はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

おばか企画・心はいつもきつね色 旅立ち編・1

2020年10月31日 15時05分41秒 | おばか企画・心はいつもきつね色
孔明は首を伸ばして、いかにも迷惑そうに顔をしかめてみせる。
法正と孔明が顔をあわせるときというのは、たいがい評議の場であったから、知っている顔というのは、つんとすました表情ばかりである。
素だと、ずいぶんころころと表情が変わる男なのだなと感心しつつ、法正はすこしばかり意地悪な気持ちになってたずねた。
「渋い顔をしていらっしゃる」
「当然だろう、君には義兄弟はいるのか」
「いや」
なぜ急に、義兄弟のことなど聞いてきたのであろう。
義兄弟か。
いるにはいたが、向こうはどう思っていたかはしらぬ、と法正は胸のうちでつぶやいてみる。

思い出されるのは、劉備を蜀に招き入れる前に死なねばならなかった、張松のことである。
風貌は、法正がキツネならば張松はイタチ。
腹黒そうな獣っぽい風貌がお互いに気に入って、仲良くしていたものだ。
義兄弟も同然の、濃く、つよい絆で結ばれていた。
あとにも先にも、心から親友と呼べるのは、張松ひとりだけであろうと法正は思っている。
ふしぎと人というものは、似たもの同士で好き合うものだ。
法正が張松をこのましく思ったのは、その容姿が、モテなさそう、というところからであった。
そうして、語り合えば、その深い知識と見識に感銘をうけた。
それは相手も同じであったようである。
孔明のようにキラキラと華やかで目がくらみそうな者とは、まず初対面からしてうまくいかないことがおおい。
ヒトを見た目で判断してはならぬというが、しかし初対面でできあがった印象というものは、強烈なものだ。

もちろん、あとから、それはどんどん変化していくものであるが、しかし、頑固に初対面での印象を変えないで人付き合いをつづける執着質の頑固者もいる。
それが、まずいことに劉璋だった。
劉璋から、法正は、容姿がキツネっぽい、という理由から、遠ざけられた。
そこで、同じようにイタチっぽい、という理由から遠ざけられた張松と連合し、こんな主君は追い出してしまえと結論したのである。
劉璋は、キツネ風の容姿のなかに眠る、才能や志の高さを、けっして見ようとはしてくれなかった。
小生意気な軍師将軍の場合は、これだけ容姿に恵まれているのである。
自分がこれまでに味わったような悲しみや苦痛は、味あわずに済んできたであろうと思い、法正は、また腹が立ってくる。
張松は、裏切り者として捕らえられ、けもののように殺されてしまった。
法正はその報復のために、張松の処刑に関わった者、生前にその容姿からあからさまに侮っていた者たちを殺した。
世間の非難をおおいに浴びたが、法正はそれでもかまわなかった。
張松が日々、内面を磨くべく研鑽にはげんでいたのは、おのれのみにくい容姿を、内面を磨くことですこしでも上向かせようという考えからであった。
卑屈に、世を憎む男ではなかった。
真正面から見れば、張松の双眸にあった、聡明な思慮深さを読み取れたであろうし、不遜であるとしばしば批判された強気な発言のなかに、己が志のためならば、どんな犠牲も厭わないという、気高い精神を感じ取ることができたであろう。
それがわからなかった者に、なんら同情する気は起こらなかった。
法正は、しかし、処刑についての真の理由、動機を、だれにも語らなかったので、虐殺をおこなったのは、いまもって、自分の恨みを晴らすための行為だったと思われつづけている。
いいわけをするつもりはない。
おそらく、生涯沈黙しつづけるであろう。


義兄弟はいない、と法正が答えると、孔明は、すこしがっかりしたような顔をした。
「そうか。義兄弟というものは、やはりよいものなのかどうかと、知りたかったのだが」
まだ公務中だろうに、なんなのだろうと、不真面目な態度に怒りつつ、法正はたずねた。
「義兄弟が欲しいと思っておられるのか?」
「いたら、どんな心持がするのだろうと思ったのだよ。ほら、主公には関羽と張飛という義兄弟がおられる。よくお話をしてくださるのだが、もしも二人の義弟がいなければ、自分がいま、成都にいることはなかっただろうと、おっしゃっているのだ。
わたしの場合は、実の兄との仲は最悪であるし、弟はわが道をゆく男であるから、世間で言う、仲のよい兄弟とは当たらぬ気がする。
こういうと、奇異に思われるかもしれぬが、家族のなかに、わたしの心の支えとなるものがいないのだ」
と、語ってから、孔明は、ふと我にかえり、喋りすぎだな、おかしいな、とつぶやいた。

ふん、そういえば、こやつの妻女は、とんでもない変わり者で、諸国漫遊の旅に出たきり、帰ってこないという噂だ。
それでいて、妾も持たずに、一人身を通しているのだから、こやつも変わっておる。
もしも心の支えが欲しいというのならば、放埓な妻なんぞ無視をして、妾をもらえばよいものを。
これだけの器量、名声、くわえて若いときたら、どんな女とて好きに選びたい放題であろうに。
世の中には、張松のように、不公平な目にばかりあって、そのまま芽が出ずに死んでしまった者もいれば、この男のように、栄光の道を突き進むためにひつようなもの、すべてを最初から用意されているような者もいるわけだ。

考えたら、法正は腹が立ってきた。
なーにが義兄弟だ。
主公の寵愛も深く、まわりに固めている連中も、なにやら個性的なやつらばかりで仲がよさそうであるし、武官としてついているのは趙子龍、それにさきほどの行列のなかに錦馬超がいたな。
なぜにこやつの周囲ばかりに人があつまる。
顔か? 顔なのか?

法正の脳裏に、ふと、子どもたちの顔が浮かんだ。
実の父よりも軍師将軍のような父がいいと言い切った。世の人間に、どれだけ嫌われようと、痛くも痒くもないフリをつづけていられたのは、すべて子どもたちによい暮らしをさせてやりたいと思ったからである。
それがなぜだ。なぜ嫌われねばならぬ。
またまたホロリと涙がこぼれそうになり、法正はあわてて奥歯をぎりぎりと噛んで、鼻の奥のほうからツンとこみ上げてくるものを我慢した。
マスクをかぶっているからといって、油断してはならぬ。
こやつの前で泣いてなんぞたまるか。

ぐっと奥歯を噛みしめすぎるあまり、奥歯が、ごりごり、ぎりぎりと嫌な音を立てて鳴った。
なにせ滅多に泣く、ということがないので、泣くのを我慢する経験というのもすくないから、どうしても仕草が不自然になる。
そんな法正を、孔明はふしぎそうに見る。
「どうした、具合でもわるいのか」
「べつに」
なんでもない、かまうな、と言いたいところであるが、泣きそうになっているために長くしゃべることができない。
話かけるでない、気が利かぬやつよ、と法正はいまいましく思うが、孔明を責めるのはまちがっているだろう。
目の前にいる人物が、じつはマスクをかぶっており、しかも泣きそうになっているなどと、だれが想像するであろうか。
涙をひっこめねばとあせるあまりに、またガリゴリと奥歯が鳴ったので、孔明はだれかを呼ぼうと戸口に立とうとする。
あの目ざとい主簿に戻られたらコトだ。
あわてて法正は孔明を止めた。
「てーい、ていていてい!」
「てい………?」
『てい』とはなんだ、と不思議そうに首をかしげる孔明に、法正の涙は汐のようにしりぞいた。
『てい』とは、ことば自体に意味はないのであるが、法正が目下の者を叱るときに、つい口にしてしまうことばなのである。
たしかに孔明は年下で、自分よりいささか地位も下であるが、ここは敵陣。
いかん。
孔明の怪訝そうな顔が、だんだんと疑いの方向に曇っていく。
いかん、いかん。ごまかさねば。

「て…弟弟(ていてい)ということばをご存知か」
よし、うまく事前の話題ともつながっとる。
おのれの機転に、おもわずにやりとする法正であるが、しかし孔明の顔はぎゅっと険しいものになった。
なぜ!
「弟弟。弟は弟としての道を尽くせということばであろう。つまりは、弟は弟らしくしておれということだ。
むかし、兄に言われたことがある。弟に心を添えると悌という字になる。つまり悌とは、弟が兄に素直に仕える道を示す。おまえに心があるならば、われに従え、とな」
どうやら、孔明の兄は、某東京都荒川区の日本一有名な中学校の国語教師のような説得をする男らしい。
クサッタミカン。
よいことを言うではないか。
悌は、兄弟の道というほかに、年下の者が年長者に従うという意味でもあるのだ。
言ってやれ、軍師将軍の兄。
「従え従えとみなは言う。しかしわからぬのは、なぜあきらかに劣る者に、年下だから、目下だからという理由で仕えねばならぬのか、ということだ。兄はおのれのことを簡単に棚にあげて、わたしに要求ばかりをつき付ける。先に生まれたというだけではないか」

苛立ちの含まれた孔明のことばに、正直なところ、法正はおどろいた。
というのも、孔明は、公的な場では、とんと本音を語らぬところがある。
だから取っつきにくいし、周囲にいるのも、いつも同じ顔ぶれ、という印象がある。
狭い男よのう、とマスクの下で鼻を鳴らす法正であったが、孔明は、するどい眼差しを、きらりと法正に向けてきた。
法正のことばに怒っているというふうではなく、おのれの頭に浮かんだことに、興奮しているというふうだ。
「そなたはどう思う? わたしは曹操の強引な手法は好まぬし、才能さえあれば兄嫁を盗むものであっても構わぬと公言する姿勢は評価しないが、根元の部分では時代に即した考えであると思っている」
なるほど、だからこやつの周りには、若手が多いのだな、と反感をおぼえつつ法正は考えたが、つづく孔明のことばは意外なものであった。
「とはいえ、『悌道』を忘れてはならぬのだ。やはりいにしえより尊ばれる物には、尊ばれるだけの理由がある。能力のある者には、能力のもっとも発揮できる場を与えてやる。これは上に立つ者の義務だ。
しかし、能力ばかりを優先して配置すると、今度は周囲がやっかみ、能力のある者をかえって駄目にしてしまう場合がある」
「さすれば、才のある者に名のある年長者を付けてやればよい」
孔明は、法正のことばに、深くうなずいた。
「そのとおり。わが左将軍府でも、試験的に許靖を長史の地位に据えたのであるが、これがよかったようだ。
荊州人士は若手が多いから、どうしても益州人士の反感を買いやすい。荊州人士も、若いというところで、未熟な部分がある。そこを許靖や董和のような年長者が補助してくれるので、揉め事はだいぶ減っているように思う」
「そこまで考えての人事だったのか」
法正が素直に感心すると、孔明は困ったような顔をして笑った。
「この結論にたどり着くまでが長かったのだよ。わたし自身も、さまざまに苦労を重ねたはずなのに、実際に上に立って動こうとすると、どうしても理念だけが先行して、情の部分を忘れがちになる。だから冷たいと言われてしまうのだがな」
「いやいや、それは仕方あるまい。公平さを追及すれば、情の部分はどうしても切り捨てざるをえなくなる。たとえ一時は恨みを買ったとしても、よい結果を生みだせれば、恨みは消えよう。上に立つ者に必要なものは、恨みを買うこと自体のつらさに耐えられる強靭な精神なのだ」
法正が言うと、孔明も、身を乗り出してきた。
「まったくだ。恨みを買うことをおそれ、下におもねれば、主従関係にねじれが生じる。部下を丁重にあつかいすぎて、勘違いさせてはならぬし、かといって過度に恐れさせれもならぬ。むずかしいところだ」
「批判の対象でありつづけること、そして孤独であることを恐れてはならぬ。結局、道を阻むのは、政敵でも何者でもない、おのれの中にある恐れの心なのだ」
「そのとおり。かといって、孤独であることに慣れすぎてはならぬ。常に、他者の心を意識していなければ、狭い世界に閉じこもることになってしまう。
そうなれば、研鑽して得た知識も過去の者と為り下がり、無駄になってしまう」
「狭い世界とは、この巴蜀の地に閉じこもる、という意味か」
「そうではない。狭いとは、心のありようが狭くなる、ということだ。小さな価値観、小さな希望、小さな志。
小さな社会のなかで、すこしばかりの賛同者に囲まれて、多くのひとびとを否定する有り様を狭いと言っている。それはあまりに悲しかろう」
「悲しいとは」
「おのれの志をつよく持つということは、つまり志に反するものを否定する、ということでもある。もちろん、それは常にせめぎあって、互いに削りあいながら、うまく世の中に馴染んでいるものだ。
しかし、なかには頑なにおのれを守ろうとし、他者を否定し続ける者もある。そういった者の思考を突き詰めていくと、かならずと言っていいほど、その者が抱えている差別と偏見と、そしてその醜い心をもたざるをえなかった境遇にぶつかる。だから悲しいのだ」
「悲しくはなかろう。その者は、好んで心を変えぬのだ。狭い世界に閉じこもり、生涯を過ごすのも、その者の選んだ道。なにを悲しんでやる必要がある」
「そうだろうか。みながみな、同じように生きればよいとは思ってはおらぬが、おのれの中にある悲しみにすら気づかぬまま、世が大きく広く、ときに残酷であり、しかしうつくしいということを知らぬまま死ぬのだ。悲しいぞ」
「それはそうかもしれぬが、しかし悲しいなどと、いちいち気遣ってやる必要もあるまい。そういう頑固な連中は、たいがいが変革を好まぬ。われらの邪魔であろう」
「障害ではあるが」
いつしか法正は、声色を変えることすら忘れ、議論にふけっていた。
対する孔明も、めずらしくも話がぴたりと合う人物にめぐり合ったことで興奮し、目の前の渋い顔をした男が、似合わぬ甲高い声でしゃべりだしているのにも、たまーに、『われら』などと口にしていることにも、さほど気を払わない。
二人はすっかり話し込んでいた。

つづく……

(サイト・はさみの世界 初出 2006/04/12)


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