阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

さすが坐禅会!やすらぎます。

2015年07月19日 20時53分05秒 | 仏法
和尚様に、前回はいつでしたかねと訊ねられ、

12月の蕎麦会(忘年会)以来ですと答えましたが・・・。

坐禅会は毎週日曜日の早朝ですので、新館になってからは、日曜日は

大概ご予約をいただいていますので、長期欠席者となっております。

単位もいただけないし、除籍処分も免れないところをなんとか

メンバーの一員においていただいております。

ーーーーー

さて今日は和尚様より「第44号 禅の風」という曹洞宗の広報誌だと思うのですが、貸して

いただきました。

内容、写真ともレベルの高さに驚かされました。これだけのレベルのものは、そう頻繁には

発行されないのではと、調べますと44号は27年5月10日、43号は26年の8月6日、

42号は26年4月3日、41号は25年の12月11日、40号は25年の4月10日と

年に2回程度発行されていました。

さすが日本一の教団(単一宗派)だと感心しました。また

和尚様は永平寺78世・故宮崎禅師様のお側で薫陶を受けられておられますので、

その宮崎禅師様の記事の部分を紹介していただきました、帰り道、綾川のイオン駐車場で

読み始めたところ、引き込まれてしまいました。禅師様のお話は、読んだ時は

まさしくそのとおり、と合点はいくのですが、おごりたかぶりが実践させないのでしょう、

しかし前にこのお話を読んだかTVでみたかしたときから、下履きは真っ直ぐにそろえるようになった

気がします、ときどき忘れているかも、平常心の時は、気になって家族の下履きも

そろえている自分がいます。その他の部分が歪んだままなのがいけません、68年の積み重ねは

なかなか治らないし、禅師様は真似でも一生続ければそれは本物や!とおしゃっていましたので

残りの人生真似をしなくてはと。

合掌
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妙好人 因幡の源左さん

2014年10月09日 23時30分38秒 | 仏法
讃岐の庄松さんと対照的な妙好人さんと

思います。庄松さんの言葉に飾りは皆無ですので

周りの同行のかたは、庄松さんの言動に対して

「庄松は馬鹿ですのでお許しください」と周りの方に

いう場面が多いのですが、源左さんの言葉には

ほのぼのとした温かみがあります。

雨にあわれた源左さんにたいして、和尚さんが

雨にうたれて大変だったなぁーの答えが

「鼻の穴が下向きでよかった!」と答えるのです、

上向きですと、雨が入るからです。

道元様が

眼横鼻直、空手還郷とおっしゃたのと相通ずるものを

感じます。仏に出会うと何もかもが

有難いのですね、まだまだ遠いーーですね。

See you tomorrow!





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讃岐の庄松(しょうま)さん

2014年10月02日 23時27分38秒 | 仏法
20歳ぐらいの時から、妙好人さんは大変気になる存在でしたが、

”庄松ありのまま記”を鈴木大拙全集で読んだだけで終わっていました。

で「妙好人のことば―わかりやすい名言名句」 という本をAmazonで

中古本を買いました。

讃岐の庄松(しょうま)さんは、読み書きそろばんがだめでしたので

他の妙好人さんより、直截的で烈しい気迫があります。まるで禅の

公案のような響きがあります。

よぱっらていますので

See you tomorrow!
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大石 邦子様を知る

2014年07月06日 23時58分51秒 | 仏法
昭和17年お生まれですので、禿頭より5歳上の72歳になられています。

NHKこころの時代(多分再放送)で、大石様のことをしりました。

22歳の時に交通事故で、左手と下半身マヒになられて、そこから

自分との戦いがはじまります。

話はずーんと飛びます。

乳がんを発病されます、手術は無事終わり、集中治療室で3日目に

胸の血管が破れ、急遽再手術となります。医師より

「大石さんね、今からやる手術は麻酔がかけられないから、

麻酔なしでやります。」3日前に全身麻酔をしているので、

こんど麻酔をすると、覚醒しない可能性があるということでした。

大石さんは、麻酔をしないということがよくわからなかったそうです。

そして手術が始まります。

メスが胸に入った瞬間、その痛さは経験したことのない痛さ・・・

ギャアーと叫ぶと同時に、手術室の天井の大きなライトが金色の十字架になり、

それが一瞬母親の顔に変わります。ご本人はオカルトみたいですが、

本当にそう見えたと言われました。(事故後大石さんはキリスト教の洗礼を

うけられています)

See you tomorrow!
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きらら大正でのおはなし、パート8

2014年07月03日 23時43分10秒 | 仏法


前回で、本山和尚様は

しあわせは感謝(ありがたい)ということだと、

そしてその感謝(ありがたい)を他の人にお裾分け

お裾わけがお裾わけを生み、そしてお裾わけの輪が

出来あがってまいります。

そしてしあわせは無限に続くこととなります。



ーーーーー

私の檀家さんであの介護の仕事している人がいます。

その人がね、自分のお母さんによく言う言葉があります。

”おかあさんなぁー、ありがとうという言葉はとにかく

くせになって、寝ても覚めてもありがとうと言っとかなきゃいかんよ

そうせんとなぁ、寝たきりになった時に言葉がでんよ。

介護してるとな、ありがとうと言われて手をあわせてもらうのが

一番うれしいねん! あーせい、こーせいとどんなにむたいなことを

言われても、最後にな、ありがとうと言われると、腹立たなくなるよ。

だから元気なうちから、ありがとうという言葉いうのを忘れたらいかんよ!”


ありがとうというのはそいう言葉なんですね。

私にあたりながら、あーせい、こーせいと言われても

でも最後にありがとうーのその一言で、あーまたやってあげようという

気になるっていううんですね。魔法のことばです、ありがとう。

わたしはしあわせじゃないわ、決してそんなことはないです。

自分がありがとうとだれかにありがとうと言いながら、恩を

送っていっているかぎり、必ずそれはしあわせのもとになるんじゃないかなぁ、

私はそういう風に信じていきたいと思います。

ーーーーー

これにてきらら大正でのお話は終わります。See you tomorrtow!




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きらら大正でのおはなし、パート7

2014年07月01日 23時59分24秒 | 仏法



本山和尚様は抗腫瘍薬で、ゲェゲェいいながらも

宮崎禅師様がおっしゃた言葉

“あのなぁー病気のことは医者にまかせい、

体のことはなぁーまわりのもんにまかせい

気持はなぁーほとけさんにまかせい“

が頭に浮かびます。そして

治療が功をそうして平成10年2月に退院されます、

その間に20kほど体重がへります。

さぁーどうする!



ーーーーー

「それでもやっぱりね、縁があればいのちって永らえるんですね、

じょうみょうという言い方があります、定まった命、人間一人一人に

生まれた時にもう決まった命の長さががあるんだよ、どんなに生きたい

生きたい長生きしたいと思って、健康診断してみたり、さまざまな薬を

飲んでみても、交通事故にあって亡くなる人もいるよ、どんなに

暴飲暴食しててもタバコ吸っててても100までいきる人もいるよ、

人それぞれの持って生まれた命の長さがあるように、これを定命と

言います、そんな定命であればこそ、授かった命ですから大事にして

くださいね、自分がいううんだったらいんですけど、お医者さんに

授かった命ですから大事にしてと、ほんと言われるとは夢にも

おもわなっかたんですが、

”授かった命ですから、大事にしてください、宝くじに当たったような

もんですから大事にしてください。”そこまで言う必要ないだろうと

思ったんですが、皆さん宝くじですよ。」


「坐禅会に来る若い女の子でね、ようーく当たる子がいるんですね、懸賞に。

その子がね”和尚さん懸賞に当たるのもしあわせなんだったら、

しあわせの総量って決まってるんでしょうか?”」


「しあわせの総量つまり自分がもらえるしあわせの分量ですね、

自分がもらえるしあわせの分量ってきまってるんでしょうかね、

“そんなことはないさ”なんて答えようかと思ったんですが、

考える間もなく口からでた言葉が“そんなことないよ”」

「しあわせというのと、いいことというのを我々はつい勘違いをします、

いいことがあったというと、あらしあわせねというんですけどね、

いいことがあったというのは、自分の気に入ったことがあったということです

、不幸なんだよ、あら不幸、というときってね、自分の気に沿わないこと、

自分の気持ちにあわないことを不幸といいがちなんですがね、

ただそれはちがいます、と私は思っている」

「いいこと悪いことと言った方が分かりやすいかもしれません、

自分の気に入っていること気に入らないことが、幸不幸なんじゃない、

いいこと悪いことというのは自分の物差しなんですね、

自分の物差しでいいことと悪いことを決める。じゃあーしあわせてなに?」

「懸賞にあたった、やったラッキーこれしあわせか?決してそんなことは

無いですね、しあせて何かというと、ありがたいということだと思うんです、

よかった、ありがたい、ありがたいなぁと。ありがたいって何かというと

感謝ですね、ありがたいなと思ったら、ありがたいを自分のものだけに

しちゃちゃだめなんですね、自分がありがたいと思ったら、それを誰かに

バトンタッチしていくことが大事なんですね、恩送りという昔からの

言い方があります、恩返しじゃないんですね、恩返しというと、いただいたものを

その人に返すのを恩返しです、恩返しの本当のとこというと

恩をその人に返すのではなくて、自分がうけた恩はみんな誰かに他の誰かにお裾わけを

していく、これが本当の恩返しなんだろうなぁ・・・」

「お裾わけをしてもらった人は、笑顔でありがとうと返してくれます、その時自分が

しあわせになれるんですね、だから、しあわせの総量てそれは感謝の総量なんだな、自分が

どれだけしあわせになるかな、それはどれだけありがとうと言えるかな、ありがとうと

いいながら、恩送りができるかな、そう考えると、しあわせには限界がないんですね

ありがとう、ありがとうと死ぬまでありがとうと言ってたらね、どんなけのしあわせが

つまっているでしょうか」

ーーーーー

あと1回で終わりそうです。

See you tomorrow!
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きらら大正でのおはなし、パート6

2014年06月25日 23時58分07秒 | 仏法


☆宮崎奕保老師・説戒法話(部分抜粋)


私の経験を少しお話しますと、私は八十歳になっていますが、かつて、
人間のいちばん嫌う病気をしまして、もう九分九厘死んでしまっておりました。
そして、医者の手にかかって、三年半入院しておりました。
病気は粟粒結核といって、三日しかもたないというものでした。

中略

いま申し上げたように大きな病気もしましたし、もう隠居をしようと思っていたのですが、
北海道でもう五年目になります。ところが、ますます達者になって、
人には化け物のようにいわれています。

私は病院で、もう死ぬのなら、坐禅をしていようと思いました。
病院のベットの上で坐禅をして、じつは坐禅で今日のように達者になったのです。」

「若き仏たちへ」宮崎奕保著、45~46頁より


宮崎老師様も大病をされました、その老師様が問いに答えて・・・



和尚様が「その答えをふーと思い出したんです」

ーーーーー

“あのなぁー病気のことは医者にまかせい、

体のことはなぁーまわりのもんにまかせい

気持はなぁーほとけさんにまかせい“

おっしゃった。病気のことはどんなに心配してもお医者さん以上に

心配出来る人はいないですね、ゲエゲエ言ってて点滴こうつながって

ますから動けません、動けないからだれかに何かをしてもらわんならん。

そして最後に残ったこころのことは、ほとけさんにまかせいと

おっしゃた。ふっと思い出したんですね。

「莫妄想という禅の言葉があります、妄想することなかれと、余分なことは

考えなくてもええぞということです、そういう禅語があるんですね。

あっそうだと、老師がおっしゃてたあの言葉は莫妄想をひらたくおっしゃた

ことなんだなぁ、こんな禅語があったじゃないか!あっそうかと思ったんですね。

やっと腑に落ちたんですね、そうかどんなに心配したって、心配したところで

この胸の腫瘍がなくなるわけじゃない、どんなにあがいたところでなくなるもんで

ないんであれば、お医者さんにまかせるしかないぞ!

動けないなぁ、体どうにもならんな、看護師さんに頼むしかない。

でもやっぱりこれ(腫瘍)小さくなんなかったら困るしいなぁーー困るしなぁと

思ってもちいさくなるもんでないんだったら、自分の悩みはほとけさんに

おまかせをしろと言うんですね。そうかーーもうそうすることなかれ!

これから先のこと、どうにもなるもんじゃないことをあれこれ思い悩んでみたり、

そういうのをもうぞうというんですね、(禅門では妄想をもうぞうという)

自分が自分で自分の頭のなかに迷いの迷路作ってしまって、その迷路に自分で入りこんで

しまってはいかんぞというんですね、迷路に入り込んだところでどうにもなるもんじゃ

なかろ、ほとけさんにおまかせをせよと。

See you tomorrow!

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きらら大正でのおはなし、パート5

2014年06月24日 23時58分03秒 | 仏法



和尚様の脳裏にひょっとしたら死ぬかもしれぬとの

思いが宿ります、家内と2歳の娘を残して・・・お話は続きます。


ーーーーー

「もしかしたら死ぬよな」それと同時に、私の修行時分からのサンガクシ(字不明)と

言います、お師匠さんですね、宮崎老師という方です。

宮崎奕保(えきほ)老師と申します。(注:大本山永平寺七十八世大禅師)NHKで

永平寺104歳の禅師というドキュメンタリー番組で何回も放送されましたけど

あの方なんですね、あの方にこの30年来可愛がっていただいて教えていただいて

叱られながら、なんとかまがりなりに坊さんなったぞと、だけど宮崎老師にも

ご恩返しの一つも出来ないな、、、どうやってもご恩返し出来んぞと思った時にね

涙出ました。」


「当時ね禅師97歳だったんですね、ご高齢でしたので、”それでなくても自分が若い時から

指導してきた雲水さんたちがどんどんなくなっていって、その亡くなった方の葬式に

呼ばれていって道士をしてください、これほど辛いことはないぞ!”とおっしゃてたんですが

それでいちばーん若いほうの雲水の私が、お葬式で、死にました、お葬式です、これはーー

申し訳ないな、あんなに怒られて怒られて可愛がっていただいたのに、恩返しの一つも

できん」

「そうこうした時にふっと思い出したことがありました、私が永平寺で、修行道場で修行して

おった時に、宮崎老師のもとに、参禅者の方が質問においいでたことがあったんです、

その方が”病気で入院をしております、入院をしておりました、死ぬかどうか生きるかどうか

不安でかないません、どうしたらいいでしょう?”」

「その答えをふーと思い出したんです」

See you tomorrow!
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きらら大正でのおはなし、パート4

2014年06月22日 23時42分29秒 | 仏法


本山和尚様は平成9年5月7日から10年にかけてほぼ1年病院に入院されていました。

大変なご病気だったのですが、治療と手術が功を奏して、現在ご住職をお勤めです。



「その間にふっと考えたのが死ぬかな、毎日ゲェゲェ(抗がん剤の副作用で)いいながらね、

当時その私ねー子供が、上の子が2歳、長女がちょうど2歳だったんです、家内が毎日小さい子を連れて

病院に来てくれる。その時だけが親子が対面できる時ですね。」

「いや、うちの家内とこの子残して死ぬかなーーー」

See you tomorrwo!

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青山先生の講演録音をいただきました。

2014年06月21日 23時58分29秒 | 仏法
本山和尚様のブログより

[2014年06月19日 | 日記


きょうは
愛媛県内子町に 出張

曹洞宗
愛媛県宗務所主催
總持寺二租 峨山韶碩禅師
六百五十回大遠忌 予修法要と
青山俊董さまによる 講演がありました]


和尚様直々に講演録音をお持ちいただきました。

今聴いています・・・有難うございました。


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