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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。
公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義にある。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。
それらは、歌の言葉の字義だけではなく「言の心」と、浮言綺語のような戯れの意味を心得れば顕れると、俊成はいう。
藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下 八十三首
だいしらず よみ人しらず
五百六十九 とりべやまたににけぶりのもえたたば はかなくみえしわれとしらなむ
題知らず (よみ人知らず・弱々しかった女の歌として聞く)
(鳥辺山、墓地の・谷に煙が燃え立ったならば、弱くて頼りなく見えていた、わたくしと知って欲しい……女の山ばの辺り、たに間に気ぶりが燃え立ったならば、はかなく見ていた、わたくしと・わが本性と、知って欲しい)
言の戯れと言の心
「とりべやま…鳥辺山…火葬場・墓場のあった所…鳥の言の心は女」「たに…谷…言の心は女…山の間の低い土地」「けぶり…煙…火葬の煙…情念の燃える気ぶり」「け…気…気色…心地」「みえし…見えていた…思われていた…媾していた」「見…覯(詩経にある)…媾…みとのまぐはひ(古事記にある)…まぐあい」「しらなむ…知らなむ…承知してほしい…感知して欲しい」「なむ…強く指示する…相手に望む意を表す…(知って)欲しい」
歌の清げな姿は、病弱だつたのだろうか、女の遺書。
心におかしきところは、はかなき夜のちぎりに見えた女の夫への辞世の歌。
忠連が房の障子のゑに法師のしにてはべるかばねを法師のみはべりてなきた
るかたをかきて侍るところを、やまにのぼりて侍りけるついでにみはべりて
相方朝臣
五百七十 ちぎりあればかばねなれどもあひぬるを われをばだれかとはんとすらん
忠連(忠蓮・法師)の宿房の障子の絵に法師の屍を法師が見て泣いている様子を描いたのを、山寺に修行にのぼった機会に見て (相方朝臣・源相方・四位左中弁)
(契りあれば・仏道に縁を結べば、屍となっても、泣いてくれる人に・逢えたのだ、我をば誰が弔ってくれるだろうか……夫婦の・契りがあれば、屍となっても、相寝るよ・合い濡るよ、我は誰が弔らおうとするだろうか)
言の戯れと言の心
「ちぎり…契り…仏道の契り…仏との結縁…男女の契り…夫婦の縁」「あひぬる…逢った…相寝る…合ってしまう…合い濡る」「を…強調・確認・詠嘆の意を表す」「らん…らむ…推量の意を表す」
歌の清げな姿は、妻と死別したのだろうか、比叡山に仏道修行のために上った時に見た障子絵の感想。
心におかしきところは、契りし妻がいれば、屍となっても、相寝るを・合いそで濡らすものを。孤独となった心情。
この両歌は、拾遺集巻第二十「哀傷」にある。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。