帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下 (五百三十二)(五百三十三)

2015-12-02 00:13:10 | 古典

          


                         帯とけの拾遺抄


 
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。


拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首

 

天暦御時に、一条摂政蔵人頭にてさぶらひけるときに、帯をかけてごを

あそばしけるに、まけたてまつりはべりて、おほんかずおほくなりにけ

れば、帯かへしたまふとて                  御製

五百三十二  しらなみのうちやかへすとおもふまに はまのまさごのかずぞまされる
          天暦御時(村上天皇の御代)に、一条摂政(藤原実頼・公任の祖父)が蔵人頭としてお仕えしていた時に、帯を賭けて碁を楽しんでおられたので、お負けあそばされて、賭け磐の負け・数が多く(七番勝負なら四つに)なったので、勝っていた・帯を返されるとて、 (村上御製)
 (白波のように、うち返すかと思う間に、濱の真砂のように、負け・数が増してしまった……白らな身が、射ちや繰り返そうと思う間に、濱の・嬪の、真さ子の数が増していたぞ)

 
言の戯れと言の心

「しらなみ…白波…白汝身…白らな身…白々しくなった吾身」「の…比喩を表す…のように…主語を示す…が」「うち…接頭語…(碁を)打ち…射ち(放ち)」「かへす…(負けを)取り返す…繰り返す」「はま…浜…濱…嬪…女ばら」「まさご…真砂…真子…実子」「かず…負け数…(子どもの)人数」「まされる……増している…増してしまった…実頼が二十数歳年長で娘は村上帝の女御の一人であった。そしてこの頃、実子の数は村上帝が増さっていたのである」。

 
歌の清げな姿は、うち返そうと・負け数を挽回しようと、思う間に、濱の真砂の数(負数とあえて言わない)が増していた。

心におかしきところは、くり返し撃つうちに、真砂・真子・実子の数が増えていた。誰かに勝ったぞ。

 

 

尚侍むまがいへに、権中納言実資がわらわべにてはべりけるとき、小弓

いにまかりたりければ、ものかかぬさうしをかけものにしてはべけるを

見はべりて、                     小野宮大臣

五百三十三  いつしかとあけてみたればはまちどり あとあるごとにあとのなきかな

尚侍馬(或る女官長)の家に、権中納言実資(孫ながら実子とした養子)が童子であったとき・連れて、小弓を射に出掛けたところ、無地の障子を掛け物にしてあったのを見て、(小野宮大臣・藤原実頼・公任の祖父)
 (待ち遠しくて・すぐ開けてみたところ、浜千鳥・絵、以前にある如くには、跡形のないことよ……小弓・射ようと、開けたところ、端待ち鳥、以前ある如くには、あのあとのないことよ)

 
言の戯れと言の心

「小弓…子供の遊具…弓・弓張り…おとこ」「さうし…さうじ…障子…(無地の)障子・子供たちの小弓遊びで傷ついてもいいように取り換えてあった障子…双肢…両脚」。

「いつしかと…いつになるかと…待ち遠しくて早速…射つしかと…(小弓を)射るぞと」「あけて…戸を開けて…衣を開けて」「はまちどり…浜千鳥…鳥の言の心は女…鳥の名…名は戯れる。女文字の筆跡、ひらがなのよろめくような筆跡、夫で跡」「はま…端間…おんな」「あと…後…過去…以前…あの後」「ごと…如…のように…のような」「あと…跡…痕跡…往来の跡」「かな…感嘆・詠嘆」。

 歌の清げな姿は、子(実は孫)を連れて、或る女官長(馬内侍とは別人)の里に碁をうちに出掛けた時、子供たちへおもてなしの心を見た。

心におかしきところは、若きころの・浜千鳥(端待ちとり・おとこ待つ女)は、跡形もないなあゝ。

 
拾遺集には、女(内侍馬・馬内侍ではない)の「返し」があるので、聞きましょう。

とどめてもなににかもせん浜千鳥 ふりぬるあとは浪に消えつつ

(――清げな姿は略――……過去を・留め置いて何にするのよ、端待つおんな、古びてしまったあとは、汝身のせいで消えつつあるわ)

「ふりぬる…振った…降ってしまった…古びてしまった」「なみに…波浪に…汝身に…君の身の端のために…待てど貴身訪れないために」「つつ…現在進行中…筒…中空…空しい」


 
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。