南禅寺天授庵の長谷川等伯の障壁画。
前回の室中の続きです。
晧
後期では、上間二之間の「商山四晧図」、下間二之間「松鶴図」。
前期から見てくると、等伯は、3つの部屋をそれぞれ違う筆致で描きわけているのが、一目でわかる。室中では、気迫そのものを見せるような激しい筆致。それに対して、上之間、下之間は穏やか。画題も、室中とうってかわって、ほのぼのとしている。
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上間二之間の「商山四皓図」
始皇帝下の混乱を避け、山里に隠れ住む4人の高士。髪や眉が白いので、四晧と呼ばれた。
4人の高士がロバに乗って右のほうへ進んでいる。ロバってだけでものどかなのに、ゆったりした配置でますますのんびりさせてくれる。
左端にいる童子のかわいらしさ。人間らしさ。なにか高士に声をかけたのかな。孫たちか、亡くなった久蔵やほかの子供たちの幼少期を思って描いたような、等伯の愛あるまなざし。
等伯が描く童子は、七尾で「水辺童子図襖」(京都・両足院)を見てから、心打たれるものがある。
(部分)
脱線しましたが、「商山四皓図」の木の太い幹は、薄墨で描かれているけれど、枝の先端は太く勢いがある。強弱の加減のリズムが素敵だなあと思う。
川の流れはゆるやかで、岩は、薄く幽玄な感じ。一本の若木だけが強いタッチである部分は、昔日を今のことのように思い出したときの感じがよぎる。
人物は、室中とちがい、一定の太さで、しっかりとした安定感で描き続けている。筆致に走らず、誇示せず。ひく美学というか。室中とは全く違う心地に自分を整えてから、筆をもったのでしょう。
枝の流れと高士の目線はゆるやかにつながって、8面の襖全体に流れるやわらかな波線の波長。部屋に置いたら愛でる喜びをもたらしてくれそうな絵だった。
(でも一人の高士の顔がどうしてもロバに見えて(↓右側の高士)、楽しいおじいさんなのか?それともまた禅問答か?と悩んだのは私だけ?)
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下間二之間の「松鶴図」 また違う筆致。優しく、心に染み入るような。
鶴が5羽。5羽目がなかなか見つからず、意地になって探し出した。二羽のひなは黄色く着色されている。別の二羽はしゃがんでいる。あまりに薄くて目を凝らしても見えにくいので、等伯の意図なのかな、照明のせいなのかなと、スタッフの方に聞いてみた。天授庵ではこの面が陽があたる方向にあったために、色落ちしてしまったのだそう。
ヒナがかわいい!とっても見えにくいけど。 休んでいるつがいの二羽は、少ない線なのに、リアルな描写。信頼感とやすらぎがあふれる二羽のやり取り。
岩と松は、鶴を守るように配置されて、安住の空間を作っていた。
解説では、以前の牧谿風の鶴から、等伯独自の鶴になってきているとあった。年を重ねるにつれて、等伯の鶴は独自に成長し、感情を吹き込まれている。家族や親の愛情であったり、小さいものの成長の歓びであったり。それは牧谿の鶴にはなかったかもしれない。
左側の面は、水の流れがゆるやかに。そのタッチのやわらかなこと。
ここはほんとうにやさしい襖絵だった。
後期でも前期と同じく、少し離れて全体を眺めてみたら、この三面でなす展示室がなんともいえない安らぎの空間になっていた。室中が要緊張空間だったので、退出して二之間に入ったらどんなにほっとするでしょう。
等伯はこんなにも三面を違えて、三室三様にプロデュースしている。禅の厳しさ、脱俗の境地、やすらぎと愛情。筆致も使い分け、ある時は激しく自分の筆致と対決するような筆致で、ある時は安定し、ある時はそっと触れるような優しさで。襖絵がその部屋を作り上げている。
62歳の等伯。前期後期通して、素晴らしい体験をさせていただきました。
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これらの障壁画のガラスケースの下に、びっしりと長持ちが収納されているのにびっくり。ひとつだけ出して展示されている長持ちは、鍋島家から細川家に輿入れしてきた時の杏葉紋のついたもの。ひとつでもすごいのに、こんなにたくさんあるとは。置くところがないからここがぴったり、みたいなさりげなさ。永青文庫のこの余裕。
帰り際は、やっぱり能面にかぶりつき。
この日は「敦盛」に引き込まれる。若くして討ち取られた平敦盛。10代の年端も行かない、未成熟な顔に哀れになる。