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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。
公任は和歌の表現様式を捉えていた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。それらは「言の心」と「言の戯れの意味」を心得れば顕れるという。
藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下 八十三首
こにまかりおくれてよみ侍りける 兼盛
五百六十五 なよたけのわがこのよをばしらずして おほしたてるとおもひけるかな
子に先だたれて詠んだ (平兼盛・村上の御時・950年、平の姓を賜り臣に下る)
(なよ竹の・よわよわしい、我が子の生涯をば知らずして、育てあげていると思っていたのだなあ……弱くはかない、我がおとこの、夜をば・生涯をば、知らずして、思い立てていると、思っていたのだなあ)
言の戯れと言の心
「なよたけ…細竹…弱竹…竹の言の心は男」「このよ…子の世…子の生涯…この夜の間」「子…こども…この貴身…おとこ」「おほしたてる…育てあげる…思ぼしたてる(お思いになられる)…思って立てる…思って絶っている」「けるかな…気付き・詠嘆の意を表す」。
歌の清げな姿は、雄々しく育てていた我が子のはかない生涯を嘆く。
心におかしきところは、なよ竹のような、ぼくの生涯をば知らずして、よく思い立たれては絶たれますなあ。
「竹…君…男…貴身…おとこ」などという戯れを知らずして、清少納言枕草子を読んでも「をかし」のほんとうの意味は伝わらない。
五月の頃、宮の内で、男どもが、悪戯に呉竹(なよ竹では無い・節の多い杖にもする竹)を清少納言のいる局にそよろと差し入れると、清少納言は一言、「おい!この君か?」と言うと、男どもは驚いて帰ってしまった。「おい・感極まった、子の貴身か?」と言ったのである。「呉竹」を題にして歌でも詠もうとして来たのだが、こうもズバリ言われると、これ以上の「をかし」と思える歌は詠めそうもないのである。清少納言は「(そんな事とは・そんな言葉は)知らなかった」と言い張るが、男の言葉でも、女の言葉でも「竹…君…男…おとこ」であることは、心得ていたのである。この場面は、枕草子(五月ばかり)にある。詳しくは、帯とけの枕草子(百三十)でどうぞ。
めのなくなりはべりてのちに、こも又なくなり侍りにける人を、とひに
つかわしたりける よみ人しらず
五百六十六 いかにせんしのぶのくさもつみわびぬ かたみと見えしこだになければ
妻が亡くなって後に、子も亡くなった人を、弔問に遣わした(返歌)(よみ人知らず・男の歌として聞く)
(どうしょう、哀しみに・耐え忍ぶ種も手にしそこなった、形見と思った子さえ亡くなったので……どうしょう、偲ぶ女も娶り難くなった、堅身と見ていたこの貴身も、萎え伏して・無いので)
言の戯れと言の心
「いかにせん…如何にせん…為すすべがない…どうしょう」「しのぶ…忍ぶ…草の名…名は戯れる。堪え忍ぶ、偲ぶ、思慕する」「くさ…草…種…胤…草の言の心は女」「つみわびぬ…摘み損なった…手にできなかった…娶り難くなった…見難くなった」「つむ…摘む…引く…娶る」「かたみ…形見…思い出の胤…思い出のよすが…堪え忍ぶための種…堅身…強く堅かったわがおとこ」「見えし…見ていた…思っていた…媾していた」「見…看…覯…媾…まぐあい」「こ…子…こども…この貴身…おとこ」。
歌の清げな姿は、どうしょう・為すすべがない。続けて妻も子も亡くした男の思い。
心におかしきところは、重なる精神的衝撃で、偲ぶ女が出来ても摘むこともできそうにない、堅身までもなくした。
和歌は清げな姿と共に、多様に戯れる言葉を逆手にとって、人の心根までも表現できる様式を持っている。
古今集仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ、成れりける。世の中に在る人、こと(事・言)、わざ(業・ごう)繁きものなれば、心に思う事を、見るもの聞くものに付けて、言いだせるなり」とある。心に思う事を清げな姿に付けて表現する「表現様式」があった事を示している。それを、公任は見事に捉えている。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。