はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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赤壁に龍は踊る 一章 その15 周瑜の思惑

2024年04月12日 09時58分34秒 | 赤壁に龍は踊る 一章



拳《こぶし》の手当てをしてもらったあと、孫権と対面した。
孫権と、そのそばには孫策から後を託されたといって張り切っている張昭がいる。
周瑜はそのとき、両者にどう言葉をかけたのか、よくおぼえていない。
これから江東を守り抜くため、互いに力を合わせて弟君を盛り立てていきましょうということを張昭に言ったのだろう。
張昭は満足した顔をしていたが、しかし孫権は突然の事態に頭が追い付いていないようで、まだうつろな顔をしていた。


孫権とひさびさに顔を合わせて、周瑜はざんねんなことに、かれはあくまで伯符(孫策)の弟であって、伯符本人ではないなと思ってしまった。
かつて初めて舒《じょ》にて孫策と会ったとき、そのはつらつとした明るさと、見る者を陶然とさせるほどの美しさを見て、周瑜は、この大地に、はじめて仲間を見つけたと思った。
周瑜は育ちが良すぎたうえ、なにもかも容易にこなせてしまう天才肌のところがあった。
それがゆえに、凡庸な同世代の少年たちと話が合わず、いつもどこかしら物足りなさを感じていたのである。
孫策という存在は、おのれの欠けていた部分をぴったりと埋めてくれた。
孫策と行動するのは楽しかった。
かれの壮大な夢に付き合って、どんなつらいことも、つらいと思わずすることが出来た。
並んで世間から称揚され、この世に怖いものなど何もないとすら思っていた。
二人でいれば、大地の果てまでも征服できると、本気で思っていたのだ。


そういう、楽しい夢を見させてくれる力は、孫権にはなさそうだった。
というのも、孫権は真っ赤に泣きはらした目をしつつ、どこか観察するようなまなざしで周瑜を見てきたからである。
幼いころからこの青年を見て思っていたが、孫権という人物、内気なうえに疑い深い。
慎重と言えばそうだが、それ以上に、兄の孫策とはちがう暗さを持っているのが、周瑜には気になった。
孫権と対面して言葉をかわしながら、周瑜はほんとうに孫策はいなくなったのだなと感じざるを得なかった。


その後、義姉の大喬とも面会したが、大喬は完全に混乱していて、急に代替わりしてしまったので、自分の子が今後どうなるか心配だと、そんなことばかり口にした。
それを叱るわけにもいかず、周瑜はただ、
「あとから小喬もまいりますので、二人でよく話し合われてください」
としか言えなかった。


大喬と小喬と、この美女姉妹を娶ろうという発想も、孫策から出たものだ。
確かに彼女たちは美しく、育ちもよかったので家庭をしっかり守ってくれた。
だが、それだけでよかったのかどうか、周瑜には分からなくなってしまった。
大喬は夫のために、呉太夫人を止められなかったのかと、つい思ってしまうのだ。
けっきょく、美々しい飾り物という以外のなにものでもなかったのではないか。


『策よ、おまえは一人だったのだな』
周瑜はそう思うと、身がちぎれるのではというほどつらかったが、しかしつらさに呑まれているわけにはいかなかった。
曹操が袁紹との戦いにかかりきりになっているいまこそ好機。
長く血で血を洗う抗争をくりひろげてきた江東の地を平らげ、平和を取り戻すのは、いましかない。
周瑜は張昭とともに孫権を励まし、ときには叱り、その領土を広げていった。
孫権は素直に言うことを聞いた。
周瑜が孫権に孫策を投影しているように、孫権もまた、周瑜に孫策を投影しているのかもしれなかった。


やがて周瑜は巴丘《はきゅう》から引き揚げ、孫権のそばに居住することになった。
あたらしい屋敷があてがわれ、そこに小喬と子供たちとともに住まう。
しかし、孫策が死んだあと、夫婦には微妙な隙間風が吹いていた。
周瑜は小喬にまったく興味が持てなくなってしまったのだ。
孫策が死ぬ前までは、自慢の妻であったのだが。
小喬のほうも周瑜が自分に不満を持っていることは承知しているようで、おたがいよそよそしい態度をとりつづけている。
あおりを食っているのは子供たちで、周瑜がほったらかしに育てているためか、ずいぶんわがまま放題に育ってしまっているようだ。


それでもなお、周瑜のこころは動かされなかった。
頭の中は、いかに江東を維持し、そして領土を広げていくか、だった。
周瑜の頭の中には、天下二分の計があるのだ。
中原の曹操の優位さはなかなか動かない。
であれば、曹操の支配のおよばない土地である江東、荊州、益州を先にとり、強兵のそろっている涼州の馬超と組んで、長安から許都、鄴都へと迫っていく、というのが、そのおおまかな戦略だ。
その夢のため、いそがしく体も頭もはたらかせている。
そうしているあいだは、孫策の死のために空いた心の穴に気づかぬふりをしていられた。


孫策の死をつまびらかに語ってくれた黄蓋と、その親友の闞沢《かんたく》は、周瑜の気の張った様子を心配してくれている。
なにかと、われらをもっと頼ってくだされ、と言うが、周瑜はそれにも応えなかった。
まるで生き急いでいるかのように、周瑜は動き続けている。
そう、まさにかれは死が怖いのだ。
光明が見えてきたと思ったら、すべてを奪っていく死というものの容赦のなさ。
それを思い知ったからこそ、動き続けずにはいられない。
『伯符のできなかったことは、わたしがやるのだ』
それが、周瑜の心の支えとなっていた。


魯粛は手紙で、劉備の軍師を連れてきたこと、劉備と同盟を組まんとしていること、それが成功しそうだということを書いていた。
あの人嫌いの孫権が、初対面の軍師に説得されたというのはめずらしい。
『士元(龐統)が言うには、青臭い理想主義者ということだが』
手の内を知られたくないということもあり、今回、周瑜は龐統を連れていない。
『見てから判断しよう。気に入らなければ、消すだけだ。
ただし、劉備と劉琦の軍の二万をうまく接収するかたちでな』
周瑜はそう思いつつ、やがて柴桑城に到着した。


つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます!
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そろそろいろんな作品を動かしたいなと思っていますが、さてはて、自分のペースでできるかな?
試行錯誤してやっています。
今後、動きがありましたら、またお知らせしますね!

ではでは、次回をおたのしみにー(*^▽^*)


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