帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下(五百七十七)よみ人しらず (五百七十八)ちうれ

2015-12-26 22:53:49 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



  藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。

俊成は、歌言葉の浮言綺語に似た戯れの意味に歌の旨(主旨及び趣旨)が顕れると言う。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首


                                    よみ人しらず

五百七十七  やまでらのいりあひのかねのこゑごとに けふもくれぬときくぞかなしき

(題知らず)          (よみ人知らず・男の歌として聞く)

(山寺の入相の鐘の音がする毎に、今日も暮れてしまうと聞くのこそ、哀しい・ものだなあ……山ばのてらいの、入り合いの、鐘の・煩悩の、声ごとに、京も・有頂天も、果ててしまうと聞くぞ、哀しくも・愛しいなあ)

 

言の戯れと言の心

「やまでら…山寺…(戯れて)山ばのてら(い)…山ばを誇らか告げる」「てらふ…衒う…みせびらかす…誇らかに表わす」「いりあひ…入相…日没…日暮れ…入り合い…和合に入る」「かねのこゑ…鐘の音…諸行無常の響き…鐘の声…煩悩の声…和合の京に達した時の女の声」「けふ…今日…無常なる今日という日…京…山ばの絶頂…和合の極み…俗世最高の喜び・有頂天」「くれぬ…暮れてしまう…果ててしまう…尽きてしまう」「ぬ…完了の意を表す」「かなしき…哀しい(時・もの)…愛しい(時・もの・ひと)…かわいい(時・もの・女)…体言が省略されてあるが体言止め。鐘の音のように余韻がある」

 

歌の清げな姿は、諸行無常の鐘の音とともに、今日も暮れてしまう情景。

心におかしきところは、山ばの京を告げる女の煩悩の声とともに、京も果ててしまう情況。


 この歌は
、拾遺集巻第二十「哀傷」にある。

 


          おこなひしはべりけるひとのくるしくおぼえはべりければえおき

はべらざりける、後夜にをかしげなるのつきおどろかすと

てよみはべりける、                 ちうれ

五百七十八 としをへてはらふちりだにあるものを いまいくよとてたゆむなるらむ

仏道・修行していた人が、苦しくおもえたので、起きることができなかった夜も更けた頃に、かわいらしいが、つつき起こすということで、詠んだ   (ちうれ・不詳・小坊主の名か)

(年を経て掃う散りだってあるものを、今、幾夜経ったということで、お疲れになっているのだろうか……疾しを・一瞬の時を、経て払い清める心の塵だってあることはあるが、井間に逝くよとばかり、どうして・気抜けしているのだろうか)

 

言の戯れと言の心

「としをへて…長年を経て…疾しを経て…一瞬のときを経て…夢中に掃い出して」「ちり…塵…心の塵…おとこの散り花…男の身の塵芥」「いまいくよ…今幾夜…井間逝くよ」「たゆむ…疲れる…心が緩む…ものがたるむ」「らむ…推量する意を表す…原因理由を推量する意を表す」


 歌の清げな姿は、修行中に眠ってしまう法師を起こす決め台詞。

心におかしきところは、夢の中で・井間逝くよとて、払い出して、身も心もゆるんでいるのか。


 この歌は、拾遺集にはない。載せ難い歌のようである。


 
 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。