東博の常設へ行ってきました。
この日は昼からゆっくり時間を取ってありましたが、やっぱり全部は見られませんでした。正確には、まだ閉館まで時間はあったけれども、頭が飽和状態を通り越して白くなってきたので、ギブアップ。恐るべし東博。
以下、見たものの記録です。
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一階の18室近代の美術から見るのがクセ。
楽しみにしていたのは、柴田是真「四季花鳥」19世紀 明治時代
花見本のごとく多彩な花が、美しく写実的に散りばめられている。それも牡丹や百合のような大ぶりの花だけでなく、名もない雑草のような小さな花や草まで。
そして空間の使い方が、ハイセンスというか。金雲の向こう側にも、こちら側に花が咲き、広やかで自由。
特に好きな部分
とりわけ細い線は、迷いもなく余裕のある張り。枝の先の先まで達者で冴えた描きぶり。見惚れてしまう。
この水辺はとくにいいなあ。
左幅の秋に季節が移ると、鳥たちも”きいきいー”と泣き声も変わった感じ。(春の鳥たちは、陽だまりでちゅんちゅんしてた感じだったのだけど。)
茶色くなって実がついた雑草?(見たことあるけど名前がわからない)が金雲に向こうに伸びる。トロロアオイや朝顔にも秋の気配。
萩はあっさり書いているのに、きれいだなあ。
お、こっそり隠れていた鳥を発見。
金屏風にたくさんの花は鈴木其一を思い出したのだけど、其一とは対極にある世界。押してこず、余裕を保った、どこか客観的な世界。抱一のように抒情を醸し出してくるでもなく、クールに。でもどこをみてもいいなあ。
是真って、年に数えるほどしか見る機会がないけれど、見る作見る作が芸が肥えてて、しかも工芸から絵画まで作風がいつも違ってて、つくづく恐れ入る。
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他にも印象深い作がたくさん。
河鍋暁斎「地獄極楽図 」明治時代19世紀 通行人の方の頭上をはるかに超える大きさ。お寺の注文品かな?
右上から真ん中へ、最後は左上に向かって、地獄に落ちてからの一連の流れが描かれている。
地獄に落とされた亡者は、まず奪衣婆に衣をはがされる。嘆き悲しむ亡者たちのまわりには、さらに無数の亡者の影がうごめく。
それから閻魔大王の審判に引き立てらてゆく。
乳飲み子を抱いた母にすがるのは、上の子か家族なんだろうか?横には胎児?が落とされている。自分の苦しみだけでなく、家族や子供に対する情に突き付けてくるのが、恐ろしい。悪行を慎み信心に励まねば。。と単純な私には布教効果もばっちり。
それにしても、さすが暁斎。骨格の描写がすごい。暁斎展で、死に向かう妻をモデルに描いた幽霊画の骨格があんなにも性格だったくらいだから。
亡者の目は赤かったり、緑がかっていたりで怖い。でも鬼たちが皆ユーモラスなのも、暁斎らしいのかも。
地蔵に救われるものたち。地蔵の衣のお裾には、幼子たち。すでに救われたものたちも、あ~助かった~って感じではなく、俗気が抜けてただただ手を合わす。
恐ろしいけれども、ユーモア、情、救いのある地獄絵だった。
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先日山種美術館で見て印象深かった、寺崎広業(1866~1919)があった。
「秋苑 」1899(明治32年)
これも先日の佐藤美術館でのネコ絵に入れてもいいかもしれない。ネコがメインじゃないけれど、ネコがいるといないとじゃ、ゆったり感と自由感が全然違う。好きなことに没頭しているお嬢様の極上のひとり時間。
大好きな芭蕉の葉は、すでに破れて枯れ始め、着物柄は紅葉。秋の風情。
少し前の関口芭蕉庵を思い出す
この絵では、自由に伸び放題の雑草に、ザッザッと描かれた芭蕉の葉。萩や野菊。そこへ洋風の籐のテーブル。型はまってなくて堅苦しくない。
ただちょっと、お嬢様のだらりとした黒髪が不思議な感じ。芭蕉のワイルドな姿も。ふっとどこかパラレルな別の世界の住人のようにも。次の絵のように芭蕉は中国美人や仏画にもよく描かれていたので、ちょっと異世界な感じに描いたのかもしれない。と勝手な想像。
寺崎広業は、これまでどこかで見たこともある気がするけれど覚えていない。先日の松岡美術館と今回と続けて惹かれる画に出会った、これはご縁。調べてみると、この時代の画家としては異色の経歴で、ハングリーな人物だ。(http://akitahs-doso.jp/libra/10)秋田藩家老の家に生まれながら、直後の明治維新、父の事業の失敗などで、困窮のなか学業も中断を余儀なくされ、年端も行かないのに、職を求めて流浪の日々。日光の旅館で働きながら美人画を描いて売ったり、出版社で古画の縮小模写の仕事をしたり。そして25歳の時に無名の画家が内国博覧会にいきなりの入選。次第に売れっ子となり、ついには東京美術学校の教授となる。大出世物語なのだけれど、53歳で病没するのが惜しい。
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芭蕉の素敵なもう一作は、荒木寛畝(1831~1915)の「貴妃読書西施弾琴」1886年 の対幅。
右隻の芭蕉は、みずみずしく、若い芽も出て成長盛り。
寛畝といえば、赤坂の迎賓館の花鳥図下絵の、鳥たちの人格すら感じる凄みが忘れられず(日記)、鳥の画家という印象を勝手に持っていた。でもこんな美人画も描くのね。
現代感覚にはそうは思えない「美人」画が多くあるけれど、このひとはほんとにきれい。足をテーブルにかけて、しどけないリラックス。視線の先には蝶。余裕のある優美なひと時。
左幅は、大理石の台の上に、童子が琴を置こうとしている。木にもたれかかる貴人のひねった腰つきが、優雅にリラックス。背景の蓮の池の淡い感じも淡くていいなあ。
あの鳥の凄みと同じ絵師とは思えない、優美な作でした。
寛畝も是真も、修行を積んだ日本の絵師って、いろいろな画風を自在に操る。
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「英名二十八衆句」という、江戸明治の猟奇殺人史みたいな錦絵があった。
英名二十八衆句とは、Wikipediaによると(抜粋)月岡芳年及び落合芳幾による浮世絵木版画の連作であり、それぞれが14図ずつ描いている。慶応2年(1866年)から慶応3年(1867年)にかけて刊行された。作品の大半は芝居から題材を得ており、いわゆる無惨絵の代表作である。外題は赤地の短冊枠に画題とともに記され、その左の白地の短冊枠に松尾芭蕉、大島蓼太、向井去来らの俳句が記されている。二十八衆句というのは仏教の「二十八宿」に基づいており、「衆句」イコール「衆苦」に通じ、地獄絵と捉えることもできる。版元は錦盛堂。
展示では落合芳幾と月岡芳年、それぞれ6点ずつ。
実話の事件や人物に基づいた錦絵。あまりそのテのものは好きでなく、少しだけ記録。
落合芳幾から
「英名二十八衆句 十木伝七 」
おやシャンデリアとは?:唐使の饗応役、十木伝七は、悪臣のいやがらせに逢っている。通訳の典蔵は、伝七に最初は親切であったが、心を寄せる女性と伝七が深い仲と知り、伝七に意地悪をする。こらえかねた伝七は典蔵を殺す。
「英名二十八衆句 村井長庵 」
う、グロイ。後ろのイヌはなんだ?:登場人物が多いけれども、要はめっちゃ悪いやつだ。医師なのに、姪を吉原へ売りとばし、妹婿を殺し、実の妹までも人に殺させ、浪人に罪をなすりつけて獄死させる。亡霊も登場する。
お、だんだん着物もスタイリッシュで、ハイセンスな感じになってきたぞ、と思ったら、そこから月岡芳年だった。
月岡芳年
「英名二十八衆句 由留木素玄 」 着物もふすまも座布団も、柄も色もおしゃれ~。散った白黒の碁石もいい~。生首になった方にはお気の毒にどういう事情か知らぬが、ストーリーはパス。
「英名二十八衆句 福岡貢 」 今でも旅館で見かけるような浴衣だけれど、なんかかっこいい。実話を基にした歌舞伎の「伊勢音頭恋寝刃」
「英名二十八衆句 笠森お仙 」 二人の着物と帯の絡みがきれい。
足や手にべっとりとついた、血の手形が怖い・・
実在のお茶屋の看板娘。グッズも発売されるほどのアイドルだそうな。突然お店に出なくなったので、養父に殺されたと噂になってのこのシーンだけれど、本当は武家の奥方という玉の輿に乗って、子だくさんで長生きしたようだ。
芳年の絵は、都会的というか現代的。ひとつひとつのシーンが、鮮やかでおしゃれでぱっと目をひき、ピタっと決まっている。血まみれで残酷な絵で有名だったけれど、人気なのも納得。
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彫金では清水南山の三作が美しかった。
特に「獅子図額」は何も施されてないように見える背景まで、微妙な色合いで見入った。
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途中で東洋館のカフェで一休み。あんこにはコーヒー派。(セットのお茶をコーヒーに替えてもらえます)
続きはまた。