eつれづれ管理者(66kV特高変電所、技術者)

電気の出来事を技術者向けに適宜up中。
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大量殺人テロ発生の様だ

2016年07月28日 | eつれづれ

相模原刺殺 措置入院後「野放し」 市、「家族同居」確認せずPR 相模原市の知的障害者施設殺傷事件で逮捕、送検された元施設職員、植松聖(さとし)容疑者(26)。「障害者を殺す」と発言したことから精神保健福祉法に基づく措置入院となった後、約2週間で退院していた。行政側は退院後の動向を一切把握しておらず、植松容疑者は“野放し状態”のまま入所者19人を殺害する凶行に突き進んだ。制度の不備が浮かび上がった形だが、精神障害をめぐる判断は難しいケースも多い。専門家は「検証が必要だ」と訴える。
◆2週間で退院
措置入院は精神疾患のため、他人や自分を傷つける恐れがある患者を本人や家族の同意なく強制的に入院させる制度。2人以上の精神保健指定医の判断で都道府県知事か政令市の市長が入院を決める。期間の定めはなく指定医の診察などをもとに退院が決まる。
植松容疑者は2月14、15日、事件の舞台となった相模原市緑区の知的障害者施設「津久井やまゆり園」を名指しした上で、「障害者を抹殺する」などと記した手紙を衆院議長の公邸に持参。19日、神奈川県警津久井署の事情聴取にも「いつでも大量殺人する」と話した。
連絡を受けた相模原市は同日、「他害の恐れがある」として、精神保健福祉法に基づき神奈川県内の病院に緊急措置入院させた。その後、尿検査で大麻の陽性反応のほか、指定医2人の再診察で妄想性障害や大麻の影響による精神障害との結果が出た。
しかし植松容疑者は約2週間後の3月2日に退院。大麻の反応が消えて症状が和らぎ、植松容疑者から「自分はどうかしていた」と反省の弁もあり「他人に危害を加える恐れがなくなった」との指定医の判断で決まったという。
◆「現場責任は酷」
こうした経緯について、措置入院の手続きに携わる大阪府健康医療部の担当者は「最近は精神疾患への社会的な理解も進んできたと思っていたが…。事件は非常にショックだ」と絶句。「ただ、患者が退院した後のことを見通すのは精神科医にも難しいのが現実だ」と明かす。
精神科医で「無差別殺人の精神分析」などの著作がある片田珠美氏は「退院が早すぎたようにも思うが、判断の責任を現場の医師だけが負うのは酷ではないか」と指摘する。患者が退院を強く希望したり、危害の恐れがないように装ったりすることもあり、判断が難しいことは少なくないという。「社会の安全と患者の人権の兼ね合いなど議論を深めることが必要だ」と語る。
◆「仕組み検証を」
植松容疑者は相模原市緑区の自宅で1人暮らしをしていた。退院の連絡を受けた津久井署は3月4日、植松容疑者宅を訪れたが、不在だった。都内に住む親に連絡を取るとこの時は親元におり「今後も植松容疑者の動向を教えてほしい」と伝えていたという。
相模原市によると、植松容疑者は退院後、家族と同居して通院治療を行うことになっていた。だが、市は退院後の状況を一切確認していなかった。担当者は「ケアできればいいが、人手が足りない」とこぼす。
措置入院に詳しい屋宮(おくみや)昇太弁護士は「措置入院後に退院させる際は医学的な見解が重視され、福祉関係者や家族の受け入れ態勢が具体的にどうなのかは必ずしも検討されない」と指摘。「今回も地域でフォローしていく仕組みがあったのか検証する必要がある」と話している。

色々なテレビコメンティーターが綺麗事だけのご託を述べているがクソの役にも立たない。
そもそも、偏向、過激、跋扈など放送禁止用語は語れない、差し障りのないコメントだけ期待しないで聞き流そう。
計画を立て体力のある若者が深夜の手薄な時間を狙って侵入、建物内部も元勤務先で熟知...逃走する気も無しアッサリと自首、これでは対策など何も役立たない。お金のムダ、侵入したら全館にサイレンでも設置しウォーンと警察に自動通報か。
警備員も形だけ夜勤だけの爺さんバイトか...仮眠で朝方まで熟睡が常、体力的に続かないゾ...皆、そんなもんです。

△オソマツだった緊張感など0のダラケタ警備体制か。
相模原市の障害者施設殺傷事件で、現場となった「津久井やまゆり園」には16台の防犯カメラが設置されていたが常時監視されておらず、緊急時に外部に異常を通報するシステムもなかったことが27日、関係者への取材で分かった。警備員は仮眠中で事件発生に気づかなかったことも判明。こうした警備態勢の隙を突かれ、犯行を許した格好だ。
植松聖容疑者は今年2月、衆院議長に「障害者を抹殺することができます」などとする手紙を提出したことを受け、神奈川県警は同園に対して警戒態勢についての指導を実施。同園側は4月に防犯カメラを設置したという。
ただ、カメラ映像については2週間分が録画保存されていたが撮影中の映像は監視されていなかった。また、同園には火災警報装置は設置されていたが外部からの侵入者を察知して施設全体に知らせるシステムはなかった。
この日、会見した同園の入倉かおる園長は「カメラは外部を監視するというよりも、何かあったときのための記録として設置していた」と説明した。
一方、逮捕された植松聖容疑者が侵入した夜間は計8人の職員と男性警備員(69)が勤務していたが、警備員は仮眠しており、植松容疑者が園から出ようとする際の音で午前2時50分ごろに目覚めたという。産経新聞の取材に警備員は「自分も何が起きているか分からずパニックになった」と話した。
植松容疑者は今年2月まで同園に勤務しており、職員の態勢や見回りのタイミングなどのほか、防犯対策などについても熟知していた可能性がある。園を運営する社会福祉法人「かながわ共同会」の赤川美紀常務理事は会見で、「入所者が襲撃されるという差し迫った危機感は持っていなかった。その判断が間違っていた」と謝罪した。


あちこちで文春、新潮砲炸裂

2016年07月28日 | eつれづれ
音喜多駿都議の“OL強姦”疑惑が発覚!
今回の都知事選で小池百合子氏を支援している音喜多駿都議(北区選出、無所属・32)にOLへの“強姦”疑惑が明らかになった。
当選前の2010年、音喜多氏は飲み会で知り合った大手企業勤務のOLと性的関係を持ったが、同年5月、その女性が警察に対して「音喜多氏に強姦された」と訴えたという。
音喜多氏は検挙され事情聴取は数回に及んだが、同年8月に起訴猶予処分となった。
音喜多氏は、小誌の取材に対し、「事実関係として女性と性的関係はあり、女性との行き違いから警察にご協力はしましたが、何も問題がなかったので円満に解決しています」と語った。詳細は「週刊文春」7月28日発売号で報じている。

都知事の選挙戦も終盤...過去の不祥事がバレてキズに塩を塗る、洗いざらしに...お前等からは言われたくない綺麗事ばかりか。


途中から、こちらの暴走はおかしくなった...。
都知事選 鳥越氏発言に戸惑う民進 原発・消費税…党方針とも相反
東京都知事選(31日投開票)に出馬したジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76)=民進、共産、社民、生活推薦=が、街頭演説などで都政には直接関係のない、消費税や原子力発電など国政に絡む政策を盛んに取り上げ、物議を醸している。推薦する民進党の政策と食い違うケースも多く、与党は「まるで共産党候補だ」と皮肉ってみせる。
「都民の安全を守るため、東京都から250キロ圏にある原子力発電所を停止、廃炉にするよう電力会社に申し入れたい」
鳥越氏は27日、東京・JR新宿駅前での演説でこう訴えた。都内から250キロ圏内には東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)などが含まれるが、鳥越氏は「(圏内の)どの原発も動いていないが都民の生活は困らなかった」と続けた。
だが民進党の参院選公約「政策集2016」では国の原子力規制委員会の安全確認を得た場合、原発の再稼働を認めている。党幹部は「鳥越氏の訴えでは電力総連はついてこられない」と頭を抱え、初めて鳥越氏の応援に駆けつけた同党の岡田克也代表は、鳥越氏の「原発廃炉」発言に拍手もせず仏頂面で聞いていた。
鳥越氏の“暴走”は止まらない。伊豆大島での25日の街頭演説で「都の権限ではない」としつつも、消費税率を「大島限定」で現行の8%から5%に引き下げるアイデアを披露。しかし、民進党は膨らむ社会保障費として消費税の必要性を認めており、将来の再増税路線も堅持している。
鳥越氏の急進的な「原発ゼロ」路線や消費税の「地域減税」構想について「共産党に近い主張」(自民党都連関係者)との声が相次ぐ中、民進党幹部はこう漏らし、危機感を募らせる。
「民進党と共産党で別々に応援演説をしなければ、無党派層が離れていく」


これはイメージにピッタリ御家人くずれ...。
記者時代の鳥越俊太郎、上司から“サツ回りは向かない”の烙印 あだ名は「御家人くずれ」
都知事選での後出しジャンケンは都民はどうせ有名人好き、政策は二の次、三の次と考えている人が使う手である。今回、土壇場で立候補した鳥越俊太郎氏(76)には、最後までこうした批判が付きまとう。政治記者が語る。
「告示前の公開討論会で“がん検診100%を達成したい”と都知事候補として頓珍漢なことを言っていた。準備不足は明らかでした。だからこそ、選挙運動は一生懸命やると思ったんですがね。しかし、街頭演説は1日1~2回と、他の候補に比べ極端に少ない。17日放送の『新報道2001』(フジテレビ系)も小池さんや増田さんは出演を予定していたのに、鳥越さんが出ないと言い出し、討論会が流れました。元がん患者で高齢という理由もあるが、鳥越陣営は、下手に露出してボロを出すより、鳥越さんの好感度が落ちないよう敢えて露出を控える戦略を取っています」
鳥越氏は、1989年10月から「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)で、長年キャスターを務めた。九州訛りの残る喋りは、お世辞にも上手いとは言えない。選挙演説も下手。それでも、彼が信頼されているのは、毎日新聞出身のジャーナリストだからである。
■スクープした記憶はない
もっとも、毎日での経歴はかなり異色だ。京都大学文学部に7年通った後、毎日新聞に入社したのは65年4月。最初、新潟支局に配属されるも、上司から「サツ(警察)回りは向かない」と烙印を押される。そこで農業の取材を始めた。経済部行きを希望していたが、次の異動先は、大阪社会部であった。
大阪読売社会部時代に鳥越氏と出会い、フリーになってから親交を深めたジャーナリストの大谷昭宏氏は、「当時の鳥越さんはトレンチコートの襟を立てて、黒髪の長髪をなびかせ颯爽と現場に向かうダンディーな記者だった。ただ、記者としての彼の実績はというと、スクープした記憶はありません。本人もそれを認めていて、『あの頃は読売の記者に抜かれる夢を見た』なんて言ってました」
同僚と連れ立って飲みに行くこともなく、一人でコツコツ取材するマイペースな記者だったという。大阪社会部に6年籍を置いた後、75年2月に東京社会部へ。が、76年7月、今度は「サンデー毎日」へ異動となった。サン毎OBは、「彼は良くも悪くも目立ちたがり屋で、新しいことに挑戦しようという雰囲気があった。その点が週刊誌記者向きだと思われ、声を掛けられたんだ」と明かすが、元サン毎編集長の八木亜夫(つぎお)氏は言う。
「でも、最初、彼は『社会部にいたい』言うて、ごっつう抵抗しとった。飲ませ食わせして、最後は脅し上げて、口説き落としたんや。サンデーに来てからは、なかなかユニークな仕事をしてましたよ。田中角栄がロッキード事件で失脚後、選挙に出た時のことや。鳥越が『角栄の選挙区に行って密着取材をしたい』と言うてきたんや。なかなか面白いレポートを連載で8回も書いてたわ」
■あだ名は「御家人くずれ」
当時、鳥越記者は30代半ば。既に結婚し、二人の娘も誕生していたが、
「あいつは、紺色のコールテンのズボンが一張羅でね。そればっかり穿いてたから、テカテカになってたわ。しかも、そのズボンを寝押ししてるって言うんやわ。それがおしゃれでダンディーやと思ってたんやろ。で、ある日、鳥越が夜中にふと目を覚ますと、嫁はんが布団の下からズボンを取り出して、ポケットから100円玉を盗ろうとしてたんやて。当時はそれほどカネがなかったんや」(同)
八木氏も鳥越記者の長髪が印象に残っているそうで、「御家人くずれ」という渾名を付けたという。毎日OBもこう言う。
「長い時は、肩にかかるくらい伸ばしていました。それに香水を付けていたこともある。彼がその場を去っても、5分くらいは臭いが残るほどでした。あんな記者はそうはいなかったから、目立っていました。髪型にも相当なこだわりがあったのでしょう」
テレビ朝日関係者も、「旧ソ連に取材で行った際、宿泊先のホテルにドライヤーがなくて怒り出したそうです。ロン毛で、髪質は硬く量も多い。どこへ出かけるにも、ドライヤーは必需品なのです」
「特集 『岸惠子』にバラ100本! 政策がボケボケ! 76歳『鳥越俊太郎』無節操の履歴書」より「週刊新潮」2016年7月28日号 掲載