阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

きらら大正でのおはなし、パート3

2014年06月19日 23時50分21秒 | 仏法



本山良宗和尚様は高松市の祥福寺のご住職です。

初めにいす坐禅のご指導をいただきました。

5回目のいす坐禅のご指導をいただきましたが、今回が失礼な言い方ですが

一番分かりやすい説明をいただきました。最初手の形(法界定印)の説明がありました。


「背筋はね、ちょっと前かがみになっていただいて、そのまま天井を見上げながら

ぐーと上をみて天井を見ていただきます、天井が見えたならば、そのままかるーく

顎だけ引いていきます、顎だけ引いていただくと、ちょうどいい姿勢になります。

この姿勢のままでしずかーにふかーく呼吸をします。」

「呼吸というのはみなさんどっちが先だと思いますか、吸という字は

すうという字で2番目に出てくるんですね、呼というのは吐くという意味なんですね、

まず吐きだすことが大事なんですね、吐きださんことには吸えんのですね、

だからまず最初にやることは、姿勢を整えたならば、

次は息を静かーに鼻からすーと吐きだしていく、その時に頭の中で考えることを一緒に、

鼻の穴の中からすーーーと外に出していくつもりで 息を吐き出します、

息を吐いたならば、つぎしずかーにまたこの鼻の穴から別な空気新しい空気を

自分の心の中におなかの中に体全体に新しい空気が浸みわたるように、

しずかーに吸っていきます、また体にいきわったたならば、

しずかーに鼻の穴からその吸っている間に考えたことを

すーーーと吐く息と一緒にだしていくんですね、しずかーにふかーく吐きだす、

またしずかーにふかーく息を吸う、吸ったならばしずかーに頭の中の

余分事をいっしょくたにして出していく、そういったことを

繰り返しながらしばらく時間を過ごしていただきます。」


いす坐禅の開始です・・・和尚様のおっしゃる通り一度TRYしてみませんか!

See you tomorrow!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと休憩です

2014年06月18日 23時55分27秒 | 仏法
在家の仏教徒(男は優婆塞、女は優婆夷と申します)には五つの生活規則、即ち五戒と

というのがあります。

ーーーーー

五戒(ごかい)とは、仏教において在家の信者が
守るべきとされる基本的な五つの戒のことで、より一般的には「在家の五戒」などと呼ばれる。

不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。

不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。

不邪淫戒(ふじゃいんかい)  - 不道徳な性行為を行ってはならない。
                これは、特に強姦や不倫を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含む。

不妄語戒(ふもうごかい)   - 嘘をついてはいけない。

不飲酒戒(ふおんじゅかい ) - 酒を飲んではいけない。
wikipediaより


ーーーーー

で最後の酒を飲んではいけない、ですがこれについては色々解釈がありますが、

素直に読むと、お酒を飲めませんね。これは戒律のうちの戒で、自己規制として出来るか出来ないかの

問題になります。律は出家者が守るべきもので、罰則があります。戒と律は元来別物です。

でただいま断酒中です、今日でほぼ半月になります。毎日、日本酒に換算すると4合瓶1本は飲んでいたような

気がしますが、自分でも驚きがあります。昨年の同窓会は司会者でしたので、飲めませんでした、

次も司会者しようか、でもみんないやがるだろうなぁ・・・

See you tomorrow!







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きらら大正でのおはなし、パート2

2014年06月17日 23時45分13秒 | 仏法


やなせなな様のお話のつづきです。

はじめてガンの話を30名のお寺の奥様に話をしたところ、

一人の方が泣きはじめられました・・・

ーーーーー

「30人の中の一人の人が泣いて泣いて終わったら飛んで来ました、
そして私の背中をその手でさすりながら、私も同じ病気をしてるから
あなたの気持がよくわかるよ、あなたは一人ぼっちなんかじゃない、
一緒に頑張ろう、とそうおっしゃたんですね、その時私の心の目にあった
うろこがぽろぽろととれたような気でした。」

「御釈迦さんはおっしゃいました、生きているととても苦しいことばかりが、
私たちの元におとずれるんだと、生まれる苦しみ、生きる苦しみ、
歳月をかさねれば、肉体はどんどん衰えていきます、老いていく苦しみ、
そしてその先に待っているのは・・・死する苦しみ・・・。」

「私はそのことを忘れていました、自分のことしか見えていなかった、
でも私たちはみんな生きているかぎり、一人ひとり痛みを授けられます、
それは誰にも変わってもらえない苦しみ、ひとりぼっちなんです、
でももう一歩さきを考えれば、私もひとりぼっち、みなさんも
みーんな一人ぼっち、だから支えあうんだと思います」

「私の苦しみはその奥さんの、だいじょうぶあなたの気持はよく分かると
いう一言で、なにかしら痛いのは痛いままですけどね、ふぁーと開けた気がしたんです、
痛いから人の痛みにきずくことが出来る、ほおーておけば、
私今も大きな傷ここに残ってるんですよ、これただの傷ですわ!
醜くて一生消えない傷、でも自分の思い次第では、
これを人へのやさしさの種にすることが出来ます、
苦しみや痛みは仏様から授かった慈悲の種だと
そのようにいただくことが出来るかもしれない。
私もお母さんと出会ってそう思ったんです」

「それで泣いててもしゃあないなと思って、この話を人前でするようになりました。
そのうちだんだん元気がでてきましたね、私は今38歳もうすぐ9歳、
子供は残念ながらおりません、相変わらず独身で、そらーときどき寂しなりますわ、
赤ん坊の笑っている顔をみると今でもちょっとだけ胸がいたくなるんですから、・・・
人間の煩悩はそう簡単には消えないもんやなぁーと思いますけれども、
でも泣いてても仕方がないしね、折角救われて授けられた命が今ここにあるならば
目いっぱい生きなもったいない、そう思っています。」

-----

なな様のお話は終わります。つぎは和尚様のお話です。

See you tomorrow!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きらら大正でのおはなし、パート1

2014年06月15日 23時54分45秒 | 仏法


初めは、やなせなな様のお話です。


23歳で僧侶(浄土真宗本願寺派)となられたのですが、29歳(現在38歳もうすぐ39歳)のときに、

子宮体がんを発病、子宮と卵巣2つの摘出手術を受けられる。

身体は2年ほどで元に戻るが、心は落ち込んだまま、周りの人が心配して、

30人のお寺の奥さんの前で話をすることをすすめられます。

以下はレコーダーからの聞き取りです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「では皆さんにひとつ質問、仏さんはどこに居るとおもいますか?」

「仏像のなかですかね、私は子供のころばあちゃんに、人は死んだらここにいくんや、
仏さんの待っているところといつもご本尊をさされていたので、
それが仏さんなんかなぁとちょっと思うてたんです」

「でも仏さんは出張しはるんです、とてもよく出張されるんです、
私が出会った仏さんは、ある一人のお寺の奥さんの姿をかりて
仏さんがやってきたんです」

「手術から2年後のこと、私があまりにも落ち込んでひっこんでいるもんですから、
坊主仲間の若いお坊さんがね、お寺の奥さんの前で話してよと引っ張って出してくれたんです、
まあ女性ばかり30人ぐらい、だから生まれて初めて人前でガンの話をしました、すると
その中の一人の人が泣き出したんです。」

See you tomorrow!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涙もろいただのじいさんになっておりました。

2014年06月13日 22時27分12秒 | 仏法
はじめて四万十に出かけました。途中のおしっこ休憩(断酒してからお茶の量がはんぱではない、

どうも口寂しいらしい)を入れて往復約5時間。青山先生のCDを往に、復は、ななさんと

和尚様のお話をボイスレコーダーにとっていましたので、それを聴きながらでしたので

時間はあっという間に過ぎました。聴き取る側の条件が変化していますので、前回きいた

ななさんのお話も身に沁みましたし、和尚様のお話はぎりぎりのところを、どう生きるかの

具体的なお話もあり、涙だだもれじいさんになっておりました。

参加できてしあわせでした。和尚様のお話で幸せはお裾分けしましょう、そうすれば

またしあわせが返ってきますと、教えていただきました、Let's try!

See you tomorrow!





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は[禅をきく会]高知の四万十町で開催

2014年06月12日 21時59分02秒 | 仏法
お世話になっている和尚様の法話があるので、片道2時間半から3時間ですが

行く予定をしています。この時間だと大阪の菩提寺にいける時間です。ヤッホー




See you tomorrow!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

難解な沢木興道老師の おことば 2

2014年06月11日 23時05分23秒 | 仏法

内山興正老師著「宿なし興道発句参」よりお写真を借りました。

原田正道老師、当時17歳。山田無文師に初めて会われた時の
事を前に述べました。

「バスは大変混んでいました。そのに一人のお坊さんが腰をかけ
本を読んでおられた。原田老師はその方が明朗で、明るく大きく
見えたそうです、ただ座って本を読んでいるだけなのに、その方
だけが、明るく大きくみえたのだそうです。」

ーーーーー

青山先生のCDの中に、沢木老師に初めて会われた方のお話があります、

お名前は述べられていませんので、分かりませんが、この方は

沢木老師のことをご存じなかったのです。

「この方は、駒沢大学の門のところで、黒衣の僧とすれちがったんです、

静けさが歩いていく、その人の周りには静寂があったと、大学に坐禅指導に

来られた沢木老師に会って静けさを感じられたんです、その人の人格が

周りに静寂をもたらしていると、感じられたんですね、感じる方の

感性もこれまたすごいですね、この方は大学を卒業後、引退された

沢木老師を追いかけて、京都の安泰寺にゆき、老師の最後を

内山老師ともに見送られたんですね、」

ーーーーー

すごい禅者には、感じる方が見ると、その人格から溢れでる香気を感じ

ることが出来るんですね、山田無文老師(臨済宗)、沢木興道老師、

内山興正老師の皆様は多くの人を導かれました。


横山祖道老師もお弟子のお一人ですが、草笛説法という題で青山先生と

NHKこころの時代に大昔にでられたそうです、横山老師は草笛がお得意で

どんな葉っぱでも吹くことが出来ると言ったところ、子どもが、松葉は

どうやって吹くのと訊ねたそうです。そしたら

「松葉はー私が吹かなくても、風がー吹いてくれる」と答えたと、

素晴らしい返事をされました。

相田みつを様の詩に

ただいるだけで

   あなたがそこに ただいるだけで

その場の空気が あかるくなる

   あなたがそこに ただいるだけで

みんなのこころが やすらぐ

   そんな あなたにわたしも なりたい



See you tomorrow!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

難解な沢木興道老師の おことば

2014年06月10日 19時46分59秒 | 仏法
青山先生のお師匠様”沢木興道老師”のおことばです。痛快ではあります。

「仏道とはよそ見せんこと。そのものにナリキルことである。これを

三昧といい、紙管という。

 飯をくうのはクソをするためでない。クソをするのはコヤシをつくる

ためでない。ところがこのごろは学校にゆくのは、上の学校へゆくため、

上の学校へゆくのは、就職するためと思うておる」

ーーーーー

沢木老師のおことばは易しい日本語ですので、意味は分かりますが

自分自身に当てはめては実行出来ない、難解という言葉は適切では

ありませんが、言付け仏法になってしまう自分があります。

お弟子の内山興正老師の解説書が手に入りました。その一部を

紹介します。

ーーーーー

私が先生ならこういいたいと思います。

君たちは何もいい点をとらなくてもいいんだ。いい学校へ入る必要もない。

中略

「スミレがスミレの花ではつまらぬ。ぜひともバラの花を咲かせなけりゃ」と

頑張る必要はない。しかしスミレがスミレの花を咲かせることもできぬようでは、

生命を腐らせてしまうことで、それではつまらぬ。

中略

 それでつまりこういうことになる。決していい点を取るために勉強するのではなく、

ただ今の勉強の時間は『今の勉強の時間として精一杯の花』をさかせればいいんだ。

授業時間中に居眠りをしたり、マンガ本を見ていたり、早弁当食っていては、今の

授業時間の花は咲かない。しっかり目をあけて教科書を見、先生の話を注意して

聞き給え。

ーーーーー

もう一つ沢木老師のおことばです。

「サトリとは泥棒が空家へ入ったようなものじゃ。入ってみたものの盗るものがない。

逃げなくてもいい。 追いかけてくるものもない。---だからはなはだモノタリナイ」


禿頭はよくわかりません、内山老師の解説を読んでも・・・

See you tomorrow!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKこころの時代「坐禅は国境を越えて」 3

2014年05月28日 07時01分11秒 | 仏法
無相庵様のホームページより拝借(大谷國彦様)

山田無文老師のご紹介

明治33年~昭和63年(1900年~1988年)
臨済宗、京都五山、妙心寺派26代官長。
愛知県出身。学生時代、川口慧海に師事し、静岡県細江町金胤地院の河野大圭和尚につき得度。
妙心寺僧堂を経て天竜寺僧堂にて関精拙老師に嗣法する。妙心寺山内霊雲院住職、
神戸祥福寺僧堂師家を勤め、花園大学学長勇退後、昭和53年、妙心寺派官長となる。
通仙洞と号した。

一般の方々がどれ程山田無文老師をご存知か分かりませんが、禅界では明治以降では稀代の名僧だと
言われているとお聞きしたことがあります。

それは、大学の学長もされ、また一般人を対象としたご法話も数多くこなされ、ご著書も多いと言う事が、
そう言う評価に結び付いているものと思いますが、 話術の素晴らしさも大いに寄与していると思います。
落語家がその話術を勉強したと言うような逸話もございます。最初は、なかなか聞き取り難い弱い声で、
聴衆に耳を傾けさせ、徐々に声が大きくなって行き、喩えの人物に成り切っての発言は、
真に迫るものがありました。

見性の無い、即ち、悟りの無い坐禅は意味が無いとまで言われ、
ただ坐れば良いと言うものではないとはっきり言われた事が印象に残っています。


ここが道元様とのおおいなるちがい(臨済宗と曹洞宗の)です。
鈴木大拙翁も見性の無い、即ち、悟りの無い坐禅は意味が無いとまでおっしゃていたと
思います。

禿頭のような門外漢がいうのもおこがましいのですが、

見性体験は自分でしようと思って出来るものではありませんね、道元様の百不当千不当一老の
通り常に求め続けるというか、求め続けないで求めるのを持続することにより、突然むこうから
やってくるものだしょう、きょうげんのぎゃくちく、しもんぜんじのけんとうか(字がわかりません)
青山先生は、竹に石が当たった音を聞いて誰でもさとれるものではない、桃の花を見て誰でも
悟れれば苦労はしませんと、TVでおっしゃていました。

玉城庚四郎先生や立花隆様は、アポロ宇宙飛行士の船外体験が見性体験であるという意味のことを
言われておりました。禿頭の体験が見性体験といえるなら、その瞬間はまさしくまっ黒闇の中に
ただ一人ですが、まさしくTVで観る宇宙そのものの中にいる感覚でした、
気が付くと大きな喜びにつつまれ、まさしく華厳経の十地品の第一地の

初歓喜地 (見性、脱落、宗教体験が十地経の始まり)

の通りでした。ただその時は何が起こったのか理解出来ませんでした、30年後に玉城先生に
教えられることになったのですが、もっと早く知っていれば、どうなっていたのでしょうかね?

禿頭は偉い修行僧のように励んではいなかったのですが。むこうからくる、これを
如来(真如からくるもの)というのですね!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKこころの時代「坐禅は国境を越えて」 2

2014年05月27日 23時58分10秒 | 仏法
酔いがわがままな自由にしてくれまして、つづきは明日じゃ!
となりました。

さて つづきです、

原田正道老師、父上の変わりに本山京都妙心寺に
行くために、バスに乗られました。当時17歳。

バスは大変混んでいました。その中に一人のお坊さんが腰をかけ
本を読んでおられた。原田老師はその方が明朗で、明るく大きく
見えたそうです、ただ座って本を読んでいるだけなのに、その方
だけが、明るく大きくみえたのだそうです。

それでその方が降りるとこまでついて行くつもりでいたのですが
自分が降りなければいけないところで、そのお坊さんが降りたの
です。そして妙心寺の霊雲院に入られたのです。

原田老師は本山に参り、「さっき茶色の僧服をきた人が霊雲院に
入られたが一体だれなんですか?」

「なんだ知らないのか、花園大学の学長だよ」

その方が山田無文老師だったのです、まよわず花園大学に入学、
卒業後は神戸の修行道場
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする