京都大学時代には、比叡山の比叡おろし、という冷たい風が当たるところに
下宿していました。大学時代のことはたくさん書いているけれど、たまに
誰も来ない日があった。毎日焼酎をひと瓶友人たちとあけていましたので、
入院したことがあります。今考えるとこたつも何にもない四畳半でしたので
焼酎のお湯割りを飲んでいました。おいしくもなんともないけれど、なにせ
朝目が覚めると 吐く息が白くなる・・・そんなおんぼろ下宿でした。
手の指はたらこみたいに なっていた。
ドクトルマンボウ青春期のような 生活を!と夢見ていたので、今でも
良い思い出になりました。
今でも「そういえば嶌田が学校にいるのをみたことがないな」と。
なにせ2年間は 一般教育で なんで専門的なことをやらないの?と考えていたので
数えてみたら1年のうち2週間分しか学校に行かなかった。
行くとしたら 学食目当て・・・。
多分この2週間はテストの時で、あとは代返がきかない先生の授業だったと
思います。