先週のblogは京都の話題に終始したけれど、ワタシ自身は茶の湯フリークを再開してた
で、三越の美術画廊で開催されていた「作陶六十年 十代 大樋長左衛門展」へも行った。
事前に図録とお呈茶券もいただいてたし
御当代の個展はたぶん2度め。(前回訪れたのがblog開設前だから記録はないけれど)
大樋焼独特の飴釉や茶碗や花入をはじめ、白っぽい釉薬に緑と黄の釉薬が入った三彩。
交趾、灰釉と多彩。
呈茶席では前田家の御当主が絵か書を焼いた茶碗、加山又造が描いた絵を焼いた茶碗などが出てきた。
今思うと、豪華な展覧会だった。(遠目で大樋氏のお姿もチラッと拝見した)
でも、でもね。
ワタシは展覧会以外で当代の長左衛門さんのお茶碗やお道具にお目にかかったことがない。
その代わり、主茶碗として九代大樋長左衛門の作が取り合わされている茶会にはよく遭遇する。
70代~80代の先生はステータスのようにお持ちだなぁ、、、って思うくらい
ワタシはいうと、3年前まで青年部にいたこともあり、大樋年雄氏の方を注目する傾向にもあるし。
「狭間でビミョー?」って思いながら、会場を後にした。
がっ。。。
(昨日の)お昼のNHKニュース、見るともなしに聞いていたら、
「文化勲章に(中略)大樋年朗氏と(中略)が選ばれました~」と報道されている。
ん? いま、なんと言った?
「おおひ・としろう」?
あれ? もしかして、それは大樋長左衛門さんと同一人物?
すぐ検索して、確認。
もしかして、陶芸の世界では「長左衛門」よりも「年朗」の方で活躍されているのかなぁ。
本名の姓は「奈良」サンだから、やっぱり「大樋年朗」も作家としてのお名前なんだろうなぁ。
まぁ、先代の時に複雑なこともあったから、それでかなぁ。
いずれにしろ、おめでとうございます
ちょうど個展の最終日の発表ということで、三越では盛り上がったのかなぁ。
まさか、ねらって個展の日程おさえたワケではないよねぇ
三越は来月、村瀬治兵衛さんの個展があるから、忘れずに行かなきゃ、ね
でも、でも、ちょっと気になる
文化勲章と重要無形文化財(人間国宝)って、どっちがスゴイんだろ?
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大樋焼独特の飴釉や茶碗や花入をはじめ、白っぽい釉薬に緑と黄の釉薬が入った三彩。
交趾、灰釉と多彩。
呈茶席では前田家の御当主が絵か書を焼いた茶碗、加山又造が描いた絵を焼いた茶碗などが出てきた。
今思うと、豪華な展覧会だった。(遠目で大樋氏のお姿もチラッと拝見した)
でも、でもね。
ワタシは展覧会以外で当代の長左衛門さんのお茶碗やお道具にお目にかかったことがない。
その代わり、主茶碗として九代大樋長左衛門の作が取り合わされている茶会にはよく遭遇する。
70代~80代の先生はステータスのようにお持ちだなぁ、、、って思うくらい
ワタシはいうと、3年前まで青年部にいたこともあり、大樋年雄氏の方を注目する傾向にもあるし。
「狭間でビミョー?」って思いながら、会場を後にした。
がっ。。。
(昨日の)お昼のNHKニュース、見るともなしに聞いていたら、
「文化勲章に(中略)大樋年朗氏と(中略)が選ばれました~」と報道されている。
ん? いま、なんと言った?
「おおひ・としろう」?
あれ? もしかして、それは大樋長左衛門さんと同一人物?
すぐ検索して、確認。
もしかして、陶芸の世界では「長左衛門」よりも「年朗」の方で活躍されているのかなぁ。
本名の姓は「奈良」サンだから、やっぱり「大樋年朗」も作家としてのお名前なんだろうなぁ。
まぁ、先代の時に複雑なこともあったから、それでかなぁ。
いずれにしろ、おめでとうございます
ちょうど個展の最終日の発表ということで、三越では盛り上がったのかなぁ。
まさか、ねらって個展の日程おさえたワケではないよねぇ
三越は来月、村瀬治兵衛さんの個展があるから、忘れずに行かなきゃ、ね
でも、でも、ちょっと気になる
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私はご子息様の年雄先生のお茶碗を愛用しております。
お名前の件、きっと大樋先生ご一家では間違われても間違われても…と一体どうされているのでしょうか?毎回ご説明も大変ですね。
裏千家で奈良さまは偉い先生としてご活躍ですし…。
ご興味のある方は大丈夫ですが、知らない方ってちんぷんかんぷんのままで時が過ぎていくのでしょうね。
ちょこっと調べてみました。
皇室関係~文化功労者受章や園遊会出席など~では「大樋年朗」名を使われていらっしゃるようです。
先代の話かと思ったら、当代になってからも訴訟はあったんですね
和解したとは言え、まだすっきりしてないのかなという印象受けました。