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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首
みちのくにになとりのこほりのくろづかといふところにしげゆきが
いもうと侍りとききはべりていひつかはしける 平兼盛
五百三十八 みちのくのあだちのはらのくろつかに おにこもれりときくはまことか
陸奥の国に、名取の郡の黒塚という所に、しげゆき(源重之)の妹が居ると聞いて言い遣わした、(平兼盛・重之・妹とは幼馴染か)
(陸奥の安達の原の黒塚に、鬼、籠もっていると聞くが真実か……未知の奥の婀娜ちの腹の黒つかに、餓鬼・餓えた物、籠もっていると聞くが、真か・間ことか)
言の戯れと言の心
「みちのく…陸奥…地名…名は戯れる。路の奥、未知の奥」「路…通い路…おんな」「あだちのはら…安達の原…所の名…名は戯れる。婀娜ちの腹、色っぽく艶めかしさいっぱいの腹」「ち…千…多い」「くろつか…黒塚…所の名…名は戯れる。黒きもののあるこんもりしたところ」「おに…鬼…あやしきもの…いやしきもの…渇えたもの…餓えたもの…餓鬼」「まことか…真実か…間のことか」「ま…間…おんな」。
歌の清げな姿は、鬼の居る恐ろしい所を離れて京に上って来いよ。(求婚の言葉)。
心におかしきところは、間ことのおに退治は任せておけ。
三条おほいまうちぎみの家にかかせはべりけるたびびとのぬす人に
あへるかた侍りけるところに 藤原為頼
五百三十九 ぬす人のたつたのやまにいりにけり おなじかざしのなをやのこさん
三条太政大臣(藤原頼忠・公任の父)の家に、画家に・描かせた旅人が盗賊に遭った絵が有ったところに、(藤原為頼・父は中納言藤原兼輔・為頼の甥の為時の娘は紫式部)
(盗賊が龍田の山に入ったことよ、同じ挿頭の・同じ先祖家柄の、悪名を、後世に・遺すのだろうか……寝す人が、絶ったの山ばに入ったことよ、同じ血族の汝を、後世に・残すだろうか)
言の戯れと言の心
「ぬす人…盗人…盗賊…白波などともいう…寝す人…共寝する人」「たつたのやま…龍田の山…山の名…名は戯れる。断つたの山ば、絶ったの山ば、ものの果て」「おなじかざし…同じ挿頭…造花の、菊、葵、藤、橘など冠や髪の飾りに付けたもの、それらによって同じ氏族・血族であることがわかるのだろう、絵の盗賊は為頼と同じ挿頭をしていた」「な…名…悪名…汝…親しき者をこのように呼ぶ」「のこさん…のこさむ…(悪名を)遺すのだろう(か)…(子孫を)残すのだろう(か)」
歌の清けな姿は、盗賊の絵を見た感想。
心におかしきところは、寝す男が、ものの果て方で、おとこのたましいを放ち、滅入ったときの思い。
紫式部は源氏物語で、「かざし」を「あふひ草かみの許せるかざしならぬに」とか「なはむつましきかざしなれども」という用い方をする。「かざし」は「先祖・家系・血縁」のことでもあると現在の古語辞典にあるが、紫式部は為頼の歌などによって、この言葉の多様な意味を心得て、独自に使いこなしているのである。源氏物語を原文で読めば、随所でこのような言葉に出会うだろう。繰り返し読めばわかることではない。
源氏物語にも多くの歌が有る。先ず、和歌を、平安時代の人々と同じように聞くことから始めている。今はまだ、源氏物語は程遠い彼方にある。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。