赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

挽歌②――アベガー編 コラム(467)

2022-09-30 00:00:00 | 政治見解



コラム(467):挽歌②――アベガー編


国葬儀が終わり、テレビメディアではその話題や安倍元総理関連の話題が縮小していくと思います。それでも、国葬儀の翌日のツィートには「国葬が終わっても国葬に反対します」というハッシュタグがありました。これは、多くの人が、安倍元総理が天に召されたことによって深い喪失感を味わったのと同様に、敵の不在によってアベガーたちも喪失感を味わっている証拠と言えます。

こう書くとアベガーたちから「違う」と反論がきそうですが、厳然たる事実であるからどうしようもないのです。なぜなら、安倍元総理を目の敵にするアベガーたちにとって、国葬儀で歴史上の人物となった安倍元総理向かって、これからもアベガーと叫んでいくら誹謗中傷をしても、罵詈雑言を浴びせても、すでにあの世の安倍元総理に届くはずもなく、むなしく言葉が跳ね返ってくるだけだからです。

また、たとえて言えば、安倍元総理を光とするなら、アベガーは安倍元総理の影に過ぎません。光が存在するとき影もアンチとして存在できるのです。したがって、光の存在がなければ影もなくなるのは自明の理です。アンチというものは実にはかない存在で、敵対する実態があって初めてアンチが成り立つのです。そのため、敵対する存在がなくなればアンチの存在意義はなくなり消滅するしかありません。

ある人がいみじくも「今日(9月27日)は、アベガーが輝ける最後の日だもんなぁ」といいました。まさにその通りだと思います。国葬儀の日をもってアベガーの存在は全て消えざるを得ないのです。

余談になるかもしれませんが、もともと「国葬反対」を叫ぶ人たちの死生観は日本由来のものではありません。日本人はたとえ村八分の人に対しても火事と葬式は例外としていました。つまり、村十分ではありませんでした。しかし、アベガーの精神的祖国には「死者に鞭打つ」価値観があり、それこそ四千年の歴史があります。まさに、アベガーがいう「国葬反対」は「死者に鞭打つ」国からの指令に従っているといえると思います。

だから、ツイッターに「一般献花の人は金を貰って行っている」なんていう心ない書き込みがありましたが、それはその本人が過去に金を貰って行った経験があるから、他の人間もそうだと思っているだけにすぎません。実際、彼らが安保法制反対で動員されたバイト料はアゴアシ付きで日当4万円。その出どころは・・・。


挫折感の季節

さて、話を戻して、これから、アベガーたちが待ち受けるのは、挫折感と虚無感です。

国葬儀の日の夜、日本共産党で20年も独裁を続ける志位さんが
国民の6割以上が反対の声をあげているのに、一顧だにせず「国葬」を強行する岸田政権。何が「聞く力」か。首相は「強行してしまえば済んだことになる」と高をくくっているのかもしれないがそうはいきません。日本の民主主義を守るために声をあげつづけよう!
とツイートしました。

早速、飯山陽さんがこれに応じ、
おかしいなあ。国民の6割以上が反対の声をあげているとするなら、7400万人くらいが反対の声をあげているはずなのだが、ワシの周りにはただの一人もいないんだよなあ。ワシの知らないところに、パラレル日本があるのかもしれんなあ。
との反論のツィートがだされましたが、確かに志位さんのツィートは空しく響きます。

なぜ空しいのかと言えば、そこに挫折感があるからです。結局、安倍元総理を追い詰めることができず、メディアの応援を受けても国葬儀をつぶせなかったことです。過去にも、安保法制を破棄し、米軍を日本から追い出す試みに失敗し、中国を招き入れようとするたくらみが消えうせたときの志位さんの失望感と同一のものです。

あの時から日本共産党は、中国から資金援助を断たれ、それまで選挙のたびに独自の候補者を立てていたのを引っ込めて野党共闘を言い出さざるをえなくなりました。おかげで、挫折感とカネの切れ目の二重苦に今でもさいなまれました。今回もまた、国葬儀をつぶせなかったことに対する悔しさがこのツィートににじみ出ています。


虚無感の季節

そして、もう一つは彼らに虚無感が待っていることです。それは、影としての存在だけしかわからない、自己存在感の喪失です。アンチに生きるとは実に悲しいもので、アンチの対象の存在なくなった瞬間、アンチは消えざるを得ないのです。要は、アベガーというアンチは、敵対する安倍元総理という憎む対象のおかげで存在が許されていたわけです。それがなくなったらもはや虚無しか残りません。

ある左翼系ネット記者は、安倍元総理が凶弾に倒れた直後に、こんな感想を漏らしていました。

「心にぽっかり穴の空いたような気分です。“安倍叩き”が、もうできないですからね……」

「安倍元総理を批判する記事なら、なんでもアクセス数が稼げましたよ。“インチキ”“嘘つき”など過激な言葉を使えば、“反安倍派”の人たちが読んでくれました。それなりに広告収入も得られました」

「正直、記事を書く気が起きないんですよ。何を言おうが安倍元総理は亡くなってしまい、岸田首相は『聞く力』と言ってぼんやりしたまま。ひとつの時代が終わったのだという、喪失感だけを抱えています」

これからアベガーの皆さんは、この記者と同じ気持ちになると思います。


アベガーたちへの挽歌

かつて60年安保のとき、私はまだ小学生でしたが、安保闘争に挫折して人たちから広がり始め大ヒットした曲がありました。西田佐知子さん(関口宏氏の奥さん)の歌う「アカシアの雨がやむとき」です。「♪アカシアの雨にうたれて、このまま死んでしまいたい」の歌い出しで始まる敗北のレクイエムです。

おそらくその時代から左翼運動を続け、年をとってもアベガーと言いつづけている人にとっては再びの敗北のレクイエム、挽歌として思い出しているのではないでしょうか。

さらに、重要なこととして、若い読者はご存じないと思いますが、安保法制のころから反体制左翼が党派性を捨ててまで共闘している事実です。70年代の安保闘争当時、新左翼と呼ばれたセクト間は対立し、まして彼らは日本共産党と同じ空間には存在していませんでした。それだけに、左翼全部が一か所に集まるということはとても信じがたいことではあったのですが、そうなっているのを見ると左翼人口が圧倒的に減っているということをもの語っています。もはや、日本の左翼運動は絶滅危惧種になったと言ってもいいのではないでしょうか。

最後に、1991年のソ連崩壊で行き場を失いやっと拾ってくれた中国も、江沢民派と習近平氏の暗闘が繰り広げられ、暗雲が漂っています。習近平氏の失策続きで崩壊寸前になっています。

その上に、アンチの攻撃対象だった安倍元総理は歴史上の人となり、攻撃を向ける矛先がなくなった今、居場所のないアベガーの皆さんには静かにして退場を待つ以外には道はないようです。



明日は「追い詰められたロシア」として、部分動員の意味とロシア軍の現状を、
明後日はメディアが入手できないロシア側の見解を通して現状を分析します。



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