■■■■■
帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。
公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。
俊成は、歌言葉の浮言綺語に似た戯れの意味に歌の旨(主旨及び趣旨)が顕れると言う。
藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下 八十三首
法師になりはべらんとていで侍りけるをりに家にかきつけてはべりける
大内記慶滋保胤
五百七十三 うきよをばそむかばけふもそむきなん あすもありとはおもふべきみか
法師になると言って出た折りに家に書き付けた、 (大内記慶滋保胤・賀茂保胤、中務省三等官にて出家)
(憂き世をば背けば、今日という日も背くのだろう、明日という日も在ると思うべき身か、ありはしないだろう……浮き夜に背を向ければ、京も・絶頂も、そっぽを向くだろう、明日も健在と思うべき、おとこの身か)
言の戯れと言の心
「うきよ…憂き世…苦しく辛い世…苦しい夜…辛い浮き夜」「そむかば…背けば…そっぽを向けば…(おとこが男の思いに)従わなければ」「けふ…今日…きょう…京…山ばの頂上…ものの極み…感の極み…絶頂」「あり…在り…健在である…有り」「か…疑いの意を表す…反語の意を表す」。
歌の清げな姿は、思い立った今日、出家する。明日も健在と思うべき身か。
心におかしきところは、この夜の有頂天にも、そっぽを向く、わがおとこに明日はあるか、ないだろう。
あさがほのはなを人のもとにつかはすとて 道信朝臣
五百七十四 あさがほをなにはかなしとおもひけん ひとをもはなはさこそみるらめ
朝顔の花を人の許に遣るということで (道信朝臣・藤原道信・伯父兼家の養子・994年の秋、二十三歳で歿)
(朝顔の花を、どうして、はかなくて可哀想だと思っただろうか、人をも、朝顔の花は、はかなくて可哀想な者だと、思って見ているだろう……浅かおを、どうして、愛しいと思っただろうか・思わないよね、女をも、お端は、さこそ・愛しくて可哀想だと、見ているつもりなのだが)
言の戯れと言の心
「あさがほ…朝顔…花の名…名は戯れる。咲けばたちまち萎むもの、はかない命、寝起き顔、浅彼お、情の浅いおとこ」「を…対象を示す…強調して示す…お…おとこ」「なには…何は…疑問を表す…反語を表す」「かなし…愛しい…かわいい…哀し…可哀想…いたましい」「ひと…人…女」「はな…花…先端…おとこ花」「さこそ…然こそ…愛しいと…哀しいと・いたましいと・可哀想だと」「みるらめ…見るだろう…思うだろう…見ているつもりなのだが」「見…覯…媾…まぐあい」「らめ…らむ…推量を表す…婉曲に述べる意を表す」
歌の清げな姿は、はかない朝顔の花に寄せて、おとこの臨終と、かなしき思いを女に告げた。
心におかしきところは、ちかごろ和合ならぬ、原因は我が浅かおにあり、可哀想だと思って見ているよ。
この両歌は、拾遺集巻第二十「哀傷」にある。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。