帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下 (五百三十六)(五百三十七)

2015-12-04 00:25:26 | 古典

          



                         帯とけの拾遺抄



  藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。



 拾遺抄 巻第十 雑下
 八十三首


          みたけにとしおひてまうではべりとて        もとすけ

五百三十六 いにしへものぼりやしけんよしの山 やまよりたかきよはひなる人

御岳に年老いて詣でているとて          (清原元輔・後撰集撰者の一人・清少納言の父)

(昔も登っただろうか、吉野山、やまより高い、高齢である人……以前にも昇っただろうか、好しのの山ば、やまより高い夜這い成るひと)


 言の戯れと言の心

「いにしへ…昔…過ぎ去った時…以前」「のぼり…登り…上り…昇り…浮き天の波間に昇り」「や…疑問・感動・感嘆の意を表す」「よしの山…吉野山…山の名…名は戯れる。良しの山、好しのの山ば」「やま…山…ものの山ば…頂上…頂天」「たかき…高き…高齢の…絶頂の」「よはひなる人…年齢である人…夜這い成る女人」。


 歌の清げな姿は、高齢者の御岳登山の前例や如何。

心におかしきところは、むかしは、昇っただろうよ、好しの山ば、やまより高い有頂天に成るひと。


 

あめふるひおほはらかはをまかりわたりけるに、ひるのつきはべりければ

  禅慶法師

五百三十七 よのなかにあやしき物はあめふれど おほはらかはのひるにぞありける

雨降る日、大原川を渡って行ったときに、蛭が付いたので  (禅慶法師・拾遺集は恵慶法師・元輔らとほぼ同じ時代の人)

(世の中で、ふしぎなものは、雨降れど大原川の、干る・蛭、であるなあ……男女の仲で、いやしいものは、お雨降っても、大腹おんなの渇えざまであることよ)


 言の戯れと言の心

「よのなか…世の中…男女の仲…夜の中」「あやしき…不思議な…奇怪な…賤しい」「あめ…雨…おとこ雨」「おほはらかは…大原川…川の名…名は戯れる。大腹女、大はらおんな」「大…ほめ言葉では無い」「原…腹…心の内」「川…言の心は女…おんな」「ひる…蛭(人の血を吸うと云う虫)…干る…渇える…餓える」。


 歌の清げな姿は、水豊富でも、いやしいのものは、渇えている蛭だ・わが血を乞うておるなあ。

心におかしきところは、夜の中で、いやしき物は、大いなる腹のうちのおんなの渇えであるなあ。


 清少納言のいう「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、女の言葉(和歌の言葉)」と、藤原俊成のいう「歌の言葉は浮言綺語の戯れ」は同じ言語観である。曲解することなく、素直に受け取れば、上のような歌の聞き方は、平安時代において正当であったといえるだろう。

 

拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。