赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

国際社会の戦後70年を考える

2015-02-14 00:00:00 | 政治見解
赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』(2)

国際社会の戦後70年を考える



では、ここから、「戦後70年」を振り返りながら、日本や日本を取り巻く国際社会にどのような問題が生じてきたのかを分析して見たいと思います。まずは、戦後70年の国際社会を概観します。


国連は何のためにあるのか

20世紀は「戦争の世紀」といわれていました。しかし、21世紀は世界大戦のような大規模な戦争こそはありませんが、内戦、民族紛争、宗教間の争い、テロ事件の続発と、無益な戦いが頻発しています。「戦争の世紀」よりも一層悲惨な状態であるといえると思います。

本来であれば「世界平和を実現する」ために存在すべき国連が機能していません。その理由は、紛争地域のすべてにおいて、国連の安保常任理事国が何らかの係わり合いがあるためです。

紛争地域を見ましても、かつて英仏に植民地支配されていたアフリカ諸国の内戦、英米を背景に建国したイスラエルと中東諸国の軋轢、ロシアとソ連時代の衛星国の領土問題、21世紀の覇権主義中国とアジア諸国の紛争、等々すべてに常任理事国が関わっています。また、これにエネルギー資源の争奪、さらに、宗教的・文化的な排他性も加わって紛争を激化させていますが、これにも常任理事国の影が色濃く出ています。これでは 「国連は何も解決できない」のは当然のことのように思えます。


国連はどのようにして出来たのか

第一次世界大戦、第二次世界大戦という世界規模での悲惨な戦争を省みれば、第二次世界大戦以降の国際社会に対して、世界の指導者たちは、「地球規模での平和」を模索しなければならなかったはずです。しかし、歴史を検証してみれば、世界の指導者には、最初からその視点は持っていませんでした。

第二次世界大戦は連合国側の勝利で終結しましたので、連合国(United Nations)が文字通り、国際連合(United Nations)を構築しました。そして、国連は戦勝国である米英仏ソ中(ただし当時は中華民国)が支配をしました。その基本構造は現在でも変わりません。米英仏露中(中華人民共和国)の五カ国だけが国連安保理事会の常任理事国として拒否権を行使できるのです。五カ国だけが他の国々に絶対的な優位な立場に立つのです。

これは、各国の一票が平等に扱わなければならない国際連合憲章第2章の「主権平等の原則」に反するものです。常任理事国がこの特権を保持し続けている限り、国連はなにも機能しえません。

しかも、第二次大戦で枢軸国側であった日独伊(ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランド含む)に対しては、事実上死文化しているとはいえ「敵国条項」があります。国連憲章から未だ削除されていません。国連では、日独伊は未だ「敵国」なのです。これも、「主権平等の原則」に反する差別行為に他なりません。

それにもかかわらず、国連分担金拠出の第二位は日本(約11%)、第三位はドイツ(約7%)、第七位がイタリア(約4%)となっており、「敵国」とされている国の方が、アメリカを除く常任理事国よりも国連に貢献しています。これは、明らかに異常な状態であると思います。

結局は、第二次世界大戦の戦勝国でつくりあげた利益共同体は、70年たったいまでも何も変わっていないということなのです。つまり、「国連中心主義」なる主張は空虚なものなのです。


国連は米ソによる世界分割の追認機関

ソ連という社会主義国家が崩壊する前までの世界は、米ソという異なる政治体制の大国によって大きく二分されていたと言っても過言ではないでしょう。この米ソによる世界分割支配構造は「ヤルタ体制」と呼ばれています。

1945年2月、ヤルタ(クリミア半島の保養地)では、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まり、第二次世界大戦後の世界秩序づくりが話し合われました。そこでは、ドイツの東西分割とポーランドの国境策定による東側(社会主義陣営)と西側(自由主義陣営)の線引きが確定しました。この日から、ヨーロッパ諸国は、自らの意思ではなく米ソの意思で否応なく分断されることになったのです。

また、ここでは「密約」も交わされました。ソ連に日ソ不可侵条約の破棄が要請され、ソ連が日本に攻め込むというものです。これが、日本の北方領土がソ連に奪われる原因となりました。


さて、戦後になって米ソ対立による冷戦がはじまりますと、1989年のソ連崩壊までの実に44年もの間、世界中の国々は米ソ冷戦の中に巻き込まれていきました。このときも、国連は世界に平和と安全を供することはできませんでした。米ソという超大国二国のそれぞれの思惑に戸惑いながら、米ソの利益の狭間で揺れ動いていただけでした。

また、戦後は、アジア諸国の独立の機運に呼応するように、アフリカで植民地が独立して新しい国家が続々と誕生しました。第三世界と呼ばれる国々です。

ただ、アフリカ諸国は植民地時代に欧州列強の都合で引かれた国境線をもって独立をしましたので、民族や部族の問題には何も考慮していませんでした。そのために、今日ではそれぞれの利害対立を招き、内戦の一因となっています。これに対しても国連には問題解決能力がありません。国連軍を組織して紛争の鎮圧にはあたっていますが、利害関係を調整して、アフリカの平和を構築するには至っていません。



宗教的対立にも覇権主義にも歯止めをかけられない国連

さて、ソ連が崩壊してからの国際秩序は、キリスト教社会対イスラム教社会という宗教・文化対立と、覇権主義の中国の台頭という深刻な問題が生じてきました。前者はイスラエル建国という英米の傲慢が中東地域に大規模な紛争を生じさる原因です。また、中国は、エネルギー資源の収奪とあくなき領土拡張欲によって、近隣諸国との間に大きな軋轢を生じさせています。両者に共通することは、当事者の一方が国連安保常任理事国ということが問題なのです。

なかでも、中東地域ではイスラエル対イスラム諸国の対立は恒常化し、今日に至るまで一触即発の状況が続いています。また、その延長線上の問題として、キリスト教文化圏の欧米諸国対イスラム教諸国の対立を激化させています。これがいまは宗教間対立にまで広がろうとしています。宗教的寛容さを忘れた「排他主義」が原因であるのは間違いありません。憎悪の連鎖が生み出されています。

一方、イスラム教諸国内部での対立も起きています。西欧社会寄りのイスラム教国家と反西欧のイスラム教国家の軋轢が生じています。さらに、その中にイスラム原理主義者といわれる過激派も加わって対立とテロを煽っていますので、事態を一層複雑化させ、深刻なものにさせています。


戦後70年の呪縛からの解放を

このように改めて歴史を見ていけば、国際社会の戦後70年は、「紛争や戦争、テロの脅威から何も解決できなかった70年」ということになるのではないでしょうか。結局は、国際社会は、米ソといった超大国、あるいは、第二次世界大戦での戦勝国であった連合国によって翻弄されつづけた70年だったのではないでしょうか。その間に起きた紛争や戦争、そしてテロは、「平和の代償」にもなりませんでした。

これからの時代は、戦後70年の反省を踏まえて、世界の国々が調和しながら互いに発展していけるような新しい国際的な枠組みを構築していかなければなりません。具体的な内容は後述することとして、その新しい枠組みをつくる鍵を握るのがおそらく日本になると確信しています。なぜなら、日本は「支配」ではなく、「平和的協調」という外交姿勢で国際社会に貢献してきたのですから・・・。

つづく




  お問い合わせ先 akaminekaz@gmail.com 
  FBは https://www.facebook.com/akaminekaz です
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本を取戻す!! | トップ | 日本の戦後70年の諸問題 »
最新の画像もっと見る

政治見解」カテゴリの最新記事