吉村昭という作家がヤマトを建造している時の呉か佐世保?の様子をこう書いている
「電車で軍港の方を見たら憲兵に捕まる」トップシークレットだった大和と武蔵、そして急遽敗戦間際に
空母に作り変えた信濃 この3つの戦艦に技術はかなりすごい発想だったのだ。
ただ、出撃が遅くなりいずれもが、46文砲を発射することもなく、米軍の集中攻撃を受け沈没した。
46文砲がもし使えたならば、アメリカの戦艦などの射程距離圏外から楽々と数発で沈めることが出来たそうだ。
今回マイクロソフトの共同代表だっけかが、武蔵野姿を写したと話題になったのだが、実は大和もどこに沈んでいる
のかがわかっているって知っていましたか?
同じく海底の奥深くに沈んでいるので、引き上げは不可能なのだ。
漆黒の闇のなかで、静かに眠っているのである。確か1千人以上の乗艦員がいたという話を聞いたような?
吉村昭「戦艦大和」を読んでみると、当時の日本の機械技術がいかに優れているかが判る。
同じく吉村昭の著書の中(題名は忘れた)である潜水艦を引き上げた時の話のことが書いてあり、
その一文が頭をよぎった。
「潜水艦のある部屋は扉がくさりしかし気密状態は保たれていて、無菌室と同じになったようで扉を開けた時
全く腐敗もしない乗組員がまるで生きているかのような姿で残っていた。しかし、扉を開たことで、空気の
対流がおき、その姿は瞬く間に崩れ落ちたのである」
もしかしたら、戦後70年という歳月が流れたことを知らずに、日本の英霊が眠っているならば、そのままに
御霊をそっとしておいたほうがよいのではないかとも思う。
だから、深海に沈んだのだろう