■■■■■
帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首
みたけにとしおひてまうではべりとて もとすけ
五百三十六 いにしへものぼりやしけんよしの山 やまよりたかきよはひなる人
御岳に年老いて詣でているとて (清原元輔・後撰集撰者の一人・清少納言の父)
(昔も登っただろうか、吉野山、やまより高い、高齢である人……以前にも昇っただろうか、好しのの山ば、やまより高い夜這い成るひと)
言の戯れと言の心
「いにしへ…昔…過ぎ去った時…以前」「のぼり…登り…上り…昇り…浮き天の波間に昇り」「や…疑問・感動・感嘆の意を表す」「よしの山…吉野山…山の名…名は戯れる。良しの山、好しのの山ば」「やま…山…ものの山ば…頂上…頂天」「たかき…高き…高齢の…絶頂の」「よはひなる人…年齢である人…夜這い成る女人」。
歌の清げな姿は、高齢者の御岳登山の前例や如何。
心におかしきところは、むかしは、昇っただろうよ、好しの山ば、やまより高い有頂天に成るひと。
あめふるひおほはらかはをまかりわたりけるに、ひるのつきはべりければ
禅慶法師
五百三十七 よのなかにあやしき物はあめふれど おほはらかはのひるにぞありける
雨降る日、大原川を渡って行ったときに、蛭が付いたので (禅慶法師・拾遺集は恵慶法師・元輔らとほぼ同じ時代の人)
(世の中で、ふしぎなものは、雨降れど大原川の、干る・蛭、であるなあ……男女の仲で、いやしいものは、お雨降っても、大腹おんなの渇えざまであることよ)
言の戯れと言の心
「よのなか…世の中…男女の仲…夜の中」「あやしき…不思議な…奇怪な…賤しい」「あめ…雨…おとこ雨」「おほはらかは…大原川…川の名…名は戯れる。大腹女、大はらおんな」「大…ほめ言葉では無い」「原…腹…心の内」「川…言の心は女…おんな」「ひる…蛭(人の血を吸うと云う虫)…干る…渇える…餓える」。
歌の清げな姿は、水豊富でも、いやしいのものは、渇えている蛭だ・わが血を乞うておるなあ。
心におかしきところは、夜の中で、いやしき物は、大いなる腹のうちのおんなの渇えであるなあ。
清少納言のいう「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、女の言葉(和歌の言葉)」と、藤原俊成のいう「歌の言葉は浮言綺語の戯れ」は同じ言語観である。曲解することなく、素直に受け取れば、上のような歌の聞き方は、平安時代において正当であったといえるだろう。
拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。