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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。
公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。
俊成は、歌言葉の浮言綺語に似た戯れの意味に歌の旨(主旨及び趣旨)が顕れると言う。
藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下 八十三首
よのなかのこころぼそくおぼえはべりければみなもとのきよただのあそん
のもとによみてつかはしける つらゆき
五百七十五 てにむすぶ水にうかべるつきかげの あるかなきかのよにこそありけれ
世の中が心細く思えたので、源きよただ(拾遺集は公忠)の朝臣の許に詠んで遣わした (つらゆき・紀貫之・古今和歌集撰者・仮名序作者)
(手に掬う水に浮かんでいる月影のように、有るか無いかわからないような、わが世であることよ……手に、結ぶ・にぎる、女に思い浮かぶ、つき人おとこの陰が、有るか無いかわからないような、わが夜だなあ)
言の戯れと言の心
「てにむすぶ…手に掬う…手に結ぶ…手ににぎる」「水…水の言の心は女」「うかべる…浮かべる…(水に)浮かんでいる…(脳裏に)浮かべる)」「つきかげ…月影…水に映る月…月人壮士の照りかがやき」「の…のような…比喩を表す…が…主語を示す」「あるかなきかの…有るか無きかの…無いに等しい」「よ…世…男女の仲…夜」「けれ…けり…(最近はこうであった)なあ…回想の意を表す…詠嘆の意を表す」
歌の清げな姿は、貫之晩年の心身ともに衰えの詠嘆。
心におかしきところは、わが・つき人おとこの、照ることのないさまを、手中の水面に、ゆらゆらと映るさまに寄せて表わした。
拾遺集は左注に「この歌詠み侍りて、ほどなく亡くなりにけるとなん、家の集に書きて侍る」とある。これが紀貫之の辞世の歌となったようである。
このうたをよみはべりてのころ、いくほどなくてみまかりたりとなん
家集にかきつけける 沙弥満誓
五百七十六 よのなかをなににたとへんあさぼらけ こぎゆくふねのあとのしらなみ
この歌を詠んだ頃から、間もなく、亡くなられたと、家集に書き付けて有るという(沙弥満誓・721年出家・大伴旅人や山上憶良らと同時代の人)
(俗なる世の中を何に喩えようか、朝ぼらけ、漕ぎ行く舟の跡の白波よ……女と男の俗なる夜の仲を何に喩えようか、朝ぼらけ・浅ぼらけ、こき逝く夫根の、あとの白な身よ)
言の戯れと言の心
「よのなか…世の中…俗世間…俗なる男女の夜の仲」「あさぼらけ…朝ぼらけ…夜明け時…白らけゆくころ…やうやう白くなりゆく(清少納言はこのように言う)ころ」「こぎゆく…漕ぎ行く…こき逝く…放出して果てる」「ふね…舟…船…夫根…おとこ」「あと…跡…後」「しらなみ…白波…体言止めで余情がある…白々しい心波よ…白な身よ」「白…おとこのものの色…白々しい」。
歌の清げな姿は、無常なこの世を、船の航跡の白波に喩えた。
心におかしきところは、女と男の夜の仲を、浅ぼらけ、逝く夫根の跡の、白らじらしい汝身に喩えた。
この両歌は、拾遺集巻第二十「哀傷」にある。
万葉集 巻第三「雑歌」に「沙弥満誓歌一首」として本歌がある。
世間乎 何物尓将譬 旦開 榜去師船之 跡無如
(世間を、何ものに譬えようか、朝開き、こぎ去る船の跡無きが如し……俗なる世に在る間を、何ものに喩えようか、朝、水門・開きて、漕ぎ去る、おふ根の跡無き如し・むなしいね)
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。