中国絵画・書跡 特集陳列「中国書画精華」(絵画、前期)
2006年9月5日から10月1日
東京国立博物館 東洋館
東京国立博物館の秋の恒例。中国書画精華展。今年初めて鑑賞しました。今年は中国絵画に少しはまっています。
国宝 紅白芙蓉図 2幅 絹本着色 李迪筆 南宋時代・慶元3年(1197) 各縦25.2 横25.5
TA-137
柔らかな芙蓉のさまは、惚れ惚れしました。国宝とから傑作というに値します。
「李迪(りてき)は中国・南宋の宮廷に仕えた画家(画院画家)で、この時代を代表する1人。現存作品の年記や、やはり画院画家となった子の李徳茂の経歴などから、その活躍時期は南宋時代前半の12世紀後半と思われる。
李迪は花や鳥や動物を描くことを得意としたが、この芙蓉図は現存する李迪の最高傑作である。各図に押された「慶元丁巳歳李迪画」の落款から、南宋の慶元3年(1197)の作とわかる。
芙蓉は、初め白い花をつけ、しだいに紅色を帯びていく酔芙蓉とみられ、きわめて写実的であるが、繊細な筆と微妙な階調の色彩で描かれているため情趣にあふれ、余白を生かした空間も自然で静謐である。
2幅の図は、本来はそれぞれ独立した冊仕立の作品であったと思われるが、日本の茶の湯の美意識から生まれた唐絵鑑賞に合わせて、対幅に改装された。(e国宝)」


国宝 十六羅漢図(第三尊者) 1幅 北宋時代・10~12世紀 京都・清凉寺蔵
全16幅のうち8幅は東博に、8幅は京博に寄託。
重文 十六羅漢図(第三尊者) 1幅 絹本着色 金大受筆 南宋時代・12世紀 縦118.8 横51.7 TA-298
「金大受は南宋の寧波(浙江省)の仏画師。「大宋明州車橋西金大受筆」の落款により金大受は寧波が慶元府とよばれる慶元元年(1195)より前の明州とよばれていた頃の画家であることがわかる。原三渓旧蔵品。(東博(文化遺産オンラインに画像が その他の画像の3番目)
東博では十六羅漢図の10幅を所蔵。本図は、滝を尊者眺める図。
重文 二祖調心図 2幅 伝石恪筆 南宋時代・13世紀 TA-162
「石恪は五代後蜀の画家。画火の名人である張南本に師事して水墨人物画をよくした。石恪の面貌は細緻,衣紋は粗筆という飄逸な画風は逸品といわれ,その後の中国の水墨人物画の基本となった。この二祖調心図は石恪の水墨画風を最もよく彷彿させる作品。中国禅宗の二祖慧可というよりも,豊干,布袋などの散聖を描いたものともいわれる。(東博)」 左幅は虎にもたれる人物がユーモア。


重文 雛雀図 1幅 伝宋汝志筆 南宋時代・13世紀 TA-355
「本図の画家は,籠の内と外の雛雀の一瞬の動きを,じつに巧みな筆により見事に表現している。伝称筆者である宋汝志は南宋末の画院画家。幕末の狩野養川院惟信の箱書には宋汝志筆とされているが明らかでなく,筆者は不明である。しかし,水墨と淡い色彩を用いた繊細な表現は,本図が南宋時代の名手の作であることを示しているようである。浅野家旧蔵品。(e国宝)」精緻な籠から飛び出しそうな雛と親雀。

重文 寒江独釣図 1幅 絹本墨画淡彩 伝馬遠筆 南宋時代・13世紀 縦26.7 横50.6 TA-140
「小舟に乗る釣人を広漠とした寒江の中に描く本図は,余白のもつ効果を最大限に生かした馬遠派の傑作といわれる。しかし,舟のやや上方のあたりで絹つぎがあり本来はもっと大画面の作品であった可能性もある。南宋の寧宗妃恭聖皇后の所居である坤寧殿に由来する「辛未坤寧秘玩」印がある。(e国宝)」一寸腰を屈めて舟に乗る。釣り糸のたらし方の描きぶりは絶妙の曲線。

山水図 1幅 絹本墨画 伝夏珪筆 南宋時代・13世紀 縦22.5 横25.4 TA-339
「夏珪は南宋の中期の画院画家。山水画をよくし馬遠とともに「馬・夏」と並称された。本図は近衛家煕の「槐記」に記載される作品といわれ唐絵の最上のものとして珍重された。本来向かって左方にさらに景観が展開していたことが本図と同図様の山水図(静嘉堂文庫)を写した探幽縮図によりわかる。近衛家旧蔵。(東博)」
小品だが中央に樹木を配して手前に水流を描く。

重文 維摩図 1幅 元時代・14世紀 京都・東福寺蔵
ぱっと目に見ると、放心状態か考える人か。Wikipediaによれば、維摩経とは、中インド、バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)が病気になったので、釈迦が菩薩や弟子達に見舞いを命じるが、以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。全編戯曲的な構成の中に旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗の空の思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。とのことなので(この説明ではよく理解できていませんが)、維摩経の教えを説くには、もっともな表情なのですね。 (たとえば、「維摩黙然」下村観山筆を大倉集古館で鑑賞したときは、別のところに目がいってこんな黙然の意味を考えなかったのですが。最澄と天台の国宝で、維摩居士坐像 1躯 平安時代・9世紀 滋賀・延暦寺蔵を拝見したときも、きりっとした顔立ちぐらいにしか感じなかったのですが。)ともあれ、裕福な維摩居士の台座は豪華。模様を細かく描く様は見事。
祖師図 1幅 暁そう筆 元時代・14世紀 TA-613
粗筆。着衣は薄墨で輪郭を、腰紐を濃墨で描く。顔、手、耳、足は細筆で描く。着衣の流れるさまに風を感じる。
重文 雪汀遊禽図 1幅 羅稚川筆 元時代・14世紀 TA-340
冬景色の樹木。雪景色。鳥が14羽ほど空に舞う。枝に止まる鳥も5羽ほど。岸辺には鴨が2羽。
重文 翠竹図 1幅 顧安筆 元時代・14世紀 東京・吉祥寺蔵
笹を鋭いタッチで画面いっぱいに描く。手前にはシュールな岩が。
山水図 2幅 伝閻次平筆 元時代・14世紀 TA-49
栗鼠図 1幅 松田筆 元時代・14世紀 TA-364
松田山人九十ヽ歳筆。細やかな筆で栗鼠(リス)の体毛を再現。
国宝 瀟湘臥遊図巻 1巻 紙本墨画 李氏筆 南宋時代・12世紀 縦30.3 横400.4 TA-161
北宋末の文人李公麟の作として伝世した宋代水墨山水画の名品。清の乾隆帝が愛蔵した四名巻の一つであった。筆者は南宋の乾道6,7年(1170,71)の章深などの跋文より李公麟ではなく,同郷の舒城の李という画家であることがわかる。景勝の地として名高い瀟湘の山川をきわめて微妙な水墨の濃淡により大観的に見事に描いている。菊池惺堂旧蔵品。 」
乾隆帝筆「気呑雲夢」の題。菫其昌觀并題(?)の題のあと、水墨の濃淡で瀟湘を描かれる。さらに跋が延々と並ぶ。4メータ余りの全編が展示されている。中国の伝世品の貫禄と歴史を感じさせる作品。なぜこのような立派な作品が日本に伝来しているのでしょうか?菊池惺堂が関東大震災の中で救った作品という跋もあるようです。Googleするといろいろ中国語で書いてあるようなのですが、ちんぷんかんぷん。瀟湘臥遊図巻: 乾隆宝蔵 東京大地震災禍下菊池惺堂先生救出此巻。とかでてきます。Googleで見つけたのは蘇軾 寒食帖。こちらも同じく菊池惺堂旧蔵で東京大震災から救った名品。こちらは現在は台湾の国立故宮博物院に戻りました。内藤湖南の中国絵画史でも読むと判明するでしょうか?清の乾隆帝が愛蔵した四名巻というのもわかるでしょうか?

重文 五龍図巻 1巻 紙本墨画淡彩 伝陳容筆 南宋時代・13世紀 縦45.2 全長299.5 TA-363
「陳容は南宋末の文人画家。長楽(福建省)の人で所翁と号した。一説に所斎とも号したという。端平2年(1235)の進士。水墨の龍を得意とし宝祐年間(1253-58)に名を馳せたという。本図は巻末に「所斎」印があり,陳容の作といわれる。(e国宝)」

重文 山水図(唐絵手鑑「筆耕園」の内) 1枚 絹本墨画 伝夏珪筆 南宋時代・13世紀 縦25.9 横34.3
TA-487
夏珪は馬遠とともに南宋中期を代表する画院画家。馬遠の「筆」に対して「墨」,とくに滋潤な墨色の美しさを最大の特色とした。本図は,数多い伝夏珪山水図の中で,その滋潤で茫々とした水墨表現が一段とすぐれており,その墨法は最も夏珪に近いものであるといわれる。前景の樹林の部分に「夏珪」といわれる落款がある。黒田家旧蔵品。(東博)」

重文 羅漢図(唐絵手鑑「筆耕園」の内) 1枚 元時代・14世紀 TA-487
2006年9月5日から10月1日
東京国立博物館 東洋館
東京国立博物館の秋の恒例。中国書画精華展。今年初めて鑑賞しました。今年は中国絵画に少しはまっています。
TA-137
柔らかな芙蓉のさまは、惚れ惚れしました。国宝とから傑作というに値します。
「李迪(りてき)は中国・南宋の宮廷に仕えた画家(画院画家)で、この時代を代表する1人。現存作品の年記や、やはり画院画家となった子の李徳茂の経歴などから、その活躍時期は南宋時代前半の12世紀後半と思われる。
李迪は花や鳥や動物を描くことを得意としたが、この芙蓉図は現存する李迪の最高傑作である。各図に押された「慶元丁巳歳李迪画」の落款から、南宋の慶元3年(1197)の作とわかる。
芙蓉は、初め白い花をつけ、しだいに紅色を帯びていく酔芙蓉とみられ、きわめて写実的であるが、繊細な筆と微妙な階調の色彩で描かれているため情趣にあふれ、余白を生かした空間も自然で静謐である。
2幅の図は、本来はそれぞれ独立した冊仕立の作品であったと思われるが、日本の茶の湯の美意識から生まれた唐絵鑑賞に合わせて、対幅に改装された。(e国宝)」


全16幅のうち8幅は東博に、8幅は京博に寄託。
「金大受は南宋の寧波(浙江省)の仏画師。「大宋明州車橋西金大受筆」の落款により金大受は寧波が慶元府とよばれる慶元元年(1195)より前の明州とよばれていた頃の画家であることがわかる。原三渓旧蔵品。(東博(文化遺産オンラインに画像が その他の画像の3番目)
東博では十六羅漢図の10幅を所蔵。本図は、滝を尊者眺める図。
「石恪は五代後蜀の画家。画火の名人である張南本に師事して水墨人物画をよくした。石恪の面貌は細緻,衣紋は粗筆という飄逸な画風は逸品といわれ,その後の中国の水墨人物画の基本となった。この二祖調心図は石恪の水墨画風を最もよく彷彿させる作品。中国禅宗の二祖慧可というよりも,豊干,布袋などの散聖を描いたものともいわれる。(東博)」 左幅は虎にもたれる人物がユーモア。


「本図の画家は,籠の内と外の雛雀の一瞬の動きを,じつに巧みな筆により見事に表現している。伝称筆者である宋汝志は南宋末の画院画家。幕末の狩野養川院惟信の箱書には宋汝志筆とされているが明らかでなく,筆者は不明である。しかし,水墨と淡い色彩を用いた繊細な表現は,本図が南宋時代の名手の作であることを示しているようである。浅野家旧蔵品。(e国宝)」精緻な籠から飛び出しそうな雛と親雀。

「小舟に乗る釣人を広漠とした寒江の中に描く本図は,余白のもつ効果を最大限に生かした馬遠派の傑作といわれる。しかし,舟のやや上方のあたりで絹つぎがあり本来はもっと大画面の作品であった可能性もある。南宋の寧宗妃恭聖皇后の所居である坤寧殿に由来する「辛未坤寧秘玩」印がある。(e国宝)」一寸腰を屈めて舟に乗る。釣り糸のたらし方の描きぶりは絶妙の曲線。

「夏珪は南宋の中期の画院画家。山水画をよくし馬遠とともに「馬・夏」と並称された。本図は近衛家煕の「槐記」に記載される作品といわれ唐絵の最上のものとして珍重された。本来向かって左方にさらに景観が展開していたことが本図と同図様の山水図(静嘉堂文庫)を写した探幽縮図によりわかる。近衛家旧蔵。(東博)」
小品だが中央に樹木を配して手前に水流を描く。

ぱっと目に見ると、放心状態か考える人か。Wikipediaによれば、維摩経とは、中インド、バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)が病気になったので、釈迦が菩薩や弟子達に見舞いを命じるが、以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。全編戯曲的な構成の中に旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗の空の思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。とのことなので(この説明ではよく理解できていませんが)、維摩経の教えを説くには、もっともな表情なのですね。 (たとえば、「維摩黙然」下村観山筆を大倉集古館で鑑賞したときは、別のところに目がいってこんな黙然の意味を考えなかったのですが。最澄と天台の国宝で、維摩居士坐像 1躯 平安時代・9世紀 滋賀・延暦寺蔵を拝見したときも、きりっとした顔立ちぐらいにしか感じなかったのですが。)ともあれ、裕福な維摩居士の台座は豪華。模様を細かく描く様は見事。
粗筆。着衣は薄墨で輪郭を、腰紐を濃墨で描く。顔、手、耳、足は細筆で描く。着衣の流れるさまに風を感じる。
冬景色の樹木。雪景色。鳥が14羽ほど空に舞う。枝に止まる鳥も5羽ほど。岸辺には鴨が2羽。
笹を鋭いタッチで画面いっぱいに描く。手前にはシュールな岩が。
松田山人九十ヽ歳筆。細やかな筆で栗鼠(リス)の体毛を再現。
北宋末の文人李公麟の作として伝世した宋代水墨山水画の名品。清の乾隆帝が愛蔵した四名巻の一つであった。筆者は南宋の乾道6,7年(1170,71)の章深などの跋文より李公麟ではなく,同郷の舒城の李という画家であることがわかる。景勝の地として名高い瀟湘の山川をきわめて微妙な水墨の濃淡により大観的に見事に描いている。菊池惺堂旧蔵品。 」
乾隆帝筆「気呑雲夢」の題。菫其昌觀并題(?)の題のあと、水墨の濃淡で瀟湘を描かれる。さらに跋が延々と並ぶ。4メータ余りの全編が展示されている。中国の伝世品の貫禄と歴史を感じさせる作品。なぜこのような立派な作品が日本に伝来しているのでしょうか?菊池惺堂が関東大震災の中で救った作品という跋もあるようです。Googleするといろいろ中国語で書いてあるようなのですが、ちんぷんかんぷん。瀟湘臥遊図巻: 乾隆宝蔵 東京大地震災禍下菊池惺堂先生救出此巻。とかでてきます。Googleで見つけたのは蘇軾 寒食帖。こちらも同じく菊池惺堂旧蔵で東京大震災から救った名品。こちらは現在は台湾の国立故宮博物院に戻りました。内藤湖南の中国絵画史でも読むと判明するでしょうか?清の乾隆帝が愛蔵した四名巻というのもわかるでしょうか?

「陳容は南宋末の文人画家。長楽(福建省)の人で所翁と号した。一説に所斎とも号したという。端平2年(1235)の進士。水墨の龍を得意とし宝祐年間(1253-58)に名を馳せたという。本図は巻末に「所斎」印があり,陳容の作といわれる。(e国宝)」

TA-487
夏珪は馬遠とともに南宋中期を代表する画院画家。馬遠の「筆」に対して「墨」,とくに滋潤な墨色の美しさを最大の特色とした。本図は,数多い伝夏珪山水図の中で,その滋潤で茫々とした水墨表現が一段とすぐれており,その墨法は最も夏珪に近いものであるといわれる。前景の樹林の部分に「夏珪」といわれる落款がある。黒田家旧蔵品。(東博)」

昨日、この東洋館に行って、じっと見つめてきたところです。すばらしかったです。こちらで絵の画面が見られて、嬉しく思いました。