が咲くよりも珍しい現象に、劉巴を知る、ほかの左将軍府の面々は、仰天して視線をあつめてくる。
劉巴は、嫌味ではなく、ほんとうに、この騒動を楽しんでいる様子であった。
鬱屈した内面を持っている人物なので、こうして晴れやかにしているのは、いいことかもしれないと、偉度は思う。
晴れやかにしている理由が問題だが。
「それにしても、許長史が徹夜とは…」
「あの方とて、なにも考えずに動いているのではない。許長史は、軍師のことを親身に心配しているのだよ。
軍師には、奥方はいても名前だけ。お子といっても養子で、まあ、ちと、問題を抱えておる。かといって、妾やあたらしい妻を持ちそうにもない。
弟君にお子はいるが、弟君自身が、家族を官吏にさせるつもりはないと言っている。となると、このままでは、軍師の跡継ぎが絶えてしまうわけだ。
あの方はあの方なりに、真に頼りになる義兄弟が軍師にいれば、いざというとき血筋が絶えるにしても、志を受継ぐ者が残るかもしれない。そう考えたのさ」
「軍師のお志ならば、いまの時点で、我らが受け継いでおりますぞ」
偉度の不満そうなことばに、劉巴は、また声をたてて笑った。
「わたしもそう思うが、しかし、許長史は、家族というものの形にこだわりを持っているお方だから、われらと同じようには考えないのだ。不満ならば、やはり試験を受けるべきではないかな」
「ですから、そのつもりは、まーーーーーーーーったくございませぬ」
そんなやりとりをしつつ、偉度は試験会場の入り口に立ち、試験監督官のもと、整理券の番号順に席に着く、文偉や休昭、馬超らの姿を確認した。
筆記試験があると聞いて、左将軍府の前にずらりとならんだ人間は、半分くらいに減ったが、それでもたいそうな人数であった。
宮城で見かけた顔も、ちらほらと、ある。
揚武将軍の部下も何名か混ざっているようだ。
ふむ、連中の顔は覚えておいて、あとでうちのスパイになってみないかと誘ってみよう。
会場の席につく人々のなかには、例の、見れば見るほどに『タケノウチ』な、あの男の姿もある。
偉度は、入場者の試験番号と、机の番号をあわせる作業をこなしている劉巴にたずねた。
「試験は、筆記のみでございますか」
「いいや、試験で及第点に届かなかった者はすべて落とし、残った者のみ、軍師と面接というかたちになる。試験であるが、意外にむつかしいから、残れる者はすくないのではないかな」
「自信作、というわけでございますか。どれ…」
と言いつつ、試験問題を手に取る偉度。
ちょうどそのとき、試験会場においても、試験開始のベルが鳴った。
つづく……
(サイト「はさみの世界」初出・2006/03)