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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首
元輔
五百五十 はなのいろもやどもむかしのにはながら かはれる物はつゆにぞありける
小野宮太政大臣の亡き娘(村上天皇女御)の喪中に「桜の花盛りに家の花を見ていささかに思ひをのぶる」を題に詠んだ歌(清原元輔・後撰和歌集撰者)
(花の色も宿も昔の庭のままながら、変わってしまわれたものは、露の命・白玉のようなひとの命、であることよ……心におかしきところなし)
言の戯れと言の心
「はな…花…木の花…草の花」「やど…宿…家…言の心は女」「には…庭…物事が行われる所…言の心は女」「かはれる…変われる…消えてしまう…亡くなられる」「れる…る…自然にそうなる意を表す…尊敬の意を表す」「つゆ…露…はかないもの…露の命…白露…白玉…真珠」。
土佐日記二月四日、母親が亡き女児を白玉と詠んだあと、「玉ならずもありけんをと、人、言はんや。されども、死し子、顔良かりきといふやうもあり」とある。
歌の清げな姿と歌の心は、庭の草花の露によせて、白玉のように美しい人のはかない命を思った。
よしのぶ
五百五十一 さくらばなにほふものゆゑつゆけきは このめもものぞおもひしるらし
(上に同じ) (大中臣能宣・後撰和歌集撰者)
(桜花・男花、色艶やかなので潤んでいるのは、木の芽も・我がこの目も、ものぞ・哀しい情をぞ、思い知っているに違いない……―――)
言の戯れと言の心
「さくらばな…桜花…木の花…言の心は男」「にほふ…色鮮やかさま…艶やかなさま」「つゆけき…露けき…露がおりている…潤んでいる…涙のつゆが零れそう」「このめ…木の芽…此の目…わが目」「もの…哀しみ・悲しみなどを漠然と言い表した」「思ひしる…思い知る…経験が有る…身にしみて感じている」「らし…のように思われる…現在の状況推量する意を表す…に違いない…確かな根拠が有って情況を推定する意を表す(たぶん能宣も娘を亡くした経験が有るのだろう)」
歌の清げな姿と歌の心は、桜花、色艶よくて露っぽい、木のめもこの悲しさ・我が此の目もこの悲哀・思い知っているに違いない。
このことをききはべりて 源延光朝臣
五百五十二 きみまさばまづぞをらましさくらばな かぜのたよりにきくぞかなしき
この歌会の歌を聞いて、(源延光・枇杷大納言・延光の妹は公任の母つまり頼忠の北の方)
(もしも、君がいらっしゃれば、先ず枝折るでしょう辺りの桜花、風の便りに聞くのさえぞ、哀しき・花散る如く涙こぼるる歌なので……―――)
言の戯れと言の心
「さくらばな…桜花…男花…男」「をらまし…(もしも君がいらっしゃればわが家の桜の枝を全て)折るでしょう…仮想推量…折るのがいいでしょう…仮想適当」「かぜのたより…風の便り…噂に聞くこと…他所から伝え聞く事」「ぞ…強調の意を表す…さえぞ(風の噂でさえぞ・直接ならばなおさら)強く指示する」「かなしき…哀しき(歌)…体言が省略されてあるが体言止め、余情・余韻が有る」
歌の清げな姿と歌の心は、風の便りに聞くのさえぞ哀しい・男花散る如く男の涙零れる歌々よ、和し奉る。
三首とも、拾遺和歌集巻二十『哀傷』にある。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。