帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下 (五百三十)(五百三十一)

2015-12-01 00:00:23 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。


 

拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首

 

なにはにはらへしに或るをんなのまかりけるに、もとしたしく侍りける

をとこのあしをかりてあやしきさまに成りて道にあひて侍りけるに、を

んなさしりげもなくて、としごろあはざりつることなどをよそにいひつ

かはしければ、このをとこのよみはべりける

五百三十   君なくてあしかりけりとおもふには いとどなにはのうらぞすみうき

難波に祓しに或る女がでかけたときに、元は親しくしていた男が、葦を刈りて、みすぼらしき様子になっていて、道で出遭ったので、女はそうとは知らないふりして、年頃逢わなかったことなどを、よそよそしく言って、使いの者に伝えさせたので、この男が詠んだのだった、

(あなたが居なくなって、我は・まだ葦刈っているなあと思うと、ますます難波の浦ぞ、住み辛いよ……あなたが居なくなって、悪し狩りした女だなあと思うので、ますます、難波男の心ぞ・何の端の心ぞ、澄み浮き浮きよ)

 

言の戯れと言の心

「あしかり…葦刈り…悪しかり…悪い狩り…悪い猟…悪い追い詰め」「なには…難波…何は…あのあれの端」「なに…何…ぼかした言い方」「は…端…身の端「浦…うら…裏…心」「すみ…住み…澄み」「うき…憂き…つらい…浮き…心浮き浮き…心晴れ晴れ」。

 

歌の清げな姿は、相変らぬ暮らしぶりにますますこの世に住み辛くなった有様。

心におかしきところは、悪しかりのあなたが居なくなって、わが身の端、心浮き浮きよ

 

この歌をもとにして、幾つかの物語が生まれるだろう。夫婦だったらしい二人の別れた情況、その後の女の生き様と現状、難波に祓に来た経緯などによって、この歌の聞こえ方が変わる。男の歌は負け惜しみか、本心とすれば、女のあしき業が聞こえる、女がこの歌を見た時の様子と、心におかしきところのある返歌を添えれば、興味ある物語の起承転結となる。

そのような物語の一つに『大和物語』百四十八「葦刈」がある。

 

         
         
源重之がははのあふみのこふに侍りけるに、むまごのあづまよりまかりのぼりて、
         
いそぐことありてなんえこのたびあはでまかりぬるといひつかはしたりければ

おばの女

五百三十一  おやのおやとおもはましかばとひてまし わがこのこにはあらぬなりけり
          
源重之の母が、近江の国府に居たのに(逢う身の乞うにあったのに)、孫が東国より京に上って来て、急ぐことが有ってですね、この旅は(この度は)、逢わないで帰ってしまったと言い遣わしたので、(おばの女・孫の祖母にあたる女)
 
(親の親と思うならば訪ねてきたでしょうに・ここは山奥か、わが子の子ではなかったようね……親の親と思うならば訪ねてきたでしょうに、わが子の・たねの、子ではなかったのかあ)

 

言の戯れと言の心
 
「あふみ…近江…逢う身…逢う見」「こふ…国府…国守の館のある所・山奥では無い…乞う…求める」。
 
「なり…伝聞・断定」「けり…気付き・詠嘆」。

 

歌の清げな姿は、孫に逢わせてと乞うていたのに、逢わせなかったわが息子に対する遠慮のない皮肉。

心におかしきところは、孫は他人の胤かという祖母の詠嘆。否、姑の嫁いびりかも。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。