”堤論明日へ” N新聞のトップ(7月1日)、 好きなコラムの一つですが、みやま市の観光まちづくりを考えた時に、参考になると思いました。(読まれた人も多いかとは思いましたが、保存をかねて・・・・。)以下、記事を引用し、ご案内します。
私のヨーロッパ体験は決して豊富ではない。それでもヨーロッパは、私に強い印象を残している。それはロンドン、パリ、といった大都市もさることながら、むしろ農村からくるものだった。ヨーロッパの農村は、静かであり、豊かであり、文化があり、輝いているのである。
私が比較的よく知っているイギリスを例にとれば、イギリスの農村は、よく保護された美しい自然の中に広々とした圃場が広がり、整備された道路が走っている。農家は豪華ではないが清潔で、前庭の花壇は手入れが行き届き美しい。しかも行く先々で街の雰囲気は違うのだ。異なる地元の材料を使い、異なる伝統文化を反映した家の造りや街並みが、そう感じさせるのだ。
どの村も誇れるものを持っている。美しい自然であったり、領主の居城であったり、村の生んだ文化人の生家だったりする。それを村の人がボランティアで管理している。自分の村に誇りをもち守り続けているのだ。
私は、これまでこの欄で日本再生、市民社会の役割、ソフト・パワーの強化ということを語ってきた。それは自分の住むところを「自分流」に良くしていくことにより実現できると考えている。
私の本籍は、長い間、「福岡県筑紫郡太宰府町連花屋」であった。しかしどうして「連花屋」なのか最近まで知らなかった。資料を読むと、「連花」と呼ばれる日本の詩歌は「神楽」と並んで、神への「祈祷」の一つの方法であり、太宰府天満宮は「連歌」を神事として行っていたことを知った。実は、そのために集まる場所、つまり会所が「連花屋」だったのだ。
日本を元気にする一つの方法が観光振興にあると言われて久しい。人が観光に出かけるのは、そこに行きたい、もう一度来たい、と思わせるものがあるからだ。観光振興のカギは、それぞれの地方が、他所にない、人々の関心を満足させ、快適だと感じさせてくれる魅力をつくり出すことにある。
私は、この課題にこたえる大きな経糸(たていと)は「歴史」にあると思っている。自分たちの歴史をもっと知ることで他所との違いが分かってくるものだ。どの時代をとるかで、また違いが出てくる。そして歴史は「文化」を残してくれる。
子どものころ、都府楼跡の柱石に腰を下ろし、いつの日か太宰府政庁が再建されたらいいな、と思ってことがる。観世音寺は天智天皇の発願で造られた古刹だし、菅原道真、つまり菅公に関係する故事も多い。7世紀に外的を意識を意識して造られた「水城」は、元寇のころ補強されているし、太宰府は戦国時代の物語のもこと欠かない。江戸末期、三条実美など尊公派公家は、太宰府に3年滞在し、坂本竜馬など多くの志士が集まった。
そして私にとっては「連花屋」の発見である。このような歴史がつづる物語を、今も残る自然の中で再現できないものだろうか。太宰府政庁とは言わないまでも、亡失したものは少しずつ復興し、現世を生きる人々に過去を知り、そして今の自分たちがあることを体験してもらう空間をつくれないものだろうか。さらに今日のデジタル技術を使えば、展示も充実し、さらに臨場感を高めることもできる。
太宰府歴史圏は、別に太宰府市だけのものではない。近隣の市とも協同して大きな歴史文化の空間をつくるべきである。現在の行政区域を越えた構想にするべきだ。この歴史文化空間は、自然を大事にし、環境を大事にするものでなければならない。徒歩で、あるいは自転車で散策できる場にしなければならない。歩道や自転車道の整備である。そして家々は、自分の庭の手入れに励む。美しい自然の中で、ゆっくりと歴史と文化を体験できる空間が、このようにしてでき上がる。
そうすると一日で見終わることなどできない。広域の滞在型の観光となる。万葉の昔から有名な二日市温泉の再登場である。これらの広い空間をそうゆう場所にするのである。それができ上がったとき、われわれはヨーロッパに追い付いたと言うことができるであろう。
★ みやまの観光まちづくりについて、今の取り組みレベルを考えて見ると、行政・議会・観光協会・市民らが、理念(夢や希望、行動のもととなる)を共有し、市民一体で、将来を見据えた観光まちづくりを前向きに進めて行こうと言う姿勢がもう一つ見えないような気がする。今の観光協会などの取り組みを見ても、お客を集めるのが目標で、イベントが柱になっている感がする。