徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

常設展示(絵画) 東京国立博物館(10月)

2006-11-10 | 美術
少し前の常設展の感想です。

  • 国宝 観楓図屏風 狩野秀頼筆 室町から安土桃山 A-10470 (2006/10/24-11/19)
    洛北の紅葉の名所高雄で紅葉狩りを楽しむ人々の様子を描いた屏風です。背景には神護寺の宝塔と冬の到来を告げる銀雪の愛宕社が見えます。清滝川の辺では女性と子供らしい洒落た衣装をまとって茶売りの茶や酒盃を片手に秋の美しい一時を楽しんでいます。橋上には笛を吹く一組の男性、橋を渡ろうとしているのは渇食(かつしき、童僧)を伴った僧侶。そして僧侶の背後には車座になった男たちが舞を舞い、謡を謡って酒宴に興じています。その空には、今まさに白鷺が舞い降りようとしています。
    この屏風には、かつてもう一隻、春夏の名所絵が存在し、一双で四季名所絵であったと考えられています。描いたのは狩野秀頼。かれの活躍期には応仁の乱の荒廃から都がようやく復興した永禄年間頃にあたり、画中にはその頃の人々の衣食や芸能の様相が細やかに散りばめられています。四季名所絵でありながらも、そらら時世勢(じせいそう、絵画や文学中の同時代の装いや習慣の様子)の活き活きとした描写は、のちの遊楽図などの先駆けともいえる輝きを放っています。ぜひ、室町人の遊楽の様子と紅葉の美しさとともにお楽しみください。


    と説明がありましたが、本当に人々の様子が活き活きと描かれていて思わず魅入ってしまいました。画像はSRCリンク。東博のHPには拡大図もあります。楽しめます。

    もう1点の狩野派の絵として
  • 重文 山水人物図 伝狩野元信 京都・霊雲院(妙心寺塔頭) (2006/10/11-11/19)
    が展示されていました。(撮影禁止)霊雲院は、大休宗休が妙心寺内に創建した塔頭。この図は狩野元信一派によって制作されて方丈障壁画の一部。方丈は天文12年に移築され、障壁画の大部分はその頃の作と見られている。

    後日池袋のJUNKDOの美術書コーナーを訪れた時に、別冊太陽 狩野派決定版が並んでいた。ああ狩野派の名作の二図が展示されていたなあと思い出し、つい買ってしまいました。
    狩野派決定版

    平凡社

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    狩野派決定版では、狩野元信は、磐石の基礎を固めた二代目経営者。狩野秀頼は、元信の二男。流派を支えた名脇役と紹介されています。

    このほかに
    (2006/9/20-10/29)
  • 重美 秋山遊猿図 2幅 森狙仙筆 A-11725
    鹿も猿も毛並みが素晴らしい。
  • 秋郊鳴鶉図 1幅 土佐光起・土佐光成筆 江戸時代・17世紀 A-65
    鶉 土佐法眼常昭筆 菊 土佐将監光成筆
  • 猿猴図 1幅 狩野山雪筆 江戸時代・17世紀 植松嘉代子氏寄贈 A-11845
    ユーモラスな猿 体毛の表現、指、水紋もおかしい
  • 半月白鷺図 1幅 狩野常信筆 江戸時代・17世紀 A-12209 墨画淡彩
  • 松巒古寺図 田能村竹田筆 天保4年(1833) A-12098
    田能村竹田は、豊後岡藩の儒官を辞職し、詩画三昧の生活を送りました。この図は天保三年に頼山陽の依頼で描かれたが、同年山陽が亡くなったため、翌年賛を加えて共通の友人である青木木米に送られました。薄い茶色で着彩がされている山のようすが描かれる。

    浮世絵では、今回(2006/10/11-11/5)も鈴木春信の発色のいい優品が展示されていました。
  • 見立恵比寿 鈴木春信筆 中判 錦絵 A-10569-74
  • 見立大黒天 鈴木春信筆 中判 錦絵 A-10569-75
    鯛の玩具を手にした若衆は恵比寿に見立てられ、大黒天に見立てられた俵に座る美人の姿と向き合って対になります。若い男女の恋の場面を多く描いた春信らしい作品
  • 六玉川・擣衣玉川 鈴木春信筆 中判 錦絵 A-10569-81
    「松風の 音だに秋は さびしきに 衣うつなり 玉川の里」源俊頼『千戴和歌集』巻六
    ここでは 俊頼でなく相模の歌とされる。窓の外には、宇津木の花。部屋の中で娘二人が砧を打つ。 
  • 紅葉舞 鈴木春信筆 中判 錦絵 A-10569-77
    傘を2つを手に持ち、紅葉の中で舞をまう娘。

  • 雁金五人男 勝川春章筆 安永9年(1790)A-10569-237~241
    大阪市中を荒らしまわって捕えられ打ち首の刑に処せられた雁金文七ら、ならず者五人組を義侠のモデルとして多くの戯曲が作られました。各々家紋をつけたそろいの着流し衣裳に一本差しという男伊達姿で描かれました。
    発色もよく優品。カッコいい。

  • 往古うはなり打ちの図;歌川広重筆 大判錦絵3枚続き


    とらさんのBLOGで紹介されていたのでよく見てきました。
    後妻(うはなり)打ちは、前妻が後妻の家に親類や友人らと押しかける風習をいう。室町時代には行われたが江戸時代には廃れた。ここでは「往古」と冠し古き風習をコミカルに描いている。笊(ざる)や杓文字など当時の様々な生活道具が描写されているのも興味深い

    「うはなり打ち」とGOOGLEしてもの直接的な説明は見つからず不明ですが、管理人ミユさんのBLOGの記事から推測するに、たぶん子宝に恵まれず離縁させらた前妻が後妻の家に押しかける風習ではないかと思われます。謡曲「葵上」の「ツレ「あら浅ましや六条の。御息所程の御身にて。うはなり打ちの・御振舞。いかでさる事の候ふべき。唯思し召し」ともあるので、謡曲などで有名ななった「うはなり打ち」が、封建制度と結びついて風俗流行として当時の人が行っていたのではないかのか。それを、歌川広重筆の絵は描いたのではというのが、単なる推測ですが、まあ多分違うでしょう。こういう風俗の絵の解題は相当な知識がいりますね。どなたか詳しければ教えてください。

    (10月27日)

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    1 コメント

    コメント日が  古い順  |   新しい順
    うはなり打ち (とら)
    2006-11-13 08:45:34
    あんな暗いところでよく写真が撮れましたね。
    ニヤニヤしながら・・・やはり女性は怖い!
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