私を本能寺の変の真実解明に駆り立てることになった「ワクワクすることを求める気持ち」についてお話させてください。
2004年というと6年前、50歳半ばの頃です。
それまで仕事一途に突っ走ってきた人生でした。「定年後を考えねば」と思うようになったとき、はたと気が付きました。
「何もない!」「どうすればよいかわらない!」
丁度、仕事面でも閉塞感にとらわれていた時期でしたので、かなり悩みました。
そんなときに出会ったのがマイク・マクマナスの書いた『ソース』という本です。本の表紙や帯に書いてある宣伝文をご紹介しましょう。
『あなたの人生の源はワクワクすることにある』
『これほどシンプルで、これほど本質的な生き方が他にあるだろうか。すべての人にある「自分がワクワクすること」。そこには、あなたの人生を劇的に活性化させる「奇蹟の力」が宿っている。』
『「ワクワク」とは、あなたの「個性」の別名であり「ワクワク」を生きることは、「あなたらしさ」を生きること。』
今読むとちょっと気恥ずかしくなるような文章ですが、この本にすっかりはまりました。
「よし、自分のワクワクすることを3つ見定めよう!」と思い立ちました。キーワードは自分がオンリーワンになれるもの、でした。ひとつ目はすぐに決まりました。「ソフトウェア開発技術」です。これは私が本業として長年打ち込んできたことであり、若いシステムエンジニア達へ伝授したい大事な事が心の中にあったからです。
そして二つ目を「本能寺の変研究」に決めるのには結構時間がかかりました。思いはあれども手掛かりはなし。でも、自分がワクワクすることであり、オンリーワンであることも間違いありませんでした。しばらくして、「そうだ、これだ!」と心を決めました。
三つ目はちょっと毛色が変わって「ゴルフ」。当時、ゴルフを始めたばかりで正にワクワクしている最中でしたし、ゴルフは技術・体力・気力が総合されてディジタルな数値(スコア)に結果が出るスポーツ。体力的にも精神的にも老い込まないようにするには最適なスポーツだと思ったからです。
あれから6年たった今、マイク・マクマナスの本に出会わなければ一体どうなっていただろうか、と思わざるを得ません。確かにワクワクしています。ワクワクしてやっていることが新たな境地を開いてくれています。いろいろな人の輪を広げてくれています。
私の書いた『本能寺の変 四二七年目の真実』も、そう思ってくださる読者がいらっしゃれば著者冥利に尽きます。
2004年というと6年前、50歳半ばの頃です。
それまで仕事一途に突っ走ってきた人生でした。「定年後を考えねば」と思うようになったとき、はたと気が付きました。
「何もない!」「どうすればよいかわらない!」
丁度、仕事面でも閉塞感にとらわれていた時期でしたので、かなり悩みました。
そんなときに出会ったのがマイク・マクマナスの書いた『ソース』という本です。本の表紙や帯に書いてある宣伝文をご紹介しましょう。
『あなたの人生の源はワクワクすることにある』
『これほどシンプルで、これほど本質的な生き方が他にあるだろうか。すべての人にある「自分がワクワクすること」。そこには、あなたの人生を劇的に活性化させる「奇蹟の力」が宿っている。』
『「ワクワク」とは、あなたの「個性」の別名であり「ワクワク」を生きることは、「あなたらしさ」を生きること。』
今読むとちょっと気恥ずかしくなるような文章ですが、この本にすっかりはまりました。
「よし、自分のワクワクすることを3つ見定めよう!」と思い立ちました。キーワードは自分がオンリーワンになれるもの、でした。ひとつ目はすぐに決まりました。「ソフトウェア開発技術」です。これは私が本業として長年打ち込んできたことであり、若いシステムエンジニア達へ伝授したい大事な事が心の中にあったからです。
そして二つ目を「本能寺の変研究」に決めるのには結構時間がかかりました。思いはあれども手掛かりはなし。でも、自分がワクワクすることであり、オンリーワンであることも間違いありませんでした。しばらくして、「そうだ、これだ!」と心を決めました。
三つ目はちょっと毛色が変わって「ゴルフ」。当時、ゴルフを始めたばかりで正にワクワクしている最中でしたし、ゴルフは技術・体力・気力が総合されてディジタルな数値(スコア)に結果が出るスポーツ。体力的にも精神的にも老い込まないようにするには最適なスポーツだと思ったからです。
あれから6年たった今、マイク・マクマナスの本に出会わなければ一体どうなっていただろうか、と思わざるを得ません。確かにワクワクしています。ワクワクしてやっていることが新たな境地を開いてくれています。いろいろな人の輪を広げてくれています。
私の書いた『本能寺の変 四二七年目の真実』も、そう思ってくださる読者がいらっしゃれば著者冥利に尽きます。
しかし、記事を読ませていただいて引っかかる点がいくつか見受けられました。 本能寺の変は信長の家康討ちを避ける為の行為であったとのことですが、それならば何故光秀はそのことを公言しなかったのでしょう? 実際そのせいで長きにわたり光秀は主君に背いた叛逆者との汚名を着せられることとなりました。 実は御屋形様は家康殿を誅殺するおつもりであったとし、不義を正し、また我が一族を守るためにやったのだと公言していれば十分過ぎる大義名分となるし、賛同者も多く得られるでしょう。実際賛同者が得られずに光秀は家康討ちどころでは無くなってしまったのですから。
また秀吉も家康も事前に知っていたとのことですが、ならば何故両者ともその事実を大いに宣伝に利用しなかったのでしょうか?秀吉は小牧・長久手の戦いやその後でも家康は光秀に助けられておきながらのこのこと織田の領土を盗み、後には明智軍に狙われつつ危うく三河に逃げ帰ったなどとほざいたとして徳川を滅ぼすとまではいかなくても十分な減封の理由になりますし、また自分が織田家を乗っ取るこうじつとしても使えるでしょう。家康も関ヶ原や大坂の陣で実は秀吉は主君を見殺しにして私利私欲のために織田を乗っ取ったというプロパガンダにできますし、大いに敵の動揺を誘えるでしょう。 それに明智に恩義を感じているなら重臣の娘を雇うなんてちまちましたことをせずに公に実は明智殿は徳川を救い、また氏族を守らんとしてやむなく主君を討ったのだと言えばよいと思います。
そして光秀は天下を狙ってはいないとしていますが、信長の筆頭家老として仕えてきた光秀に天下への憧れがあってもおかしくないと思いますし、長期的には徳川と組んで自分が天下を取ろうと思っていても不自然ではないように思います。
もう一つは差し出がましいのですが、どうも他の記事のコメント欄を読ませていただくと、他の方々のご質問に対して明智さんは著書をお読みになるように回答なさっている例が多いのではないかと感じます。残念ながら私の近所の書店には明智さんのご著書はおいてありませんし、他の方々もそういった事情があってここのブログでご質問なさっているのだと思います。私を含め、質問に対してはなるべくその場で答えていただければ良いと感じます。
読みづらい長文で大変失礼しました。
拙著が書店にない場合は書店に取り寄せをご依頼いただきたくお願いいたします。