赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

日本を取戻す!!

2015-02-11 00:00:00 | 政治見解
赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(1)

日本を取戻す!!


今年は、戦後70年の節目の年にあたります

日本の戦後は大東亜戦争敗戦とともに始まりました。アメリカによる占領政策で日本人のアイデンティティは相当に破壊されました。また、ソ連による社会主義思想の侵入で戦後知識人は汚染されました。日本の戦後は、思想的文化的混乱の中からはじまったのです。そして、現在は、日本を貶めようとするプロパガンダによって、日本は翻弄されています。戦後の70年は、いわば思想的外圧の中にあって、日本がまるで根無し草にように漂い続けていた時代であったといえると思います。

しかし、同時に70年という長い時間の経過は、善良なる多くの日本人を覚醒させるものでもありました。人びとは次第に、戦後体制が日本への手かせ、足かせになっているのに気づき、ここからの脱却しなければ日本の自立はないと認識しはじめだしたのも事実です。


一方、国際社会にあっての戦後70年は、21世紀が始まると同時に宗教間対立とテロの危機が増大した時代になっています。いまもなお、戦争の世紀といわれた20世紀をも上回る対立と紛争が絶え間なく続いています。世界の警察官であったアメリカもその力の衰えとともに抑えることができなくなっています。戦後につくられた世界秩序は、国際社会が地球規模に広がったことと、そしてソ連の崩壊、さらにはアメリカの衰微とともに機能しなくなったといえるでしょう。

国際社会でもこのままではいけないとは理解しています。しかし、戦後に築き上げられた国際秩序に変わる考え方は未だ出てきていません。この混迷はまだまだ続きそうな様相です。


国際社会で起きている諸問題の根源は二つに集約されます。「違うということをもって排斥する」こと、「限りある地球の資源を奪い合う」という二点です。

「違うということを排斥する」から、また、「奪い合う」から、内戦や戦争、宗教対立やテロの温床となってしまうのです。憎しみの連鎖を止めるには、「排他主義」と「収奪」をやめるしかないのです。違いは違いと認め、互いに分かちあうことでしょう。奪い合えば不足しますが、分かち合えばあまるのです。

とくに、「違うということを排斥する」問題で苦言を呈すれば、キリスト教社会はイスラム教社会を揶揄したり排撃してはなりません。また、イスラム教は各宗派ごとに、「テロリズムを原理主義と正当化して暴力を繰り広げる集団」を「イスラム教ではない」と宣言しなければなりません。本来、宗教は「許し」が根本であり、紛争や戦争、テロリズムの対極に存在しなければなりません。排外主義の先頭に立ってはならないのです。


ところで、国際社会に影響力を及ぼす大国はさまざまな問題を抱えています。国際社会に適切な方針を提言できるような国を見つけるのは至難の業です。大国の実情をみても・・・

国連安保理事会のような一部の特権をもって政治的圧力をかける大国、
軍事的圧力で周辺諸国を侵略・従属させようとする大国、
また、自国の国益のみを世界基準と主張して簒奪していく大国、
さらには、異文化・異宗教を受け入れず排除する大国、
環境破壊によって自国のみならず周辺国にまで悪影響を及ぼす大国、

このような大国が、たとえ美辞麗句を駆使して演説しても、国際社会はタテマエとしか受け止めません。


しかし、上記の国際社会全体が嫌悪する問題を何一つもっていない唯一の例外が存在します。日本です。

日本は、戦後70年間、国際社会に政治的圧力をかけたことも、ましてやさまざまな国に内政干渉、宗教干渉もしたことがありません。軍事行動をも起したこともありません。また、経済外交も互いにwin―winの関係を築いてきました。さらに、経済援助もその国の発展のため行ってきました。その上に、文化や宗教に対しては寛容に満ち溢れ、傲慢なる振る舞いはしていません。また、公害の苦い教訓のために、地球環境保全は最高水準を保っています。

こう考えると、これからの時代、地球規模に広がった国際社会にあって、唯一の希望の光となるのは日本でしかないように思えます。


とくに、日本は大東亜戦争敗北により、異文化・異文明を半ば強制されましたが、それでも、日本人のもつ誠実さと寛容さでそれを乗り越えてきました。その上に新しい文化的な価値をつくりあげました。また、社会主義イデオロギーや反日プロパガンダに一時的影響は受けても、その欺瞞性を認識することもできました。思想の真贋を見分ける力を持ちえたのです。これは、日本人の絶えまざる営為によるものです。

このような普遍的思想の価値の上に、有史以来日本人が培ってきた美しい精神性、寛容性、公平性を加味すれば、国際社会にとって大いなる福音をもたらすものになるのではないかと思えます。


まず、戦後70年の節目である今年から、日本が国際社会のモデルとなる国づくりを始めていくべきだと思います。最初のとりかかりは憲法を変えることからはじめねばなりません。憲法は日本の国をいかに運営していくかの根本を定めるものであるからです。

そのときに必要なことは、大いなる理想主義と徹底したリアリズムの視点を持つことです。理想が高くなければ世界に影響を与えることはできません。しかし、同時に表面的な理想主義だけでは国が滅びます。両者のバランスの上に、国家と国民の絆をいま一度結びなおして、新しい日本、世界のモデルとなる日本を構築していかねばならないと思います。

最初に、国際社会の現実を直視して国民の生命と財産を守るという観点、さらに毅然とした外交姿勢を実現するという観点から、「国防」ということをしっかり入れる必要があります。そのリアリズムを担保した上に、国民がともに富を分かち合い、「違うということを排斥しない」という寛容の精神で和やかな美しい国を作っていく。そのためにも互いに智恵を出し合うことが必要だと思います。


本日は建国記念の佳き日にあたります。まずは、今日のこの日を、日本人として生を受け、生かされてきたことに思いを馳せ、いにしえから美しい日本を育み、守って下さった先人たちの思いと努力に、感謝を捧げたいと思います。そして、先人の叡智と努力に学び、その叡智の中に、これからの国際社会に平和と安定とそして繁栄をもたらす希望の原理を見出していきたいと思います。日本が変われば世界が変わるのですから。


本日からブログを始めます。よろしくお願いいたします。




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