
明日は東日本大震災から7年目となります。
そして、今夜は東京大空襲の夜。
一夜にして10万人の方が命を失いました。
母は生き残り、今も、どこの日になると、
あの夜は・・・・・と延々と語りだします。
生きるために、深川から皇居前まで
走って走って、その間に目の前で、人が炎に包まれ、
倒れている姿を見て。
こと、いまも心に傷を残し、なんとか86歳。
戦争は人が起こす「殺人」と、つぶやいていました。
亡き父の叔父は硫黄島で、戦死し、遺骨もかえってきていません。
父は叔父からいただいた「髭剃り」を大事に大事に
自分の命が絶えるまで、持っていました。
母も自分の年齢、体調を考えるようです。
昨日は
「仁和寺には、
生きているうちにおそらくいけないから」、
ということで、私は上野に付き添い、同行しました。
生きている、生き残ってしまった。。。
という複雑な思いをいまだ、母は抱えています。
今夕もそういう想いの語りの食卓でした。
平和を守る、繋いていく。
東日本大震災で被災なさった皆様も
いまだ、仮設住宅で暮らしていたり、
故郷に帰ることが叶わない方がたくさんいらっしゃる。
母はい同様に、自分の体験(疎開とか。。。
自宅を失い、親戚宅に身を寄せたこととか・・・)と
重ねて、しまい、辛い一日となる。
平和な世の中がまで続くように、
当たり前の日常がいつまでも続くように。
その想いで母は生きているように思います。