なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

見物人のおせっかい

2009-01-16 18:27:05 | Weblog
 縁台将棋などで見物人がやかましいことがあります。
  見物人の口出しなどはもってのほかですから、そういう原則は誰でも知っているはず・・・特に盤を裏返すと、口出しすると首を切って載せるゾと言われる”血だまり”があるくらいです。
 もっとも、縁台将棋では足付き盤は使わないでしょうが。
  それでも素人将棋・囲碁の見物・観戦から”口出し”などのマナー問題がなくならないのですから、これは素人・主に低段以下限定だろうとは思いますが、どこかしら人間性?に関わるものがあるかも知れません。

 ネットでは心配は少ないのですが、リアルでは常に問題になります。
  勿論口に出すなどいけないことですが…野次馬は公平性?を欠くようですね。
 つまり有利な方に乗ると言うか、形勢の良い方の見方でもの言うような感じです・・・そういうところがありませんか?
 見物人が自分の読みの正しさを自慢しているようなところがあったりします。
  ですから毎度被害を受けてる人などは「危ない人」が現れると「シッシ」「あっちで打っててくださいよ」とバリアーを張ります。
 言葉での被害と、ジェスチャーではないですが雰囲気に現れる人もいます・・・ため息をついたり、顔をしかめたり・・・これも口に出すのと効果は変わりませんね。
 
 そういうことですから、観戦は好きですがかなり気を使います。
  口には出さず、態度にも出さないように観戦するとしても、「勝負の行方がはっきりした」時点で盤側を離れるのは、もしかしたら”態度で表している”ことになりはしないかなど考えたりしますから、離れるなら形勢不明の場面が良いですね。
 もしも一方に片向いた場合などは、何か用事を作って席を離れたりします・・・例えば「お茶を取りに行く」[誰かと世間話をするため]とか。

 ネットの場合はリアルのような気の使い方はしませんが、それでも形勢が傾いた瞬間に観戦を打ち切ると、いかにも「もう見るべきところが無い」「つまらなくなってしまった」と言っているように受け取られないだろうかなどと心配をしたりします。
 ですから一方的になってしまった対局の観戦は、離れるのも気を使うし、観戦を続けるのも不利な方の人にはプレッシャーかもしれないと、変に気を回したりするのです。

 尤も昨夜の観戦では・・・
  かなり形勢が離れているように見えるのだが不利な方の人は投了せずに打ち続けています・・・淡々とと言うか、さして勝負にこだわっている様子もなく。
  もしも観戦を打ち切って、他の碁を見るために退席したとしたら、それも何らかの意思表示みたいでマナー違反かも知れないなどと思ったりするので、終局まで見る事にしましたが・・・
 見物人の関心の焦点は、不利に見える方の人がいかに打開策を見せるかと言う点です。
 ところが、「打開策」らしいところが見えない・・・マア本人の自由ではあります。
 となると、私の局面の把握が間違っているのかも知れないと不安になったり、気を揉んだりしました。
  しかし、いつの間にか記憶が薄れて・・・
   やはり眠ってしまいましたが、この方がもっと失礼かも知れません。