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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞いている。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。それは「言の心」と「言の戯れの意味」を心得れば顕れる。
拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首
としのぶがながされはべりけるときに、ながさるる人は重服の装束を
してなんまかるとききはべりて、ははがもとよりそのきぬども調じて
つかはすに、そのきぬにむすびつけはべりける
五百五十九 人なししむねのちぶさをほむらにて やくすみぞめのころもきよきみ
としのぶ(仮名・或る人)が流されたときに、流人は黒服の装束をして、下向すると聞て、母の許よりその衣などを調えて遣るのに、その衣に結び付けてあった、(としのぶの母の歌)
(赤子を・人と為した、胸の乳房を、怒りの・炎にして、焼く墨染めの衣、着なさい、吾子よ……非と為した・流人と為した、旨の千ふさを・主旨のすべてを、炎にして焼く、炭染めの衣、着なさい、わが貴身よ)
言の戯れと言の心
「人…成人…流人…ひと…非と」「むね…胸…旨…主旨…内容」「ちぶさ…乳房…千ふさ…千多…すべて」「ふさ…房…多数」「ほむら…炎…火焔…怒り等の感情の燃えるさま」「すみ…墨…炭」「ころも…衣…心身を被うもの…心身…(母の)身と心」「きみ…君…貴身…吾子…体言止め…余情が有る」。
歌の清げな姿は、道理を超越した母の愛か、子を思う親の心の闇か。
心におかしきところは、吾子を非とするものを火で焼き、その炭で衣を染め、母の身と心にして、わが貴身に着せる。
おもふめにおくれてなげくころ、よみはべりける 大江為基
五百六十 ふじごろもあひみるべしとおもひせば まつにかかりてなぐさみなまし
想う女に先立たれて嘆く頃、詠んだ (大江為基・公任より数歳年上・式部少輔、入道)
(藤衣・藤の身と心、亡き妻に・逢えるだろうと思えば、松に掛かっていて、きっと心慰めるだろうに……喪中の男の身と心、妻と合い見るだろうと思えば、きっと待つ妻にまとわりついて、身も心も晴れるだろうに)
言の戯れと言の心
「ふじごろも…藤衣…蔓性の木…藤の身と心」「木…木の花…言の心は男」「あひみる…逢い見る…相見る…対面する…合い見る」「見…覯…媾…まぐあい」「おもひ…思い…想い…空想…妄想」「まつ…松…言の心は女…木の言の心は男なのに松は例外で女…亡き妻…土佐日記の小松は亡き女児、貫之は松の言の心を教示しているのである」「かかりて…掛かって…まとわり付いて」「なぐさみ…慰め…気晴らし」「せば――なまし…きっと何々しただろうに…仮想のことについての推量や意志を強調して述べる」
歌の清げな姿は、喪中、亡き妻への断ち難き未練。
心におかしきところは、喪中の男の身と心、合いま見える妄想、色々な思いが晴れるのに。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。