やがて、周瑜は孫策の遺体が仮埋葬された長江のほとりの街、丹徒《たんと》に到着した。
春という季節もあり、すでに遺体が傷み始めていたということで、かれの死に顔を見ることはできなかった。
白い喪服を着て、大きく哭礼《こくれい》をつづけている人々を見て、周瑜は呆然と立ち尽くした。
つねにきびきびと動き回り、いかなるときでもおのれを見失わない周瑜にとって、孫策の死がほんとうのことなのだと実感することは、まだできなかった。
孫策の妻の大喬が髪を振り乱して泣いている。
母親もまた、立ち上がれないほどに取り乱し、侍女たちに支えられながら、子の名を何度も呼んで泣いていた。
弟の孫権は、背中を丸めて座り込み、うつむいて声もたてない。
泣いているのか、それすらもわからなかった。
家臣たちもそれぞれ嘆き悲しんでいたが、そのうち黄蓋《こうがい》が周瑜の姿に気づくと、近づいてきた。
「なにがあったというのだ」
周瑜は思わずつぶやく。
孫策の遺体と対面していたら、もっと実感がこみあげてきただろう。
だが、かれは煙のように消えてしまったように思える。
それどころか、これはなにかの芝居で、大勢の家臣たちのあいだから、ひょっこり顔を出して、
「公瑾、なにを呆けた顔をしているのだ」
と冗談を言いながら出てきそうな気すらした。
そう、笮融《さくゆう》との戦いでそうしたように。
遠雷はやがて雨を運んできた。
人々は涙雨だとひそひそと言っている。
孫策に近しかったひとびとの涙は枯れることなく、いつまでも嗚咽があたりに聞こえていた。
黄蓋は、こちらへ、と小さく周瑜の着物の袖を引っ張り、人気のない城の廊下へ周瑜を連れて行った。
周瑜はさらさらと弱く降る雨を横目で見つつ、険しい顔をしている黄蓋にたずねる。
「なにがあったのだ。どうしてこんなことに」
いつもはピンと背筋を伸ばし、はきはきとものを言う黄蓋が、肩の力を落としたまま、なかなか口を開こうとしない。
「許貢《きょこう》の刺客に襲われたと聞いたが、まことなのか」
「まちがいはありませぬが」
と、黄蓋は語尾をにごす。
「怪我は治りかけておりました」
「なんだと。では、なぜ死ぬほどのことに」
黄蓋は、言いづらそうに、ゆっくりと語り始めた。
孫策は刺客に襲われたあと、すぐに手当てを受けることが出来た。
医者には、
「百日のあいだは安静にしていること、けしてみだりに動いてはならない」
と言いつけられた。
孫策もその言いつけを守るつもりでいたが、あるとき、手鏡でおのれの姿を見て、そのひどいありさまに愕然とした。
目はくぼみ、青黒いクマが両眼を縁取り、ほほはげっそりと痩せ、豊かだった髪も薄くなってしまっている。
まさに死相ともいうべきものだった。
『武器に毒が塗ってあったのではないか』
そう思うほどのやつれようで、うろたえて鏡を凝視し続けていると、ふと、おのれの影のそのうしろに、映ったものがある。
人影のようだ。
はっとして後ろを振り返るも、そこには誰もおらず、部屋の入口に侍従が控えているだけである。
孫策はふたたび鏡をのぞきこむ。
すると、おのれの姿の背後に、あきらかに人が映っているのだ。
『だれだ?』
じいっと見つめてから、孫策は恐怖のあまり叫び声をあげ、そのまま鏡を床に落としてしまった。
あわてて、侍従が飛んでくる。
「どうなさいましたかっ」
孫策はもともと血の気のなかった顔を、さらに青くして、震える声で言った。
「于吉《うきつ》だ、于吉の影がそこに!」
侍従はハッとして鏡を見たが、すでに割れてしまっているので、そこに何者かが映っているかはわからなかった。
孫策はその場で昏倒してしまい、急ぎ医者が呼ばれてふたたび手当てを受けたが、傷が開いてしまっており、その夜のうちに死んだ。
つづく
春という季節もあり、すでに遺体が傷み始めていたということで、かれの死に顔を見ることはできなかった。
白い喪服を着て、大きく哭礼《こくれい》をつづけている人々を見て、周瑜は呆然と立ち尽くした。
つねにきびきびと動き回り、いかなるときでもおのれを見失わない周瑜にとって、孫策の死がほんとうのことなのだと実感することは、まだできなかった。
孫策の妻の大喬が髪を振り乱して泣いている。
母親もまた、立ち上がれないほどに取り乱し、侍女たちに支えられながら、子の名を何度も呼んで泣いていた。
弟の孫権は、背中を丸めて座り込み、うつむいて声もたてない。
泣いているのか、それすらもわからなかった。
家臣たちもそれぞれ嘆き悲しんでいたが、そのうち黄蓋《こうがい》が周瑜の姿に気づくと、近づいてきた。
「なにがあったというのだ」
周瑜は思わずつぶやく。
孫策の遺体と対面していたら、もっと実感がこみあげてきただろう。
だが、かれは煙のように消えてしまったように思える。
それどころか、これはなにかの芝居で、大勢の家臣たちのあいだから、ひょっこり顔を出して、
「公瑾、なにを呆けた顔をしているのだ」
と冗談を言いながら出てきそうな気すらした。
そう、笮融《さくゆう》との戦いでそうしたように。
遠雷はやがて雨を運んできた。
人々は涙雨だとひそひそと言っている。
孫策に近しかったひとびとの涙は枯れることなく、いつまでも嗚咽があたりに聞こえていた。
黄蓋は、こちらへ、と小さく周瑜の着物の袖を引っ張り、人気のない城の廊下へ周瑜を連れて行った。
周瑜はさらさらと弱く降る雨を横目で見つつ、険しい顔をしている黄蓋にたずねる。
「なにがあったのだ。どうしてこんなことに」
いつもはピンと背筋を伸ばし、はきはきとものを言う黄蓋が、肩の力を落としたまま、なかなか口を開こうとしない。
「許貢《きょこう》の刺客に襲われたと聞いたが、まことなのか」
「まちがいはありませぬが」
と、黄蓋は語尾をにごす。
「怪我は治りかけておりました」
「なんだと。では、なぜ死ぬほどのことに」
黄蓋は、言いづらそうに、ゆっくりと語り始めた。
孫策は刺客に襲われたあと、すぐに手当てを受けることが出来た。
医者には、
「百日のあいだは安静にしていること、けしてみだりに動いてはならない」
と言いつけられた。
孫策もその言いつけを守るつもりでいたが、あるとき、手鏡でおのれの姿を見て、そのひどいありさまに愕然とした。
目はくぼみ、青黒いクマが両眼を縁取り、ほほはげっそりと痩せ、豊かだった髪も薄くなってしまっている。
まさに死相ともいうべきものだった。
『武器に毒が塗ってあったのではないか』
そう思うほどのやつれようで、うろたえて鏡を凝視し続けていると、ふと、おのれの影のそのうしろに、映ったものがある。
人影のようだ。
はっとして後ろを振り返るも、そこには誰もおらず、部屋の入口に侍従が控えているだけである。
孫策はふたたび鏡をのぞきこむ。
すると、おのれの姿の背後に、あきらかに人が映っているのだ。
『だれだ?』
じいっと見つめてから、孫策は恐怖のあまり叫び声をあげ、そのまま鏡を床に落としてしまった。
あわてて、侍従が飛んでくる。
「どうなさいましたかっ」
孫策はもともと血の気のなかった顔を、さらに青くして、震える声で言った。
「于吉《うきつ》だ、于吉の影がそこに!」
侍従はハッとして鏡を見たが、すでに割れてしまっているので、そこに何者かが映っているかはわからなかった。
孫策はその場で昏倒してしまい、急ぎ医者が呼ばれてふたたび手当てを受けたが、傷が開いてしまっており、その夜のうちに死んだ。
つづく
※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます♪
ブログ村に投票してくださったみなさまも、どうもありがとうございました!
非常に励みになっておりますv
おかげさまで創作も再び軌道に乗りそうです。
これからもがんばります!
ちなみに進捗ですが、「赤壁に龍は踊る」の二章目は下書きを書き終わりました。
我ながら、手を付けると早いな~(^▽^;)
これから原稿をブラッシュアップしつつ、三章の制作にも入っていきます(^^♪
ではでは、次回をおたのしみにー(*^▽^*)