帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下 (五百四十六)(五百四十七)

2015-12-09 23:20:01 | 古典

           


                           帯とけの拾遺抄



  藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。


拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首

 

つかさまうしけるにたまはざりけるころ、人のとぶらひにつかはしける

 源景明

五百四十六 わびびとはうきよのなかにいけらじと おもふことさえかなはざりけり

官職をと申し出たのに賜らなかった頃、人が消息を尋ねたので遣った(返事)(源景明・公任の父藤原忠頼と同じ世代の人)

(世をはかなんで寂しく暮らす人は、憂き世の中に生きていたくないと思うことさえ、適わないのだなあ・死ぬこともできない……堕ち込んだ男は、憂き男女の夜の仲には生きまいと思うことさえ、適わないよ・浮いた心地になれない)

 

言の戯れと言の心

「人…他人…女…彼女」「とぶらひ…弔い…安否をお尋ねること…ご機嫌伺い」。拾遺集の詞書には「人のとぶらひにおこせたる返事に」とある。

「わびびと…やり切れない思いの人…辛い人…堕ちこんだ人」「うきよのなか…憂き世の中…憂き男女の仲…憂き夜の仲」「いけらじ…生けらじ…生きたくない・死にたい…逝きたくない」「じ…打ち消しの意思を表す」「ざり…ず…打消」「けり…気付・詠嘆」。

 

歌の清げな姿は、憂き世の中の生き死にもままならぬありさまよ。

心におかしきところは、憂き男女の夜の仲で逝きたくないと思っても適わない・わが思いさえ思うようにならないなあ。

 

 

二条太政大臣右近番長紀きよただをめしよせてうたよませはべりけるに、

美濃橡のぞみはべりけるがかなはずはべりけるころに侍りければ

 きよただ

五百四十七 かぎりなきなみだのつゆにむすばれて ひとのしもとはなるにやあるらん

二条太政大臣(不詳・二条の小野宮の太政大臣・藤原実頼か忠頼かを思わせる)が、右近番長の紀清忠(不詳)を召し寄せて、歌を詠ませられようとした時に、美濃橡(美濃国の三等官)を望んでいたが適わなかった頃だったので、(きよただ)

(限りなき涙の露にむすばれて、人の、霜とは・下とは、成るのだろうか……限りなき涙の露に、結ばれて、人が鞭打ちの刑とはなるのだろうか……限りなき汝身唾のつゆに、むすばれて・縛られて、女の下門は・鞭打ちは、望む頂天に・成るのだろうか)

 

言の戯れと言の心

「なみだ…涙…汝身唾…おんなのなみだ・おとこのなみだ」「つゆ…露…汁」「むすばれて…かたまって…結ばれて…形を為して…結わえられて…縛られて」「ひと…人…我…女」「しもとは…霜とは…下とは…降格とは…刑罰は…鞭打ちは…下門は…おんなは」「なる…成る…或る情態に達する」。

 

歌の清げな姿は、何らかの失態があったのかな、京を離れようとしたが、許されないので、降格し、鞭打ちの刑を覚悟した男の歌。

心におかしきところは、ひと、しばり、むちうち、しもとの有頂天に成るさま。

 

公任が、当事者二人の名を曖昧にしたのは、歌の内容が内容だからである。拾遺集では、二条右大臣(粟田殿・藤原道兼)と左近番長佐伯清忠とする。

道兼は花山院とは因縁浅からぬ人。『大鏡』によると、「いみじうおぢられたまへりし」たいそう恐れられた人で、花山院をば「すかしおろし奉れる」という。だまして天皇を退かせ奉れる人なのである。左近番長はその右腕だろう。

それは、それとして、歌は清げな言葉で、その戯れによって、好色卑猥なこと(これも煩悩である)を見事に表わして優れた歌である。

父兼家の葬儀の時も定めに従わず「後撰、古今ひろげて、興言しあそび」していただけのことは有る。


 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。