なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

顔の責任

2009-08-13 05:50:10 | Weblog
 諺では「30過ぎたら自分の顔に責任を持て」とか「40過ぎたら・・・」かもしれませんが、ともかそれなりに年をとったら顔に責任を持てという事になっています。
人間性が顔に表れて何も語らなくても滲み出てくるものがあるという事なんでしょうね・・・きっと。
 でも私は成長していないのかあるいは負の成長なのか、何才になっても責任を持てる顔になったという自覚はない・・・つまり無駄に年だけとった?。
  少なくとも朝顔を洗う時、職場の洗面所で手を洗う時、夜入浴後の洗面所で鏡を見るのだけれど、生まれてこの方60年は見ているので、見慣れてきてはいるけれど、”これで良い”という感じ方をした事が無い。
 むしろ親に貰った顔だし、整形のしようも無いし、仕方なくつけて置く程度のもので、慣れるしかないという諦めのマスクです。
 もし履歴書が学歴と職歴を文字で書くもので、面接で直接顔を見て話をする場面でその人間の考え方生き方感じ方などなど文字に書かれていない部分がある程度判断できるものなら、まさに顔の印象・態度振る舞いに責任を持たされていると言えます。
 仮にステージの上に10人くらい上がって貰い「この中で一番悪い人」みたいな投票を行って、一番になるようなら・・・「悪い」という判断基準が法的なのか考え方なのか性格が反社会的なのか其々の基準に任せるとして・・・一番になるようなら顔に責任はある確率が高い?・・・

 碁会所などでは「黙っていれば高段者」という人はいるでしょう?
  「打たなければ高段者」という人もいるかもしれません。
 例えば対局しているところを見知らぬ人が観戦しているとして、その人が黙って観戦しながらお茶などを啜っている場面。
 相手が一手打つ時に軽く頷き加減で見ていたり、私が打つと「ん!?」と言う感じで腕組みをしたり・・・成程そういう感じで観戦されると、なんとなくその人は自分より2子くらい強い人に感じる。
 油断のない目つきや隙のない態度だったらかなり”強そうな”印象。
 さて対局が終わって手空きになったので、その人に教わろうとすると・・・
 「五つくらい置いてもいいですか?」となると
 『マジッ!?」それとも謙虚な態度で『弱い振り?』という感じで困ってしまいます。
  誰かこの人を知っている人がいないか探してしまいます(第三者に手合いを決めてもらうため)。
 ともかくみた感じと棋力が一致しないことはママあるので、逆も怖いと思っています。
 みた感じどこにでもいそうなオジサンが実は隠れた強豪だったりすることはアル事なのです。
 すると「顔の責任問題」はどうなるのでしょう。
  自分の中の他人を見る判断基準が狂っているか、見てくれ通りの場合もあれば大外れの場合だって少なくない、、、では、自分が見てくれが良くなくても安心?

 ところで思いで話
 韓ドラでは幼馴染の男女がが大人になってもつき合いが続いていくストーリーはよくある・・・マア馴れ初めだったり、因縁めいた話だったり。
 私の場合は同い年の女の子の幼馴染は一人。
  同じ町内で家は一番東側で彼女の家は西の方、町内が14軒しかないから良く知っているし小学校は同じだけれど表で一緒に遊んだ記憶は無い。
 市のはずれの町なので親たちが書道の先生に頼んで月に2,3回来てもらっていましたが、その仲間であったことは覚えているけれど彼女が書いているところは記憶にない。
 特に仲が良いわけでもないが悪いことも無い。
 私が彼女の家に遊びに行ったことは無い、しかし、何故か彼女が家に遊びに来たことが2度ある・・・イヤ2つのシーンを憶えているという表現が正しい。
 家の中の二階へ上がる階段の途中に二人で腰かけて本を見ているシーン。
  確か私が中段に座って、その2,3段上に彼女が座っていた筈。
 マアそれだけのことですが、その時彼女・M美ちゃんが私に言ったことも憶えています。
 「○○ちゃん(私のこと)って”東千代の介みたい」当時の大スター!?
 実はこれは後で聞くと階段にちなんだ彼女の発想だった。
 この話を母にすると「すごいね、大スターになれるかも」と大笑いしましたが、実は彼女なりの理由はあったらしい。
 何かの映画に千代の介が出ていて、「階段から落ちてパアになっちゃって?・・・」というストーリーからの発想。
 母は大笑いしながら納得。
  それでは私は「パアになる」ように見えたらしい。

 高校時代どこかの子供にジッと顔を見られて「変な顔している」と一言言われた事があります。
 子供のいう事なので意味はよくわからないのですが、良いとか悪いではなく「変な顔」は少し傷つけられたと思います。
 同じく高校時代に英語の家庭教師(私がその人の住んでいるところに週2回通った)からは「君は映画俳優になれるかも知れないゾ」という御託宣・・・イヤからかいの言葉。
 「悪役なら間違いなく成れそう」・・・やはりからかわれた。
 しかし、「悪役なら」という事は悪役のイメージにぴったりの顔と言う事になるのだから、他人から見れば「自分の顔は悪役顔なんだ」と思うしかない。

 大学に入って1年生の時、同じ部活の先輩(4年生のお姉さんたち)に植物採集などに連れて行ってもらう事が多かったので、親しくして戴いたのですが、
 先輩が言うには「君は女の子が一度は好きになる顔をしている」・・・『何だそれは!?』
 『一度という事は二度以降は無いみたい』な感じだから持ち上げられて落とされた感じがします。
 要するにチョッピリ悪で、ほうっておくと危ない感じだから少し手伝いたくなる・・・」(「初めだけで・・・やがてどうでも良くなる」)そういう意味らしい。
 というこは第一第一印象は悪くは無いが、但し若い人限定でいずれメッキが剥がれる。
 要するに褒められたわけではない。
  
 さてさてそれから40年以上は経っている。
  相変わらず”無責任”な顔をしているはずです。
 (それでは30年以上家に住みついている女房殿は表彰物ですね)