帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下(五百六十九)よみ人しらず (五百七十)相方朝臣

2015-12-22 23:04:16 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



 藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義にある。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。

それらは、歌の言葉の字義だけではなく「言の心」と、浮言綺語のような戯れの意味を心得れば顕れると、俊成はいう。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首


          だいしらず                     よみ人しらず

五百六十九 とりべやまたににけぶりのもえたたば はかなくみえしわれとしらなむ

題知らず                     (よみ人知らず・弱々しかった女の歌として聞く)

(鳥辺山、墓地の・谷に煙が燃え立ったならば、弱くて頼りなく見えていた、わたくしと知って欲しい……女の山ばの辺り、たに間に気ぶりが燃え立ったならば、はかなく見ていた、わたくしと・わが本性と、知って欲しい)


 言の戯れと言の心

「とりべやま…鳥辺山…火葬場・墓場のあった所…鳥の言の心は女」「たに…谷…言の心は女…山の間の低い土地」「けぶり…煙…火葬の煙…情念の燃える気ぶり」「け…気…気色…心地」「みえし…見えていた…思われていた…媾していた」「見…覯(詩経にある)…媾…みとのまぐはひ(古事記にある)…まぐあい」「しらなむ…知らなむ…承知してほしい…感知して欲しい」「なむ…強く指示する…相手に望む意を表す…(知って)欲しい」


 歌の清げな姿は、病弱だつたのだろうか、女の遺書。

心におかしきところは、はかなき夜のちぎりに見えた女の夫への辞世の歌。


 

忠連が房の障子のゑに法師のしにてはべるかばねを法師のみはべりてなきた

るかたをかきて侍るところを、やまにのぼりて侍りけるついでにみはべりて

                           相方朝臣

五百七十  ちぎりあればかばねなれどもあひぬるを われをばだれかとはんとすらん

忠連(忠蓮・法師)の宿房の障子の絵に法師の屍を法師が見て泣いている様子を描いたのを、山寺に修行にのぼった機会に見て (相方朝臣・源相方・四位左中弁)

(契りあれば・仏道に縁を結べば、屍となっても、泣いてくれる人に・逢えたのだ、我をば誰が弔ってくれるだろうか……夫婦の・契りがあれば、屍となっても、相寝るよ・合い濡るよ、我は誰が弔らおうとするだろうか)


 言の戯れと言の心

「ちぎり…契り…仏道の契り…仏との結縁…男女の契り…夫婦の縁」「あひぬる…逢った…相寝る…合ってしまう…合い濡る」「を…強調・確認・詠嘆の意を表す」「らん…らむ…推量の意を表す」


 歌の清げな姿は、妻と死別したのだろうか、比叡山に仏道修行のために上った時に見た障子絵の感想。

心におかしきところは、契りし妻がいれば、屍となっても、相寝るを・合いそで濡らすものを。孤独となった心情。


 この両歌は、拾遺集巻第二十「哀傷」にある。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下(五百六十七)よみ人しらず (五百六十八)皇太后宮権大夫国春

2015-12-21 22:08:10 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



 藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。

俊成は、歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、そこに歌の深い主旨・趣旨が顕れるという。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首


          こふたりはべりける人のひとりははるみまかりいまひとりは秋なくなり

侍りければ、

五百六十七  はるははなあきはもみぢとちりぬれば たちかくるべきこのもともなし

子、二人いた人が、一人は春に亡くなり、いま一人は秋に亡くなったので、(よみ人知らず・男の歌として聞く)

(春は花、秋は紅葉となって、散ってしまったので、わが家には・たち隠れるべき木の許も梨……張るはお花、飽きは厭き色となって散ってしまったので、立ち、掛けるべき、この元もなし)


 言の戯れと言の心

「はるははな…春は花…青春は華…張るはおとこ花」「花…木の花…男花…おとこ花」「あきはもみぢ…秋は紅葉…飽きは厭き色」「ちりぬれば…散ってしまえば…果ててしまえば…亡くなってしまえば」「たちかくる…立ち隠る…たち隠れる…絶ちかくれる…立ち射かける」「このもと…木の許…子の本…おとこの元…子種」「こ…子…おとこ」


 歌の清げな姿は、桜花散り、葉は紅葉となって散ってしまった、隠れるべき木陰も梨。

心におかしきところは、張るはお花、飽きはも見じして、散ってしまえば、立ち射かくるべき子種も涸れてなし。


 この歌は,拾遺集 巻第二十「哀傷」にある。

 


          こぞのあき、むすめにまかりおくれてはべりけるに、むまごこれのりが

のちのはる兵衛佐にまかりなりて侍りけるよろこびを人つかはしたりけ

るに、                    皇太后宮権大夫国春

五百六十八  かくしこそはるのはじめはうれしけれ つらきはあきのおはりなりけれ

去年の秋、娘に先だたれたが、孫の、これのり(不詳)の、翌年の春、兵衛佐(兵衛府次官)になったお祝いの言葉を遣ったところ、(皇太后宮権大夫国春・拾遺集では国章、これのりの名はない)

(このように、春の初めは嬉しいことよ、辛いのは、去年の・秋の終わりの頃だなあ……孫はわが・隠し子ぞ、初春は愛でたくも嬉しいことよ、つらいのは、秋の終わり・飽き満ち足りのお張りの終わり、であるなあ)


 言の戯れと言の心

「かくしこそ…斯くしこそ…このようにしてぞ…隠し子ぞ…孫は我が他の女に産ませた隠し子ぞ(子のできそうにない娘夫婦の養子にしたのだろう)、公任が作者名の、国あきを国はるにして、曖昧にした理由だろう」「こそ…強調の意を表す…子ぞ」「はるのはじめ…季節の春の初め(叙位などがある)…張るの初め…わが青春」「あきのおはり…季節の秋の終わり…もみじ葉の散り落ちる頃…ものの果て」「おはり…(命の)終わり…(お張りの)終り…(寄る年波によるものの)果て」


 歌の清げな姿は、春と秋に出遭った喜びと悲しみの心情を素直に言葉にした。

心におかしきところは、孫は我が胤である、数十年前の青春と胤の昇進を歓喜する、つらいのは、お張りの終り。


 この歌は拾遺集 巻第九「雑下」にある。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下(五百六十五)兼盛 (五百六十六)よみ人しらず

2015-12-19 23:13:14 | 古典

           



                            帯とけの拾遺抄



 藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。

公任は和歌の表現様式を捉えていた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。それらは「言の心」と「言の戯れの意味」を心得れば顕れるという。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首


           こにまかりおくれてよみ侍りける              兼盛

五百六十五 なよたけのわがこのよをばしらずして おほしたてるとおもひけるかな
           
子に先だたれて詠んだ  (平兼盛・村上の御時・950年、平の姓を賜り臣に下る)

(なよ竹の・よわよわしい、我が子の生涯をば知らずして、育てあげていると思っていたのだなあ……弱くはかない、我がおとこの、夜をば・生涯をば、知らずして、思い立てていると、思っていたのだなあ)

 
言の戯れと言の心
 
「なよたけ…細竹…弱竹…竹の言の心は男」「このよ…子の世…子の生涯…この夜の間」「子…こども…この貴身…おとこ」「おほしたてる…育てあげる…思ぼしたてる(お思いになられる)…思って立てる…思って絶っている」「けるかな…気付き・詠嘆の意を表す」。

 

歌の清げな姿は、雄々しく育てていた我が子のはかない生涯を嘆く。

心におかしきところは、なよ竹のような、ぼくの生涯をば知らずして、よく思い立たれては絶たれますなあ。

 

「竹…君…男…貴身…おとこ」などという戯れを知らずして、清少納言枕草子を読んでも「をかし」のほんとうの意味は伝わらない。

五月の頃、宮の内で、男どもが、悪戯に呉竹(なよ竹では無い・節の多い杖にもする竹)を清少納言のいる局にそよろと差し入れると、清少納言は一言、「おい!この君か?」と言うと、男どもは驚いて帰ってしまった。「おい・感極まった、子の貴身か?」と言ったのである。「呉竹」を題にして歌でも詠もうとして来たのだが、こうもズバリ言われると、これ以上の「をかし」と思える歌は詠めそうもないのである。清少納言は「(そんな事とは・そんな言葉は)知らなかった」と言い張るが、男の言葉でも、女の言葉でも「竹…君…男…おとこ」であることは、心得ていたのである。この場面は、枕草子(五月ばかり)にある。詳しくは、帯とけの枕草子(百三十)でどうぞ。


 

めのなくなりはべりてのちに、こも又なくなり侍りにける人を、とひに

つかわしたりける                  よみ人しらず

五百六十六 いかにせんしのぶのくさもつみわびぬ かたみと見えしこだになければ

妻が亡くなって後に、子も亡くなった人を、弔問に遣わした(返歌)(よみ人知らず・男の歌として聞く)

(どうしょう、哀しみに・耐え忍ぶ種も手にしそこなった、形見と思った子さえ亡くなったので……どうしょう、偲ぶ女も娶り難くなった、堅身と見ていたこの貴身も、萎え伏して・無いので)

 
言の戯れと言の心
 
「いかにせん…如何にせん…為すすべがない…どうしょう」「しのぶ…忍ぶ…草の名…名は戯れる。堪え忍ぶ、偲ぶ、思慕する」「くさ…草…種…胤…草の言の心は女」「つみわびぬ…摘み損なった…手にできなかった…娶り難くなった…見難くなった」「つむ…摘む…引く…娶る」「かたみ…形見…思い出の胤…思い出のよすが…堪え忍ぶための種…堅身…強く堅かったわがおとこ」「見えし…見ていた…思っていた…媾していた」「見…看…覯…媾…まぐあい」「こ…子…こども…この貴身…おとこ」。

 

歌の清げな姿は、どうしょう・為すすべがない。続けて妻も子も亡くした男の思い。

心におかしきところは、重なる精神的衝撃で、偲ぶ女が出来ても摘むこともできそうにない、堅身までもなくした。

 

和歌は清げな姿と共に、多様に戯れる言葉を逆手にとって、人の心根までも表現できる様式を持っている。

古今集仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ、成れりける。世の中に在る人、こと(事・言)、わざ(業・ごう)繁きものなれば、心に思う事を、見るもの聞くものに付けて、言いだせるなり」とある。心に思う事を清げな姿に付けて表現する「表現様式」があった事を示している。それを、公任は見事に捉えている。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下 (五百六十三)堀川大臣 (五百六十四)もとすけ

2015-12-18 23:24:13 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



  藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞く。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。それらは「言の心」と「言の戯れの意味」を心得れば顕れる。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首

 

右兵衛佐のぶかたがまかりかくれはべりけるに、おやのもとにつかはし

ける                          堀川大臣

五百六十三   ここにだにつれづれになくほととぎす ましてここひのもりはいかにぞ

右兵衛佐のぶかた(堀川大臣の甥、惟堅か)が亡くなった時に、親(母親・兄嫁)の許に遣わした (堀川大臣・堀川の関白・太政大臣藤原兼通)

(ここ宮中でさえ、何も手に付かぬままに、鳴くほととぎす・泣く女ども、まして、子恋いの森は、如何お過ごしのことか……ここ宮の内でさえ、何することもなく、且つ乞うと鳴く鳥・且つ乞うと泣く女、まして子恋いの盛りは、如何お過ごしのことか)

 

言の戯れと言の心

「つれづれに…長々と…何も手に付かず…することなく」「なく…鳴く…泣く」「ほととぎす…時鳥…郭公…鳥の名…鳥の言の心は女…名は戯れる。ほと伽す、且つ乞う、且つ媾」「ここひ…子恋い…こ乞い」「もり…森…盛り」「いかにぞ…如何にぞ…(母君におかれては)如何お過ごしのことか…弔問の言葉」

 

歌の清げな姿は、亡き甥の母親へ、弔問の言葉。

心におかしきところは、宮の内で、のぶ堅の、この貴身を、且つ乞うと泣く女のありさま。


  

 

したがふがこなくなり侍りけるころ、とひにつかはしける  もとすけ

五百六十四   おもひやるここひのもりのしづくには よそなるひとのそでもぬれけり

源順(後撰和歌集撰者)の子が亡くなった頃、弔問に遣わした、(もとすけ・清原元輔・後撰和歌集撰者・清少納言の父)

(案じている、子恋いの森の、涙の・雫には、他所なる人の袖も、濡れることよ……思い遣られる、子乞いの盛りの、雫には、他所に居る妻女の身の端も、濡れることよ・いつまでも意気消沈していては)

 

言の戯れと言の心

「おもひやる…思い遣る…身を案ずる…心を晴らす」「ここひ…子恋い…子乞い…おとこを求める」「もり…森…盛り」「しづく…雨の雫…露の雫…雨の雫…おとこ白つゆの雫」「よそなるひと…他人・我…他所に居る君の他の妻」「そで…袖…端…身の端」「ぬれけり…(君の涙の雫に)濡れることよ…(貴身乞いて身の端)濡れることよ」

 

歌の清げな姿は、嘆く君を案じている。子を恋う涙の雫に、他人の我が袖も濡れることよ。

心におかしきところは、案じられる、貴身が意気消沈していると、他の妻のそでも濡れることよ。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下 (五百六十一)大江為基 (五百六十二)よみ人しらず

2015-12-17 23:21:22 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



 藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞いている。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。それらは「言の心」と「言の戯れの意味」を心得れば顕れる。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首


 五百六十一
 としふれどいかなる人かとこふりて あひおもふいもにわかれざるらん


          (思慕する妻に先立たれて嘆いていた頃、詠んだ)   (大江為基)

(年月経ても、如何なる人が、床古くなって、相思相愛の女に、別れ去るだろうか・別れないだろう……疾し・早き一瞬の時、経ても、如何なる男が、門こ、お雨・降りて、合い思う女に、別れ去るだろうか・分け離さないだろう)

 

言の戯れと言の心

「とし…歳…年月…疾し…一瞬の時…早過ぎる時…おとこの性」「ふれど…古れど…経れど…触れど…振れど…降れど」「いかなる人か…如何なる人か…いったい誰が…疑問の意を表す・反語の意を表す」「とこ…床…寝床…門こ…おんな」「ふり…古り…経り…触り…振り…降り」「て…完了を表す…引き続いていることを表す」「あひおもふ…相思う…相思相愛の…合い思う…和合する…感情の山ばの合致する」「別れ…離別…死別…分離」「さる…去る…ざる…ず…ない…否定」「らん…らむ…だろう…推量」

 

歌の清げな姿は、長年連れ添った愛妻の突然の死を嘆いた。

心におかしきところは、とし時経て、お雨降りても、合い思う妻と離れはしない・誰が引き離しのたか。

 

 

だいしらず                   よみ人しらず

五百六十二 うつくしとおもひしいもをゆめにみて おきてさぐるになきぞかなしき

題知らず                   (よみ人知らず・男の歌として聞く)

(愛しいと思っていた妻を夢に見て、目を覚まし手さぐりすれど、亡きぞ哀しき……かわいいな、すばらしいと思えることを夢に見て、おとこ白つゆ・おくり置いて、窺い見るに、無きぞかなしき)


 言の戯れと言の心

「うつくし…愛しい…かわいい…美しい…すばらしい」「ゆめ…睡眠中に見る夢…はかない妄想」「み…見…覯…媾…まぐあい」「おきて起きて…目を覚まして…置きて…白つゆ贈り置きて」「さぐる…探る…手まさぐる…尋ね求める…様子を窺う」「なき…亡き…無き」「かなしき…哀しい…悲しい…愛しい」


 歌の清げな姿は、愛妻を亡くした男の夢から目覚めたさま。

心におかしきところは、愛する妻を有頂天に送り届けることを夢に見て、努めたが至らぬ哀しみ。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 
「帯とけの古典文芸」の和歌を解くときに従った平安時代の歌論と言語観を列挙する。これらは国文学の解釈では無視されるか曲解されている。

 
○紀貫之の古今集仮名序の結びに「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」とある。歌の意味を解くには「歌の様」を知り「言の心」を心得る必要があると、素直に受け取る。
 ○藤原公任の歌論「新撰髄脳」に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。歌には複数の意味があると知る。これが、「歌の様」(歌の表現様式)である。
 
○清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「我々の用いる言葉は、聞く耳によって意味が異なるもので、戯れて多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。同じ言語観で、歌も枕草子も読むべきである。
 
○藤原俊成の古来風躰抄に「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はる」とある。歌の言葉は、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味を表現できる。歌言葉の孕む複数の意味を
紐解けば、帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。