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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首
おほすみのかみ桜島忠信がはべりける時、こほりのつかさにかしらしろき
おきなのはべりけるを、めしかうがへんとしはべるけるに、
五百四十四 おいはててゆきのやまをばいただけど しもと見るにぞみはひえにける
大隅の国の守の桜島忠信がいた時、郡の役人に頭髪の白い翁がいたのを、召しあげて、懲罰を考えようとしていた時に、(翁の歌)
(老い果てて雪の山を頂いているけれども、懲罰にであうと・鞭など見ると、身は冷え・萎えてしまうことよ……感極まり果てて、白ゆきの山ばを頂いているけれど、しも門見るに、燃えも上がらず・身は冷えてしまうことよ)
言の戯れと言の心
「大隅…本州の最南端(鹿児島)」「こほりのつかさ…郡司…郡の役人…氷の役人(氷室の役人か)」「めしかうがへん…呼びつけ何かの失態についての処罰を考える」。
「おい…老い…極まり…年齢の極まり…ものの限界…感の極み」「ゆきのやま…雪の山…白髪…逝きの山ば」「いただけど…頂けど…頂戴すれど」「しもと見る…しもと見る(むち打ちの刑の鞭などを見る)…刑罰に遭う…霜と見る…下門見る…おんなを見る」「と…門…身の門」「見…遭遇・経験すること…覯…媾…まぐあい」「み…身…見」「ける…けり…気付き・詠嘆」。
歌の清げな姿は、この歳になって、懲罰にあおうとは、身も凍ることよ。
心におかしきところは、おいはてて、ちかごろ・下と見ても、身も情熱も冷えたままだなあ。
拾遺集の左注に「この歌によりて許され侍りにけり」とある。国守の桜島忠信(印象的な好いお名前ながら伝未詳)は、翁に「そそそろ引退を考えようよ」と言ったのだろう。
神明寺の辺に無常のところまうけてはべりけるがおもしろくはべりければ
五百四十五 をしからぬいのちやさらにのびぬらん をはりのけぶりしむるのべにて
神明寺の辺に無常のところ(常ならぬ処・臨時の火葬場か)を設けてあったが、興趣あったので、(無名・拾遺集は元輔・清少納言の父・任地肥後国にて歿、享年八十三)
(我が・惜しくもない命、更に延びただろうか、命の・終りの煙、染みる・目に涙、野辺にて……お肢・惜しくはない命、さらに延びてしまうのだろうか、お張りの・終りの、気ぶりに締めつける、山ばでないところにて)
言の戯れと言の心
「神明寺…各地にあるが、京の西にある寺と言う…赤穂郡上郡には今も在る…肥後の国にも在ったかもしれない」。
「をし…惜し…お肢…おとこ」「や…疑問の意を表す…反語の意を表す」「ぬ…完了した意を表す…てしまった…てしまう」「らん…らむ…「をはり…終わり…(命の)終わり…(お張りの)終わり…おとこの果て」「けぶり…煙…火葬の煙…線香の煙…気ぶり…気はい」「しむる…(目に)染みる…締むる…締める…(おんな)締めつける」「のべ…野辺…山ばでは無い辺り」。
歌の清げな姿は、他人の死に手を合わせた、思はず涙を流す、煙が目に染みる。
心におかしきところは、惜しくもない、おわりかけのものの命、気はい察し締めるゆえ、さらに延びるだろうよ、山ばのないひら野にて。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。