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地下1階にあったパイプフレームで組んだ高圧受電盤。
手動OCBで無く遠隔操作なので電力変電所と同じ遮断器のスイッチもある。
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当時は皆、自立盤を立てて、電気室を作ったものだ。
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今の機器と異なり変圧器も大きく低圧は銅バーとなっている。
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非常用自家発電機設備。
昭和47年にオープンした百貨店だったが閉店する話...写真は多分、昭和50年当時、電気主任技術者だった先輩を訪ねていった時に撮影したものと思われる。
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当時は区分開閉器は碍子型開閉器が使用されていた。
それ以前はGR油入開閉器も有り爆発、火災発生するとのことで先の碍子に変わって行った様だ。だから高圧受電盤内にはOCRの他にGR継電器もあった。
今はGR付PASが第1柱にあるので、GRも不用となる。
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これは油入遮断器の高圧受電盤だが主油入遮断器の他、高圧コンデンサ用、電灯変圧器用、動力変圧器用に個々に有った。画像の左が高圧受電盤で一番下に地絡継電器が有る。
上には断路器(DS)も...シンプルの考えは無く、より専門性を持たせたか...作業は全停電が基本。
内部には冷房パッケージ専用の変圧器があって夏終われば開放する油入スイッチ(OS)もあり、もう電気技術者が中に入り操作する入.切の特権??だった。
今では考えられない贅沢なもの?だった感じがするが冷房用のクーリングタワー設備、ボイラー設備も不用となり個別対応する冷暖房エアコンが主となった。
灯油、ガスのエンジン冷暖房ユニットもメンテ要員いなく電気エアコンに切替進む...これも時代の流れ。
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最後に当時の電力会社、66kV配電変電所の二次側6kV分岐高圧受電盤で継電器が多数あるが、これも更新され無人変電所となった。当時は所員も多くノンビリした良き時代だった。
これらの退職した人が後に電気管理技術者とか民間の選任電気主任技術者となったが、上から目線が抜けないトホホの御仁も多かった...既に皆、三途の川を渡った。