はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●山口華楊と上村松篁の動物 東京近代美術館

2017-12-23 | Art

上村松篁山口華楊が見たくて、東京の近代美術館の常設に行ってきました。

二人の動物の絵は、動物を超えている感じ。

他にも下村観山、竹内栖鳳、奥村土牛などの動物も並んでいます。最近は「かわいい」日本画というワードで動物たちが登場する機会が増えましたが、今回の動物たちは、それとは違う、深淵な世界でした。

動物ってことで、熊谷守一展に合わせたのでしょうか。こちらも早く見たいところですが、守一展は3月21日まで。今の常設は1月12日で展示替えになってしまうので、先に見てきました。(展示リスト

見た中で、動物の絵の備忘録です。いぬ・ねこ・猿・鳥・むし・魚・人間…。

山口華楊(1899~1984)「洋犬図」 38歳の作。

ボルゾイ犬は戦前から輸入されていたそうな。私的には大型犬のスリムなのより、ころころの小さいのが好きなので、実は最初はちょっとがっかりしてしまった。

しかし、それが近づいてみればみるほど、引き込まれる。水墨の龍のような文様。渦巻く毛並みが白く輝いて、まるで”霊獣”のような神秘さ。

顔も、まるで神のお使いのごとき神聖さ。天空か天上界と人間界の境界に棲むかのような神秘的世界を垣間見てしまった。

 

華楊のもう一点、「飛火野」1965 はかわいらしい神鹿だった。

金箔を鹿の皮膚に貼り、金砂子もまいている。小鹿が跳ねるたびに金の粒が散り、伝説の小鹿のよう。

森でこういう鹿に出会えたらいいなあ…。

華楊は西村五雲に師事したけれども、五雲の動物とは違った、独自の極めかた。山種美術館で見たミミズクもそうだったけれど、動物が人間の世界のものでなくて、神秘の世界に棲むみたい。

 

華楊の動物が動物の域を越えて神秘の域にあるならば、上村松篁は、自身が人間の境界を越えて動物の域に入り込んでいるかもしれない。

上村松篁(1902~2001)「星五位」1958 星五位とはゴイサギの幼鳥。体に星の文様があるためこう呼ばれるそう。

 

松篁は、鳥と人間の垣根を超えている。警戒心の強いゴイサギ。でも松篁ならば、彼らの間に混じって、このなかに立つこともできるんじゃないかと思ったほど。

松篁は自宅に1000羽を超える鳥を飼い、これらのゴイサギも飼っていた。日よけに緑の布をかけて写生していたところ、緑の池が思い浮かびこの作品になったそう。

 

華楊と松篁って分かり合えそう。華楊は1919年、松篁は1924年に京都市立絵画学校を卒業している。面識はあっただろうか?。

 

平福百穂「荒磯」1926

そっくりに描けばいいってものじゃないところが、絵のおもしろいところだなあと思う。見る人が楽しいものね。

おたまじゃくし型の波が、波の子供みたいでかわいい。百穂の友人の吉川麗華と鏑木清方は、これを音符と見たそうな。漢の時代の漆器のモチーフを取り入れたそう。古画と遊び、自分の絵に取り込むのは本当に楽しい。

青い波に金の波頭は、激しいのにどこかほほえましい。金の色もシャンパーニュゴールド系のやわらかい美しさ。波の美しさに見とれているような千鳥もいる。

 

加山又造「群鶴図」1988

抱一の群鶴図に着想を得て、釧路で丹頂鶴を見てきて描いたそう。ひしめき鳴きかう鶴の中からこのリズムを抽出したのでしょう。

鶴の足は止まっているのに、鶴がコマ送りのように見えるから、動きがある。まるでウエーブ。

右隻では、三つの扇のように上下するウエーブを描いて、左方向へ向かう。とても優雅な軌跡。

それを受けて左隻では、高く平行のラインで進み、最後にやわらかく弧を描きつつ、画面の外へ。途切れることなく流れてゆく。だから画面に閉じ込められた感じがなく、流れ進んでゆく。

 

橋本平八「幼児表情」1931

これはニンゲンのコドモ。平八本人が「一歳前後の幼児の野獣性と人間性の交叉を取り扱ったものであって(略)」というものだから、ここに入れた。

野獣性というのはこの作ではピンと来なかったが、動物的ではある。一時期の劉生や椿貞雄の幼児には野獣的なものが垣間見えたのだけど。でも、昔は人間と動物の境界がいまよりもっとあいまいであったというから、そう考えると相通じる気がする。しかし平八、藝大で見た時も思ったのだけど、幼児や天女がどこか性的に生々しいというか。

 

笹島喜平の二点 「猫」1955、「猫と少年」1955 どちらもネコの王道。

おネコ様の肖像画

この安定。

 

こちらのクロネコは身を潜めている。

下村観山「唐茄子畑」1910 

これはずいぶん以前にも見た。今よりもっと日本画を知らないころで、こんなに美しい農作物の絵があるのかと感動したのだ。その時ネコに気が付いたか記憶にないけれど、春草のクロネコに似ている。美術院仲間で画題の貸し借り?をすることはよくあったそう。

カボチャに擬態したつもりでカラスから隠れるクロネコの視線は、カボチャの蔓をつたい、右隻のタチアオイ、桐の若木を経てカラスへとつながる。その向きと逆に、季節は右から左へ移っている。まだまだ花をさかせつつも、カボチャの葉は左へ寄るに連れて茶色くしなび始めている。

左隻の金の地は、畑の地面であり、右隻の金地は空である。金ってすごい。なんにでもなれて、奥行きも広がりも自在。

見とれるほど美しい観山の仕事。線も着色も、もたつかず達筆、しかも丁寧。

 

前田青邨「猫」1944  たいへんお気に入り。

 

赤・白・黒の、バランス、散り方、かたまり具合、分量。とっても面白い。

たらしこみが幻想的な雰囲気にしている。線描きもたらしこみ。背景の陰影と交わるような白い毛並みは、すでに神域に片足つっこんでいる。左上から斜めに降りてくるラインは、中国古画風のネコの金色の目に集約されて、その視線は画面の外へ。猫一匹と花ひとつ、葉をちょっと。これだけなのに、青邨てすごい。

 

竹内栖鳳「飼われたる猿と兎」1908 これは栖鳳展で見たことがある。毛並みの下にこりこり骨格まで感じられそうな。

猿がイラついてる。森の中で暮らす祖仙や牧谿のサルはあんなに幸せそうなのに、鎖に縛られるとこんなになってしまう。

逆に、あんたたち安穏としすぎやろって言いたくなる、兎の間延びした顔。雑草まで脱力系。

プライドとは。生きるとは。尊厳とは。どちらがりっぱとも言えない気がする。栖鳳は「利口な猿は飢え、従順な兎は食に飽きる」ということを表すという。 

 

奥村土牛「鴨」1936  これもお気に入り。

マガモ(くちばし全体が黄色い)・カルガモ(くちばしの先だけ黄色い)・オナガガモ。雪が舞っている。

一見したよりも、見ているうちにどんどんひきこまれていく。カモたちそれぞれの向きがいろいろな方向に交錯して、なんとも面白い。凍る空気だけれど、身を縮めて空気をため込んでいるカモは、体温を醸し出している。

ふっくらとした卵型の流線形?カモ型?が最高。土牛はこの形にひかれたから、究極を追及したんだろうと思うほど。

 ゆるい時間だけれど、そこは野生。オナガガモの尾は、書のはらいのようにしゅっと潔い。

 一羽一羽をとても大事に見て、描いている。長い時間見ていたんだろうと思う。土牛の愛ある目で見ると、顔もどこかかわいらしくなっている。

 

土牛のもう一点「閑日」1974 もみればみるほど面白い。84歳の土牛、赤がすてき

ほんとにヒマな日に着想を得たんじゃないかな(笑)と。この絵の前にソファ置いてほしい。そしたら日がな一日、一緒にヒマしていよう。

白くて、赤くて、ネコがいて。左にちょっと置かれた葉が、まるで懐石のお膳のあしらいみたい。赤いお皿に盛ったネコ御膳。ネコもびっくり。私もヒマすぎ。土牛の描く目はほんとうにかわいい。そしておちゃめ。 

 

その土牛が終生尊敬した小林古径「茄子」1930

茄子のぷっくりしたしもぶくれ形もまた、究極形。重さから自由であるイヌタデやネコジャラシが軽くそよぐのと対照的に、茄子は小さくても一人前の重みがあるのが愛すべき存在。紫がかった墨が、神秘的。

松岡美術館でも古径の茄子の絵にすっかり取り込まれたことがある。古径の茄子や茄子の花はどうしてこんなに惹かれるのだろう。古径にとって茄子は思い入れがある画題なんだろうか。

 

田中青坪の茄子も展示されていました。「秋日」1942

 

菱田春草「梅に雀」1911

春草の掛け軸における最後の絵で、すでに絵筆も持てないほどの病状だったそう。線が震えているようなのに、それでも丹念に幹の形を取っている。そして雀たちの視線はまっすぐ前を向いて、強い。3人の子供たちを思ったのかな・・

 

速水御舟の3巻に及ぶ写生帖1925年 は大変見もの。すごいの一言。

魚は、皮の質感や固さや蝕感まで描き分けている!

ひれが透けている~。

 

望月春江「香柚暖苑」1973 陽を受けた柚がなんともいい感じ。

 

最後にとても心に残った作。

金山平三(1883~1964)「猫のいる風景」制作年不詳 ちゃんとネコいます。

絵を見て、お、ネコに気付いて、そうするとネコの目線でもう一度眼前の光景を見直すことになる。川幅は一気に距離を増し、対岸がもっと遠くなる。冬の冷たい空気が肌に触れ、心によぎる少しの心もとなさ。ネコほどにちっぽけな自分。光景を外から見るのでなくて、その中に入りこまされてしまう。日本画の省筆のごとき少ない線の、その一本一本の強さ。

油彩画なのに、この日本画コーナーに呼ばれたこの絵。

動物に対して、人間がどれほどのものであろうかと。その垣根を取り払ってみることは、実は心が安らぐことでありそう。

松篁であり、華楊であり、土牛であり。さらに熊谷守一に、このネコの続きがあるのではないかと。はやめに見に行こう。

 

ちなみに12月24日まで河口湖美術館で金山平三展が開催中。行きたかった…涙。

 

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洋画、現代アートでも見ごたえのある作品が多い常設でした。瑛久、草間彌生、山口薫、難波田龍起、岡本太郎、二階の「難民」というテーマの部屋。

またいずれ続きを。