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特別企画展『やまとうた 三十一文字で綴る和の情景』 佐竹本三十六歌仙図「中務」初公開 ※会期終了
昨日までだった。
タイミング的に行けるのは昨日のみ。で、ラストチャンスに頑張ってはるばる諏訪まで行ってきた。
もともと、サンリツへは茶道具の展覧会の時しか行かない。
遠いし、交通時もかかるので青春18きっぷの時期とかぶる時のみと決めている。
で、今回は茶道具じゃないんだけど、、、やっぱ「中務」さんに会いたくて。
同じ時期に京都で“同窓会”やってるんだから、そっちに混ぜてほしかった~
と恨み節を言いたいところだが、事情があったらしい。
「中務」さんは長らく個人所蔵となっていたそうで。(図録によれば、籤で当たった人から別の人に渡ったもよう)
事情は不明だけど、近年になって(=この数年内か?)サンリツ服部美術館に寄贈されたそうな。(売却じゃなくて、寄贈なのねぇ)
で、このたび公開となった。寄贈者の「最初は諏訪の方々に見ていただきたい」という希望もあって、京都へは出さなかったそうな。
今回、中務さんに会ってみて、最初に思ったのは「表装の具合がとてもきれい」ということ。
つまり、明らかに補修をしたと思われる。
察するに、補修作業に時間がかかってしまい、出せるタイミングがこの秋になってしまったのではなかろうか。
京都へは出せないけど、せめて出すタイミングだけは合わせます~ みたいな?
(今回の展覧会でも後期の11月15日~の1ヶ月間のみだった)
実際、京都の展覧会を鑑賞した人たちが諏訪くんだりまで足を運ぶことも多かったそうな。(むろん、私もその一人ですが)
まぁ、経緯を考えると一人ぽつねんと離れちゃったみたいになったけど、比較的近い機会に京都と諏訪の計32枚の歌仙絵を鑑賞できたのはよかった。
補修したこともあるけれど、中務さんのお顔がはっきり見えてよかった~
平安時代の美人さんの典型的なお顔立ちなのでしょう。
もともと、三十六歌仙絵に女性は5人。小野小町は後ろ姿。斎宮女御もお顔は見えない。
小大君はばっちり顔が描かれているけれど、うつむき加減だし、歌の内容が「私なんて不細工な~」なせいか、
今ひとつ美人さんな印象がない。
が、中務さんはうぐいすの鳴き声を聞いてふっと空を見上げて春の訪れを感じている、そんな明るさと暖かさが伝わってくる表情。
断然、こちらの方が好感が持てて、「会いに来てよかった」と長旅の疲れも吹っ飛んだ。
表装がね、黄土色系で人物の華やかさに比べると渋い、というか地味な印象を受ける。
でも、この渋さだからこそ、中務さんの美しさがより鮮明に引き立つのかもね。
ちなみに、絵はがきはもう売れ切れていた。
次回に買おう。
そして、他の展示物も見るに見たんだけど、完全に頭がスルー。
伝・紀貫之の高野切がなぜ貴重か、紀貫之が書いたのではなく能書家3人によるものらしい。
伝・藤原俊成とあるけど、俊成がなくなった10年後の歌会らしい~ ←だったかなぁ。
と、解説聴きなら「へぇ~」と思うことはあったものの、ほとんど右から左に流れていく~
かろうじて、本阿弥光悦(筆)と俵屋宗達(下絵)の合作の鹿下絵新古今和歌巻断簡には「お~っ」と思った程度。
茶道具もちょろちょろ出ていたけど、館蔵のものだから、過去に一度くらいは見たものだと思われ、ほとんど反応できず。
本当に中務さんに会いに行っただけの諏訪行きだった。
正月明けから3月までは茶道具がかかるので、近いうちにまた訪問しよー。
★サンリツ服部美術館バックナンバーリスト
2019年8月 『茶人に愛された数々の名碗』→こちら
2018年12月 『大名茶人の系譜 古田織部・小堀遠州・片桐石州』→こちら
2017年1月 『やきもの色事典』→こちら
2016年8月 『服部一郎没後30年 特別企画展 禅宗と茶の湯の美』(後期)→こちら
2016年7月 『服部一郎没後30年 特別企画展 禅宗と茶の湯の美』(前期)→こちら
2014年12月 『茶入 もう一つの美術史』→こちら
2013年12月 『名物裂を探る 織り込まれた歴史と美』→こちら
2013年7月 『渡来の茶道具 唐物・高麗物・南蛮物』→こちら
2012年3月『桃山・江戸時代の茶陶-和物と海外陶磁の競演』→こちら
2011年9月『江戸時代の絵画と茶~ゆかりの人々からたどる江戸の「現代アート」』→こちら
2010年10月『茶の湯の名品』→こちら
2010年1月『茶道具取り合わせ 茶の湯の春』→こちら
2009年12月『名碗のかたち』→こちら
2008年8月『茶入の美 -小壺が「茶入」になるとき』→こちら
2008年1月『「床(とこ)」に咲く美 花入と掛物 荘厳から侘びへ』→こちら
2007年8月『茶の湯とやきもの -器が「茶道具」になるとき-』→こちら
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