六十三候 大雪(たいせつ)12月7日~12月21日 末侯 鮭魚群(さけむらがる) 12月17日~12月21日
節気の意味「いよいよ本格的に雪が降り始めるころ」
候の意味「鮭が群がり川を上る」
日出は6:44
日没は16:31
早起きしたら、雨が降っていた。
仕事の都合で暗いうちに自宅を出た。
先週、九州へ旅に出て、3日連続で夕日を眺める事ができた。
日常生活ではしみじみと夕焼け空を眺める暇なんてないから、「おぉ~」って思った。
関東より40分以上も日没が遅いなんて。
地球は丸いから当たり前なんだけど、それが実感できる。
幼少期に福岡市に住んでいた。
東京の方で或る生中継の映像が流れ、「あれ?」と思った事があった。
外が真っ暗(日が暮れた後)なのだ。
うちはまだ明るいのに、なぜ?
子供部屋に貼ってある地図とテレビに出てくる地図はどうして違う形なんだろう。
↑九州の地図か日本地図かの区別が理解できない年ごろだった。
そんな「?」の連続で、地図に興味を持つようになった。
松本市の小学校に通った頃は授業を聴きながら、長野県の地形図をずっと眺めてたなぁ。
18歳の12月、推薦入試の受験で上京した。
神戸の高校で午前中は授業を受け、それから新幹線に乗った。
裾野まで真っ白な富士山が夕陽を浴びた姿がすごく美しかった。
東京に着く頃には日はとっぷり暮れて、東京タワーの赤いネオンにこれまた感動。
東京駅から六本木に連れていかれ、あの雰囲気にびっくり。
食事が終わって、日比谷線に長々と乗って、ん?途中で銀座線に乗り換えたかな?
上野駅から電車に乗り換えて。
モンペで背負子の行商のおばさんって、まだ存在してるんだ❗️と衝撃を受けた。
ホテルに入ったのは夜10時近かった。
カルチャーショックで疲れきって、翌日の受験は散々。
帰りの電車の中から関東平野の向こうに太陽が沈んでいくのが見えた。
まだ4時10分なのに!
関東平野って、こんなに広いんだ。
そして、クリスマスの日に高校に不合格通知が届き、がっくりしつつ、「やっぱりなぁ」と思った。
今にしたら、あれは両親の策略だ。
若い頃は、「親なのに、受験を控えた子供に無理をさせないという配慮がない」と思った。
あの頃の親の年齢を過ぎた今は逆の考え方もしてみる。
「わざと負荷をかけて不合格になるようにしたのでは」
理由は下宿させると経済面で自分たちがしんどくなるから。
でも、実際は「なーんにも考えてなかった」というのが、正解なんだろうなぁ。
こちらも深くは考えなかった。
で、翌年3月に一般入試を受けて合格を果たした。
あの時は行きも帰りも富士山は見えなかったし、
受験の3日前に上京して体調整えて臨んだしね。
まぁ、成るべくして、成るようにしか成らない。
ということ。
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