※
内気、か。
孔明はあらためて趙雲を観察する。
たしかに、気の優しい男だ。
それがにじみ出ているためか、城の内外の女子供に人気がある。
趙雲の部隊の将兵は、とくに真面目で威張らず、規律正しいというので、余計に人気があるのだ。
ただ、趙雲本人は、人と対するとき、たしかに聞き手に回ることが多いようである。
よい聞き手は有能なものが多いというのは孔明の持論だが、その役目に徹しすぎてもいけない。
相手の都合のいいように振り回されてしまう危険があるからだ。
趙雲は、そのあたりの均衡が、いまのところ、いいとは言えないように感じられた。
なるほど、だからこそわが君は、わたしを通して、子龍に世間を知らせたいと思っておられるのか、とあらためて孔明は納得する。
親心というものであろう。
それほどに、劉備の寵愛を受けている趙雲を、孔明はすこしうらやましく思った。
しばらくして、趙雲が言った。
「襄陽のほうに足を伸ばしたほうが良かったかな。しかし、あちらだと、おまえも俺も知り合いが多いので、かえって落ち着かないだろうと思ったのだ。疲れたのなら、いまから山を下りて、俺の知り合いに宿を借りるか」
すでに日は橙色をふくみ、西に向かい落ち始めている。
「いや、これはこれで、いい気分転換になっているよ。木の香りというのは好きだ。心が洗われる」
「だったらいが、あまり気晴らしにならなかったのなら、悪かったなと思ったが」
「気遣いは無用だよ。あなたが連れて行ってくれるのが襄陽であったら、わたしは同行しなかっただろうさ。いまだに、わたしが劉州牧を選ばず、わが君に軍師として仕えたことについて、わあわあと言っている連中がいるからな。ここは人がいなくていい」
「うるさいのは、どこにでもいるもだな」
「そうさ。ところで、徐兄は軍師としてどうだった。わたしよりもっと堂々としていたのかな」
なにを思い出したのか、趙雲は苦笑いをして答えた。
「堂々というか、飄々、という感じだったな。良くも悪くも、徐軍師は、すぐに新野に溶け込んでいたよ。あの方を悪くいうのも少なかった。だから主騎が必要なかった」
それは想像がつく気がした。
徐庶は司馬徽の私塾に入るまえは、侠客として名の知れた男だった。
孔明と知り合う前に、おそらく身に備えていただろう殺気は消えてしまったようだが、それでも、劉備の部下たちは、自分とおなじにおいを徐庶に感じたに違いない。
だから、すぐに仲間として受け入れた。
「しかし、徐軍師は、いつもおひとりだった。もし、あの方に本当の意味での仲間がいたなら、あの方は母御のことをひとりで悩まず済んだかもしれない。残念だ」
「そうだな」
短く答えて、孔明は、徐庶が北へと旅立っていくのを見送ったことを思い出していた。
十年の長きにわたって青春をともにした朋友。
そのかれの姿が遠ざかっていくのを見つめながら、立っている場所の地面がえぐりとられたかのような心細さを感じたことをおぼえている。
しかし、その徐庶のおかげで、劉備という得難い主君を得ることができた。
さらに、その劉備の采配で、趙雲というあらたな友を得ることもできた。
人の縁とは面白いものだと、孔明は感慨を深くした。
つづく
(2006/08/13 初稿)
(2021/11/26 改訂1)
(2021/12/20 改訂2)
(2021/12/26 推敲1)
(2022/1/3 推敲3)
内気、か。
孔明はあらためて趙雲を観察する。
たしかに、気の優しい男だ。
それがにじみ出ているためか、城の内外の女子供に人気がある。
趙雲の部隊の将兵は、とくに真面目で威張らず、規律正しいというので、余計に人気があるのだ。
ただ、趙雲本人は、人と対するとき、たしかに聞き手に回ることが多いようである。
よい聞き手は有能なものが多いというのは孔明の持論だが、その役目に徹しすぎてもいけない。
相手の都合のいいように振り回されてしまう危険があるからだ。
趙雲は、そのあたりの均衡が、いまのところ、いいとは言えないように感じられた。
なるほど、だからこそわが君は、わたしを通して、子龍に世間を知らせたいと思っておられるのか、とあらためて孔明は納得する。
親心というものであろう。
それほどに、劉備の寵愛を受けている趙雲を、孔明はすこしうらやましく思った。
しばらくして、趙雲が言った。
「襄陽のほうに足を伸ばしたほうが良かったかな。しかし、あちらだと、おまえも俺も知り合いが多いので、かえって落ち着かないだろうと思ったのだ。疲れたのなら、いまから山を下りて、俺の知り合いに宿を借りるか」
すでに日は橙色をふくみ、西に向かい落ち始めている。
「いや、これはこれで、いい気分転換になっているよ。木の香りというのは好きだ。心が洗われる」
「だったらいが、あまり気晴らしにならなかったのなら、悪かったなと思ったが」
「気遣いは無用だよ。あなたが連れて行ってくれるのが襄陽であったら、わたしは同行しなかっただろうさ。いまだに、わたしが劉州牧を選ばず、わが君に軍師として仕えたことについて、わあわあと言っている連中がいるからな。ここは人がいなくていい」
「うるさいのは、どこにでもいるもだな」
「そうさ。ところで、徐兄は軍師としてどうだった。わたしよりもっと堂々としていたのかな」
なにを思い出したのか、趙雲は苦笑いをして答えた。
「堂々というか、飄々、という感じだったな。良くも悪くも、徐軍師は、すぐに新野に溶け込んでいたよ。あの方を悪くいうのも少なかった。だから主騎が必要なかった」
それは想像がつく気がした。
徐庶は司馬徽の私塾に入るまえは、侠客として名の知れた男だった。
孔明と知り合う前に、おそらく身に備えていただろう殺気は消えてしまったようだが、それでも、劉備の部下たちは、自分とおなじにおいを徐庶に感じたに違いない。
だから、すぐに仲間として受け入れた。
「しかし、徐軍師は、いつもおひとりだった。もし、あの方に本当の意味での仲間がいたなら、あの方は母御のことをひとりで悩まず済んだかもしれない。残念だ」
「そうだな」
短く答えて、孔明は、徐庶が北へと旅立っていくのを見送ったことを思い出していた。
十年の長きにわたって青春をともにした朋友。
そのかれの姿が遠ざかっていくのを見つめながら、立っている場所の地面がえぐりとられたかのような心細さを感じたことをおぼえている。
しかし、その徐庶のおかげで、劉備という得難い主君を得ることができた。
さらに、その劉備の采配で、趙雲というあらたな友を得ることもできた。
人の縁とは面白いものだと、孔明は感慨を深くした。
つづく
(2006/08/13 初稿)
(2021/11/26 改訂1)
(2021/12/20 改訂2)
(2021/12/26 推敲1)
(2022/1/3 推敲3)