「……いないな」
偉度はずらずらとつづく行列の、ひとりひとりの顔を確かめて、舌打ちをした。
行列につどう有象無象の顔ぶれはさまざまで、町人もいれば、やくざ者風の男、出世の機会を狙ってあらわれた文官や武官、子どももいれば、腰の曲がった年寄り、女侠客まで混じっている多彩ぶり。
しかし、そのなかには、探している仏頂面はないのであった。
こういうときに並んでこそ、さらに絆も深まるというのに、照れているのか?
いっそ迎えにいってやろうかと、偉度は行列の最後尾を見る。
人は、今朝の朝刊片手に、つぎつぎと集ってきているのだが、しかし、やはりそのなかに、目当ての姿はないのであった。
いや、目当ての顔はないが、どうでもいい顔が二つ、例によって例のごとく、朝刊を片手に、息を切って駆けてくる。
「すごい人だな。二百人は集っているぞ」
「だから、もっと早く来ようと行ったのに。あ、看板に、『選考会 試験会場』ってあるよ。やっぱり試験があるのだなあ」
最後尾にあらたに加わったのは、呑気に語りあう、いつもの二人、費文偉と、董休昭であった。
ふたりは、つま先立ちなどをして、行列の行く手を観察したりしていたのだが、やがて、行列に添って、うろうろしている偉度の姿を見つけた。
「おお、偉度! とてもよいところにいた。聞きたいのであるが、この選考会、もしや、先着順、ということはないよな?」
文偉が尋ねると、機嫌悪く顔をしかめた偉度は、素っ気なく答えた。
「試験会場と書いてあるのが読めないのか。それより、趙将軍を見なかったか?」
「趙将軍? さあ。今朝は見ていない…というか、趙将軍とは職務上の接点がないから、会おうとしないと会うこともないぞ」
「まったく、まさか新聞を見ていないのではなかろうな。やはり人を使いに出すか」
「趙将軍が選考会に加わるなら、わたしたちの分が悪くなるなあ」
休昭はぼやきつつ、行列の先頭、左将軍府の門に掲げられた看板を見る。そこには達筆な文字で、こうあった。
『第一回 左将軍府事 義兄弟選考会 試験会場』。
今朝の朝刊を手に取った者は、紙面をいっぱいに利用した、義兄弟募集の告知に仰天しただろう。
それは左将軍府の広報より、左将軍府事…すなわち孔明の義兄弟を大々的に募集する告知であったのだ。
左将軍府を取り巻く人の行列は、告知を見て集まってきているのだ。
義兄弟とは、公募で得るものなのか、という疑問はさておき、それでも人がこれだけ集まっている、ということは、それだけ、孔明の名は轟いている、といえなくもない。
が、結局は、孔明という人物に惹かれて集ったというよりも、孔明のもつ権力に惹かれて集ったのである。
「おまえたちもほかの連中みたいに、出世狙いで集ったのじゃないだろうな」
偉度が尋ねると、文偉も休昭も、心外だ、といわんばかりに顔を歪めて、こたえた。
「ひどいことを言うなあ。われらは軍師の人となりをよく知っているぞ。たとえ義兄弟とて、能力がなければ引き立てないのが軍師だ」
「わかっているのならいいが」
「わかっているとも。わたしたちがここに並ぶのは、いつも人から、『あの二人は、義兄弟でもないのに、軍師のまわりをやたらとちょろちょろしている』と言われるのが、イヤだからだ。もしも義兄弟になったら、『あの二人は、軍師の義兄弟だから、軍師のまわりをやたらとちょろちょろしている』に変わるだろう」
「……やたらとちょろちょろしていることに変化はないわけだから、あまり意味がない気がするが…」
そんなふうに言葉を交わしていると、ふと、行列の脇を、地味ではあるが品のよい服を身に纏った、落ち着いた雰囲気の男が通りがかった。
大人しそうな、どこか表情に内面の苦労がにじみ出ているような、中肉中背、色黒の人物である。
男は、行列をものめずらしそうに眺めつつ、歩いていたが、ふと、中に文偉の姿を見ると、穏やかな笑みを浮かべて、声をかけてきた。
「おや、君はたしか、このあいだ、ここに遊びに来たひとだね。こんにちは」
と、男は口調も穏やかに話しかけてくる。
文偉も、襟を正して男に拱手した。
「先日はお世話になり申した。おかげさまで、よい仕事ができました」
「そう、それはよかった。今日は、左将軍府事の義兄弟選考会に来たのかい」
「はい。軍師と義兄弟になれるかもしれません。いいえ、この顔ぶれならば、我らが選ばれることでしょう!」
文偉が意気込んで言うと、男は品良く、声を立てて笑った。
「選ばれるといいね。あの人は気難しいが、君のように楽しいひとが弟になるのであれば、ちょうどよいかもしれないよ。ああ、偉度、君も選考会に加わるのかい」
「ご冗談でしょう。わたしはただ、この者たちと世間話をしていただけでございます」
「それは残念だ。では、わたしはもう行く。またあとで」
言いながら、男はゆったりと歩を進め、左将軍府の中に入って行った。
偉度は、文偉を振り返って、怪訝そうに尋ねる。
「おまえ、あの方と知り合いであったのか?」
「うむ。じつは先日、軍師の身辺調査のアルバイトを請け負ったのだ」
「軍師の身辺調査のアルバイト? なんだそれは?」
「知らないよ。人からの紹介だったので、依頼主とは会ってない。
ともかく、軍師のことを調べてこいという話だったので、左将軍府に来てみたら、さきほどの方が庭にいてね、事情を話したら、軍師の出身地や同郷の方のことなどをいろいろと教えてくれたのさ」
「おまえ、あの方に、なにか変なことを話していないだろうな?」
「変って? 街で流れている噂話をしただけだぞ? 」
「……あの方が何者か、知っているのだろうな」
偉度の問いに、文偉は不思議そうに首をかしげる。
「何者か、って、あのひとは、左将軍府の用務員さんだろう? だって、わたしがこのあいだここに来た時は、庭掃除をしていたもの」
「莫迦。あの方は、単に庭の手入れや土いじりが好きなだけなのだ。聞いて引っくり返れ、あの方こそが軍師将軍の実の弟君、諸葛均どのなのだ!」
「実弟! 似てねー! マジで!」
「マジだ」
偉度が言うと、文偉は呆けたような顔になり、となりの休昭は、いたわしそうに文偉を見た。
「文偉、謝っておいでよ…」
「ど、どうしよう! あの方に、だーれも姿を見たことのないナゾの奥方のこととか、やっぱり存在が未確認のままだという噂の弟君のこととか、いろいろろくでもないことをぺらぺらしゃべってしまった! というか、本人じゃん! つーか、本人なら、本人だって教えるだろう、普通!」
「内気な方だから、おまえの勢いに圧倒されて、なにも言えなかったんじゃないのか?」
「ぐはあ! 実弟に向かって、義兄弟に選ばれて見せます、みたいなことを断言してしまった! かなり恥ずかしい! 五分前の自分のことばをDeleteキーで、きれいサッパリ消去したい!」
「莫迦だな、おまえは。あの方が未確認物体みたいに言われているのは、軍師とぜんぜん似ていないのと、ああいうお人柄で、自己主張をまったくしないから、存在がわかりにくいからなのだよ」
それを聞いて、休昭がぽつりとつぶやいた。
「どちらかというと、軍師より、弟君のほうにシンパシーを覚えるなあ。あちらは義兄弟の募集をしていないのかな。そうしたら、ほら、自動的に軍師の義弟ということにもなるし」
「外堀から埋めてもムダ。外堀の川幅は狭くても、内堀の川幅は長江並みだから。さーて、悶絶している文偉は放っておいて…ええい、本当にこないつもりか、偏屈者め」
「偏屈者って、それは趙将軍のこと? わたしはてっきり、とっくの昔に軍師将軍と趙将軍は、義兄弟の契りを交わされていると思っていたよ」
「そう思うだろう? あのふたりは、いつも一緒にいるくせに、そういう約束事を設けるのを嫌う傾向にあるのだ。
世間にいらざる印象を与えないためにも、義兄弟という形におさまってしまえばいいのだ」
「いらざる印象って?」
休昭の問いに、偉度はぴたりと口を閉ざすと、答えた。
「うん? わたしは、そんなことを言ったか?」
「言ったよ…。よくわからないけれど、趙将軍ほどに仲がよい方とも義兄弟になりたがらないのじゃ、ほかのだれが現われても、望みは薄いのではないのかな。なのに、どうして公募なんてしたのだろう?」
「それはだな」
と、偉度は、行列の先頭の、左将軍府の入り口を見る。
そこでは、めずらしくも許靖が、にこにこと上機嫌で、てきぱきと整理券なんぞを配っている姿があった。
その背後では、悠然と腕を組んで、あつまった人々を、あいかわらずの三日月型の目で眺めている劉巴の姿があった。
やはり、本心を読み取ることがむずかしい顔をしているのであるが、偉度は知っている。
目じりの下がり具合が大きいので、あれはこの騒ぎを楽しんでいるのだ。
趣味が悪いというか、なんといおうか。
そして、肝心の孔明の姿は見えないのであった。
つづく……
(サイト・はさみの世界 初出 2006/03/15)
偉度はずらずらとつづく行列の、ひとりひとりの顔を確かめて、舌打ちをした。
行列につどう有象無象の顔ぶれはさまざまで、町人もいれば、やくざ者風の男、出世の機会を狙ってあらわれた文官や武官、子どももいれば、腰の曲がった年寄り、女侠客まで混じっている多彩ぶり。
しかし、そのなかには、探している仏頂面はないのであった。
こういうときに並んでこそ、さらに絆も深まるというのに、照れているのか?
いっそ迎えにいってやろうかと、偉度は行列の最後尾を見る。
人は、今朝の朝刊片手に、つぎつぎと集ってきているのだが、しかし、やはりそのなかに、目当ての姿はないのであった。
いや、目当ての顔はないが、どうでもいい顔が二つ、例によって例のごとく、朝刊を片手に、息を切って駆けてくる。
「すごい人だな。二百人は集っているぞ」
「だから、もっと早く来ようと行ったのに。あ、看板に、『選考会 試験会場』ってあるよ。やっぱり試験があるのだなあ」
最後尾にあらたに加わったのは、呑気に語りあう、いつもの二人、費文偉と、董休昭であった。
ふたりは、つま先立ちなどをして、行列の行く手を観察したりしていたのだが、やがて、行列に添って、うろうろしている偉度の姿を見つけた。
「おお、偉度! とてもよいところにいた。聞きたいのであるが、この選考会、もしや、先着順、ということはないよな?」
文偉が尋ねると、機嫌悪く顔をしかめた偉度は、素っ気なく答えた。
「試験会場と書いてあるのが読めないのか。それより、趙将軍を見なかったか?」
「趙将軍? さあ。今朝は見ていない…というか、趙将軍とは職務上の接点がないから、会おうとしないと会うこともないぞ」
「まったく、まさか新聞を見ていないのではなかろうな。やはり人を使いに出すか」
「趙将軍が選考会に加わるなら、わたしたちの分が悪くなるなあ」
休昭はぼやきつつ、行列の先頭、左将軍府の門に掲げられた看板を見る。そこには達筆な文字で、こうあった。
『第一回 左将軍府事 義兄弟選考会 試験会場』。
今朝の朝刊を手に取った者は、紙面をいっぱいに利用した、義兄弟募集の告知に仰天しただろう。
それは左将軍府の広報より、左将軍府事…すなわち孔明の義兄弟を大々的に募集する告知であったのだ。
左将軍府を取り巻く人の行列は、告知を見て集まってきているのだ。
義兄弟とは、公募で得るものなのか、という疑問はさておき、それでも人がこれだけ集まっている、ということは、それだけ、孔明の名は轟いている、といえなくもない。
が、結局は、孔明という人物に惹かれて集ったというよりも、孔明のもつ権力に惹かれて集ったのである。
「おまえたちもほかの連中みたいに、出世狙いで集ったのじゃないだろうな」
偉度が尋ねると、文偉も休昭も、心外だ、といわんばかりに顔を歪めて、こたえた。
「ひどいことを言うなあ。われらは軍師の人となりをよく知っているぞ。たとえ義兄弟とて、能力がなければ引き立てないのが軍師だ」
「わかっているのならいいが」
「わかっているとも。わたしたちがここに並ぶのは、いつも人から、『あの二人は、義兄弟でもないのに、軍師のまわりをやたらとちょろちょろしている』と言われるのが、イヤだからだ。もしも義兄弟になったら、『あの二人は、軍師の義兄弟だから、軍師のまわりをやたらとちょろちょろしている』に変わるだろう」
「……やたらとちょろちょろしていることに変化はないわけだから、あまり意味がない気がするが…」
そんなふうに言葉を交わしていると、ふと、行列の脇を、地味ではあるが品のよい服を身に纏った、落ち着いた雰囲気の男が通りがかった。
大人しそうな、どこか表情に内面の苦労がにじみ出ているような、中肉中背、色黒の人物である。
男は、行列をものめずらしそうに眺めつつ、歩いていたが、ふと、中に文偉の姿を見ると、穏やかな笑みを浮かべて、声をかけてきた。
「おや、君はたしか、このあいだ、ここに遊びに来たひとだね。こんにちは」
と、男は口調も穏やかに話しかけてくる。
文偉も、襟を正して男に拱手した。
「先日はお世話になり申した。おかげさまで、よい仕事ができました」
「そう、それはよかった。今日は、左将軍府事の義兄弟選考会に来たのかい」
「はい。軍師と義兄弟になれるかもしれません。いいえ、この顔ぶれならば、我らが選ばれることでしょう!」
文偉が意気込んで言うと、男は品良く、声を立てて笑った。
「選ばれるといいね。あの人は気難しいが、君のように楽しいひとが弟になるのであれば、ちょうどよいかもしれないよ。ああ、偉度、君も選考会に加わるのかい」
「ご冗談でしょう。わたしはただ、この者たちと世間話をしていただけでございます」
「それは残念だ。では、わたしはもう行く。またあとで」
言いながら、男はゆったりと歩を進め、左将軍府の中に入って行った。
偉度は、文偉を振り返って、怪訝そうに尋ねる。
「おまえ、あの方と知り合いであったのか?」
「うむ。じつは先日、軍師の身辺調査のアルバイトを請け負ったのだ」
「軍師の身辺調査のアルバイト? なんだそれは?」
「知らないよ。人からの紹介だったので、依頼主とは会ってない。
ともかく、軍師のことを調べてこいという話だったので、左将軍府に来てみたら、さきほどの方が庭にいてね、事情を話したら、軍師の出身地や同郷の方のことなどをいろいろと教えてくれたのさ」
「おまえ、あの方に、なにか変なことを話していないだろうな?」
「変って? 街で流れている噂話をしただけだぞ? 」
「……あの方が何者か、知っているのだろうな」
偉度の問いに、文偉は不思議そうに首をかしげる。
「何者か、って、あのひとは、左将軍府の用務員さんだろう? だって、わたしがこのあいだここに来た時は、庭掃除をしていたもの」
「莫迦。あの方は、単に庭の手入れや土いじりが好きなだけなのだ。聞いて引っくり返れ、あの方こそが軍師将軍の実の弟君、諸葛均どのなのだ!」
「実弟! 似てねー! マジで!」
「マジだ」
偉度が言うと、文偉は呆けたような顔になり、となりの休昭は、いたわしそうに文偉を見た。
「文偉、謝っておいでよ…」
「ど、どうしよう! あの方に、だーれも姿を見たことのないナゾの奥方のこととか、やっぱり存在が未確認のままだという噂の弟君のこととか、いろいろろくでもないことをぺらぺらしゃべってしまった! というか、本人じゃん! つーか、本人なら、本人だって教えるだろう、普通!」
「内気な方だから、おまえの勢いに圧倒されて、なにも言えなかったんじゃないのか?」
「ぐはあ! 実弟に向かって、義兄弟に選ばれて見せます、みたいなことを断言してしまった! かなり恥ずかしい! 五分前の自分のことばをDeleteキーで、きれいサッパリ消去したい!」
「莫迦だな、おまえは。あの方が未確認物体みたいに言われているのは、軍師とぜんぜん似ていないのと、ああいうお人柄で、自己主張をまったくしないから、存在がわかりにくいからなのだよ」
それを聞いて、休昭がぽつりとつぶやいた。
「どちらかというと、軍師より、弟君のほうにシンパシーを覚えるなあ。あちらは義兄弟の募集をしていないのかな。そうしたら、ほら、自動的に軍師の義弟ということにもなるし」
「外堀から埋めてもムダ。外堀の川幅は狭くても、内堀の川幅は長江並みだから。さーて、悶絶している文偉は放っておいて…ええい、本当にこないつもりか、偏屈者め」
「偏屈者って、それは趙将軍のこと? わたしはてっきり、とっくの昔に軍師将軍と趙将軍は、義兄弟の契りを交わされていると思っていたよ」
「そう思うだろう? あのふたりは、いつも一緒にいるくせに、そういう約束事を設けるのを嫌う傾向にあるのだ。
世間にいらざる印象を与えないためにも、義兄弟という形におさまってしまえばいいのだ」
「いらざる印象って?」
休昭の問いに、偉度はぴたりと口を閉ざすと、答えた。
「うん? わたしは、そんなことを言ったか?」
「言ったよ…。よくわからないけれど、趙将軍ほどに仲がよい方とも義兄弟になりたがらないのじゃ、ほかのだれが現われても、望みは薄いのではないのかな。なのに、どうして公募なんてしたのだろう?」
「それはだな」
と、偉度は、行列の先頭の、左将軍府の入り口を見る。
そこでは、めずらしくも許靖が、にこにこと上機嫌で、てきぱきと整理券なんぞを配っている姿があった。
その背後では、悠然と腕を組んで、あつまった人々を、あいかわらずの三日月型の目で眺めている劉巴の姿があった。
やはり、本心を読み取ることがむずかしい顔をしているのであるが、偉度は知っている。
目じりの下がり具合が大きいので、あれはこの騒ぎを楽しんでいるのだ。
趣味が悪いというか、なんといおうか。
そして、肝心の孔明の姿は見えないのであった。
つづく……
(サイト・はさみの世界 初出 2006/03/15)