赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

日中友好の黒歴史――日中国交樹立とは何だったのか②

2022-09-13 11:44:24 | 政治見解



コラム(462):日中友好の黒歴史
――日中国交樹立とは何だったのか②


焦って国交を樹立した理由

日中国交樹立の背景は、米中の電撃的な接近に日本が慌てふためいたことからはじまります。1971年、ニクソン米大統領の特使キッシンジャーが秘密裏にパキスタン経由で北京入りし、当時の周恩来首相と会談。早い時期にニクソン大統領の訪中することが話し合われました。これが発表されるとニクソン・ショックと言われるほど全世界に衝撃が走りましたが、なかでも頭越しされた日本は周章狼狽し、メディアは「バスに乗り遅れるな」と一斉に騒ぎ立て、日本政府に中華人民共和国との国交の樹立を急がせました。

しかし、日本にとって中華人民共和国は、当時「中共【※2】」と呼ぶ存在にすぎず、文化大革命の混乱の最中にあったことと、長年親しい交流のあった中華民国=台湾を切り捨てなければならない問題があり、政府与党内でも反対の意見の方が大きい情勢でした。

【※2】国交樹立のころに、1950年代の映画『ゴジラ』をテレビで見たことがある。その中に「中共が攻めてくる」というセリフがあったのを今でもよく覚えている。1970年代くらいまでは、国際社会の中国に対する認識は、「共産主義で文明に逆行する野蛮な国家」だった。

アメリカは、米ソ冷戦の最中で、敵対するソ連とその弟分の中共が仲たがいをし始めたのを見て「敵の敵は味方(ソ連という敵に敵対し始めた中共は味方となりうる)」という戦略目的のもとに手を結んだわけで、日本のように何も考えず慌てて手を組もうとしたのではありません。

事実、米国は中華民国を一方的に切り捨てることなく「台湾関係法」を整備し、時間をかけて中華人民共和国と国交を結びました。実際、米中間の正式な国交樹立は1979年の1月です。日本の国交樹立から7年後、日中平和条約から半年後のことです。アメリカに軽率さはありません。


国交樹立は中国の利益のためだけにあった

用意周到なアメリカと比べて日本はいかにも拙速でした。中国が「日本に対する戦争賠償の請求を放棄する」と宣言したのはいいものの、裏では、戦争賠償の代わりに対中政府開発援助(ODA)を約束することになりました。

2022年3月末日の終了まで、その総額は(円借款も含む)計3兆6千億円余りになります。この資金が中国を大国にまで押し上げ、さらには、日本に対する軍事的脅威をも生み出した元凶となっています。しかも、このODAは自民党旧田中派の金城湯池の利権ともなっていました。

さらにもう一つの重大な失敗は、尖閣諸島問題を棚上げにしたことです。1972年の田中―周恩来会談では、周恩来の「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」と言う言葉に騙されてしまいました。

1978年の平和条約締結時には、鄧小平の「中国では釣魚台、日本では尖閣諸島と呼んでいる問題がある。こういうことは、今回のような会談の席上に持ち出さなくてもよい問題である(中略)。われわれの世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが、次の世代は、われわれよりももっと知恵があり、この問題を解決できるだろう。この問題は大局から見ることが必要だ。」と言う言葉にまた騙されてしまいました。中国の本音を見抜けなかった外務省の落ち度です。

もう一つ、お人よしの日本が国際社会から中国が孤立する中国を助けてしまった事件がありました。1989年6月4日の六四天安門事件です。

これは、人民解放軍が一般市民を銃撃し多数の犠牲者(数万人が殺されたとする説あり)が出るという痛ましい事件でした。国際社会は人権弾圧著しい中国に対する反発を募らせ、強い制裁を科す国際問題へと発展しました。また、その事件直後に、日本人外交官が住むアパートがあ人民解放軍によってハチの巣にされるほどの銃撃を受ける事件が発生しましたが、それでも日本政府は何もしませんでした、

一方、なんとしても制裁逃れをしたい中国政府は、日本政府に天皇皇后両陛下の訪中を強くせまりました。両陛下のご訪中以降、西側の制裁は解除されましたので、中国政府の狙いは思惑通り達成されてたと言えます。

六四天安門事件直後か政治的指導者の立場になったのが悪名高い江沢民です。96歳にしていまも上海閥に君臨しているようですが、父親が日本軍の協力者だったと言われるのを防ぐため、歴代の指導者の中では最も激しい反日政策を展開したことで有名な人物です。おそらくは出自上の問題の隠ぺい化のために、強固な反日を推進したのだと思います。また、日本のODA資金を使って反日施設を次々と作り、青少年を重点対象にして徹底した反日教育を行い、反日デモを至るところで起こすよう指令を出していました。しかし、それに対して日本政府は何もいいませんでした。

余談ですが、お笑い芸人の“みやぞん”がアルバイト時代、工場長の中国人にゴマをするため「誰が好きですか」と問うたところ、「こうだくみ」との回答が・・・。金をためて倖田來未のCDを渡したところ、怒って投げ返されたとか。中国人の工場長が好きだったのは「コウタクミン=江沢民」だったと・・・。

日中友好とはまさに中国の利益のためにあったということがわかります。

(つづく)

次回は、最終回として「日中友好は日本に害悪しかもたらさなかった」として、
「国交樹立の節目の年に事件が発生する」、「マルクス崩れの人間が依拠する中国」を論じます。



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